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おやさまたより


私の天理教修養科ものがたり パート17


  二回目の修養科では身上者が多いのが特徴的でもありました。私も年齢的なことも重なって、三ヶ月通して身上から自分の信仰を確認したように思います。

 生来、私は頭でっかちな人間で子供の頃から体を憎んできたような面もありました。運動が苦手で、特に球技が苦手だったこともあってコンプレックスは相当なものでした。
 天理教では、「身上 かしもの・かりもの」と教えられるので一回目の修養科でも耳にタコができるほど聞いてはいましたが、それを卒業後も身についていたとは言えませんでした。

 「心ひとつが我がのもの」というので、人間は自分の思うままに気位が高く高慢になります。それは生きるために必要なプライド・矜持にもなりますが、他人との関わりにおいては埃を積みやすいのだと思います。

 私は子供の頃から風邪をひくとすぐ中耳炎になるのを繰り返してきたのですが、二回目の修養科に入る伏線は「真珠腫性中耳炎」という病気からでした。その手術の至るまでに別の病気も見つかり名古屋の医療センターで手術をすることになったのですが、それも二回もしてもらうことになって三回目を受けることも勧められてもいました。

 仕事に行き詰って精神を病んだ話は既にお話ししましたが、猛烈な腹立ちや高慢の埃を積んだ結果の「統合失調症」だったのだろうと、今では悟られます。おしい・ほしい・にくい・かわいい・うらみ・はらだち・よく・こうまん八つのほこりの中でも、より深刻な後半の埃を私の魂は今生で払う必要があったと言えるのかもしれません。

 病気・身上は人間を苦しめようとか懲らしめようとか言う親神の思いではなく、陽気暮らしをさせたいという子供かわいい親心の表れであり、手引きであると聞きます。

 二回目の修養科に入って間もなく、私は左耳が痛くなり腫れても来て詰所で食事の際などに三期生・二期生の人や教養掛の先生に心配されるほどになりました。私はそれを我慢することで修養になるようなことを話したのですが、それは思い違いであると反対に皆から諭されて、ムッとした思いにもなったのですが我慢できないほど痛むようになり顔面もそれを分かるほど変形するに至って、「憩いの家病院」に受診をしました。

   ドクターからは修養科中は手術などはできないので応急手当てになるが、酷くなるようなら修養科の卒業が断念して名古屋の医療センターで手術する必要があると診断されました。

 これは私にとっては思案のしどころで、勿論 教養掛かりの先生や担任の先生・・同期生や詰所の仲間にも相談して有難い励ましや助言もいただきました。
 
 それと同時に、憩いの家病院には天理教の信仰の上から専門の教師が相談に応じてくれる事情部という支援の制度があり、そこにも相談に行きました。

 病院の方は全国でも有数の総合病院で最新設備が整った新しい建物ですが、事情部は神殿を囲む「やかた」の中にあってちょっと薄暗い厳めしい印象の部屋に通されました。
 中に居られたのは、変わったスーツのような制服の年配の女性の先生でした。とても柔らかな受け答えをしてくれる方で、確か憩いの家病院で看護の仕事をしていたと話されたように記憶しています。

 私はその雰囲気に落ち着いて、病状を説明すると共に修養科に入学するまでの経緯や自分の信仰についての考えを出来るだけ正直に話しました。
 今回の身上についても、お手入れであることを自覚しているので自分の思案が親神様の思し召しと違うなら修養科の卒業も諦める覚悟はあると話し、身上を通して自分の心や生き方を見つめてみたい旨を聞いてもらいました。

  先生は相槌を打ちながら丁寧に聞いてくれた上で、こんな話をしてくださった。
「あなたの話は親神様が喜ばれると思います。じつは、私の主人もあなたと同じ真珠腫性中耳炎だったんですよ。それも再発して手術を言われた時にあなたと同じように選択を迫られて、身上を見せられたことを受けいる心定めをしたんです。それから、会う人ごとに自分の病状を打ち明けて生活を新めるようにしたんです。それで結局手術は受けないでご守護を頂き今に至っております」と。岐阜
 
 私は不思議なことだと思ったのですが、それで私のご守護を頂けるとは思いませんでした。その頃にはちょうど岐阜支部献米団参があって自教会からも会長さんはじめ信者さんと一緒に妻もおぢばに帰ってきました。
 皆 私の顔を見るなりその腫れに驚き、また医者の言われたことを伝えると心配もされました。私はこうした経験をさせて貰えていることを感謝していると伝えました。

 その後、痛みで一睡もできなくなって受診すると、ドクターは膿んでいるようだから切開して膿を出しましょうと言って外科処置をしてくれました。それもかなり痛かった覚えがあるのですが、終わって点滴を受けていると次第に気分も軽くなってご守護を頂けるような気持ちになりました。

 事実、それから腫れも引きあんなに激しかった痛みも消えたのでした。私は、事情部の受け受付に行ってお礼をしたいので先生に会わせてもらえないかと聞くと、事情部の決まりで出来ないことになっていると言われたので仕方なく神殿で親神様・教祖様・御霊様にお礼の参拝をして回り修養科に行きました。

 クラスではみんなが喜んでくれましたが、休憩中に話しかけてくれた仲間がいました。名東詰所から来ている四国出身の青年でしたが、なんとその詰所の主任先生の奥さんが相談を受けてくれた先生だったそうで、詰所で私の話が出てびっくりしたと聞かされました。
 
 それを聞いた私もそれ以上に驚きましたが、ご守護の不思議に感謝があふれお礼の気持ちを伝えてくれるように頼みました。一度は修養科の卒業をも諦めるほどだったのが嘘だったように一期生の時期が過ぎて、憩いの家病院のドクターからは名古屋の医療センターとも連絡を取り合ってくださって卒業後に必ず受診して指示を受けるように言われて終りました。


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