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創作小説「カエサルはそんな事言ってない」その①




愛用していたiPhoneを故障させてしまいしばらくnoteにログインできない状況でしたが無事再ログイン、お引越しできたので再掲します。続きを鋭意製作中です。
※出来るだけジャンルを排した表現、執筆を心がけていますが、人によって残酷だと思われるシーンが出てくる場合や例外もございますのでお気をつけください。
※令和6年4月10日になった今でもなるべく良い文章をお届け出来るように加筆・修正する場合があります。
※小説内に登場する人物、場所、政治上の団体、主義思想、信条、概念総じて全て筆者の想像に帰すものであり、生活をより良く楽しく過ごすためのメタフィクションです。ご理解ください。
※小説に関してのご意見、ご相談、こうして欲しい、こうしたいといったご要望、熱いご意見ご反応、ご用向き、思った事や残したいメッセージなどがありましたら下の
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陳 知豊

こちらまでお願いたします。
長くなりますがよろしくお願いいたします。気に入った箇所などがありましたら好きなタイミングで何度でも使っていただけると幸いです。



登場人物

B
一つ歳上の先輩。幾帳面。ぱっと見真人間に見えるが、生活力は皆無だという。住んでいたアパートの一室で何らかの呪物を扱っていた形跡が見られた。
A
語学留学生。卒業後そのまま地元で就職を希望していたが何故か急遽帰国することになり、結婚し母国の中国で幸せに暮らしている。ネットゲームが大好き。
S
音楽狂い。何を考えているのか、何も考えていないのか全く読めない。Aと仲が良い。本人曰く違法薬物に手を染めて以来、日本のあちこちを訪れては放蕩しているらしい。


次男坊。取り柄がない事を悩んでいる。兄の影響でヘヴィ・メタルを聴くことにハマっている。特にハロウィンが好き。

今から数えて5年くらい前に、名古屋郊外に位置するニュータウンに数多くあった団地(六つか七つくらい固まってあるうちの一つで、金に困っておらず人生の残り少ない時間をなるべく静かに過ごしたい老人たちが多く住んでいた)の中にひっそりと建っていた二階建ての一軒家から十数分の距離のアルバイト先で、腐れ縁と言うほどでも無いが多少のお付き合いをさせていただいていたCさん、Bさん、Aさんと僕の4人で、県内、県外でも知名度が高いらしい、心霊スポットの廃旅館がお店から車で30分程の場所にどうやらあるらしいことが調べたら分かったので、バイトが終われば退屈をしのごうと専ら近くに出掛けては理由もなくくだを巻くのにとうとう飽きがきかけていた4人は、気が向いた時にでも足を向かわせてみようということになりました。確か僕かBさんが最初に言い出して、名古屋を中心として愛知県内に廃墟・心霊スポット、それに類する名所が意外と多く点在していたので、適当に順番を決めて、周ってみよう、だいたいそんなような話だったと思います。

朝  
遠く離れた方から聞こえる鳥たちのせわしい囀りで目を覚まし、何かが飛び散って茶色い染みがついていたカーテンの隙間から窓の外の庭の方を見ると、多量の水分を吸い上げ膨らんだわた雲がのっそりと青い空を覆っています。役目を終えてまばらに色が褪せ始め枯れて固くなった草花や、さして広くもない庭に一本だけ生えていた中くらいの高さの琵琶の木のつぶつぶとした表面と、しなびた枝や、正体の分からない獣に齧られて落ちて腐った実に、暖かみのある灰色の日の光が斜めから躊躇いがちに弱々しく注いで反射し陰影が重なり合って、砂糖菓子かイソギンチャクを彷彿とさせる規則的な斑点模様の渦を巻いていて、その細やかな模様が太陽の上昇に伴って僅かずつながら旋回し庭のあちこちで網を結んだり、ほどいたりする奇妙な光景は一瞬だけ雨が降っていると脳が勘違いを起こし何故だかやるせなくなってうなだれると、針で刺したような不快感が足の爪の先を引っ張っていきます。
柔らかい枕の側に置いてあったチタン製の小型電波時計は眠りこけているうち、何かの拍子にひっくり返って転がり壁掛けテレビの方を向いていて、深い溜息をつき、布団にくるまっていたスマートフォンを手で掴んで引っ張り出し時刻を確かめると、朝7時20分を過ぎかかっています。微かに黄色がかった天井にへばりついていた頭と、寝過ぎて腫ぼったくなったまぶた、口のまわりについた涎の渇いた痕を拭って、足先の痛みが引くのと朝のどうしようもない陰鬱さを落ち着かせようと一本だけ煙草を吸おうとして思い直し、おもむろにふらつく足取りで起き上がり、買ってから一度も手入れしたことがない筋肉トレーニング器具や余っていた布団、趣味の悪い形の使い込まれて反発が弱くなったクッション、読むのに時間がかかるからとまだ全く手をつけられていない本などで散らかった部屋の、お下がりの椅子にかけておいていた、慣れ親しんだ黒いスキニーズボンと仕事用のジャケットに着替えて、丈の短い靴下を履き、二歩歩いて戸を開けて居間と台所へと出て、かなりお腹が空いていたので古びていた冷蔵庫の中を開けると食べれそうなものはなく、黴が生え陥没して青黒くなっていた薄切り食パンのまだ食べられそうだった見た目をしていた硬い耳の方の部分を一口だけ齧って口に含み、後ろにあった可愛らしいアンティークだがどこか抜けた感じのある食器棚から透明なコップを取って、水道からコップ一杯の水を汲み半分くらいパンと一緒に飲みこんで、上がった手の温かみですぐに生温くなった水の残り半分は流しに捨て流した。洗面所に行って、渇いてざらついた石鹸をお湯でゆすいで顔を洗い、毛先がぼうぼうになった歯ブラシを新しいものと取り替えて、九十センチくらいの長さの鏡で自分の顔をまじまじと見つめながら歯を磨いていると、雨が降っていたのは目が覚める直前に見た夢の中だった事を思い出しました。
ひと通り最低限の簡単な身支度を済ました後、湿気で傷んでいる磨りガラスをあしらってあった木の扉を開け洗面室から出ると、その時ちょうど5歳になるかならないかの猫が知らん顔でそろそろと歩いて僕の前を通り二階へと続く階段の前で腰を下ろし、器用に首を縮めて毛繕いをしています。一舐めするたびに、生え変わったばかりの毛がふわふわと揺れながら、宙を彷徨っていきます。何かかけるべき言葉、今のうちに話しておかなければいけなかったようなことがたくさんあったような気がして結局、その一連の動きを注意深く観察しながら口を噤み、黙ったままでいました。
僕「…。」
6畳の畳部屋の前の木板張りの床に、水飲み用のものと二つ揃えて置いてあった軽い素材で出来た皿に、家に誰もいない間腹を空かせないよういつもより少し多く清潔な水と餌を準備すると、猫はちらっと上目遣いをして退屈そうに伸びをし、おずおずと水を飲み始めます。まだ起きてくる様子のない家族を下手に刺激させないよう気をつけてくたくたのスニーカーを履き、お古の青いリュックサックを背負い、重たい玄関ドアを押し開けて出ると、外はまだかなり暑く、人がいる気配もせず、さっきまで辺りで不思議な声で鳴き続けていた鳥の鳴く声はいつの間にか、もう聞こえてきませんでした。
用心していたのにも関わらず握ったドアノブがブルブルと軽く撓んだ後、ガチャッと他人行儀で、少なからず大きな音を立てて玄関のドアが閉まって鍵を掛けた。今日はアルバイトの日だった。向かいの家を見ると、派手な色の高級車が停まっている横の膝くらいの高さのコンクリート塀の上で、素晴らしく丁寧に手入れされた生け垣が朝露に濡れ、競うようにありあまるほどの淡く濃い緑色を低く立ち昇らせてうちさざめかせ、ほのかな暗さを湛えて、なんだか良い香りを放っています。

家の敷地から出てすぐに、さっき窓から眺めた庭を勝手口の格子扉の隙間からさっきと違う景色を期待して驚かせないようにそっと覗いてみると、大きく目立つ模様は木の影の後ろに隠れてしまって見えず、かろうじて見ることができたのはまた戻ってくる時間までには見れなくなってしまうのが惜しくなるほどの美しく危うい太陽の光と盲目的に長く伸びた影の戯れで出来た棒飴の残骸のようなものだけだった。美容室に行って初めてしてもらったパーマがもし失敗してしまっていたらあんな風になるのだろうかと疑問が湧いて、急ぎ片足で自転車のペダルを強く踏み込んで漕ぎ出した。
団地内の住人達にとって車は無くてはならない貴重な移動手段で、自分の家の近くで時々1人や2人で歩いている人と出くわすと、皆んな貧血か笑うのが恥ずかしくて耐えてるみたいにそっぽを向くかのどちらかだった。家族で引っ越してきて初めて会った時は全員歓迎されているようにも見えた。何度目かの引っ越しで優しい嘘をつかれるのに慣れきってしまっていたけど、新しい一歩を踏み出すのにその身体と経験はいかんせん、軽すぎるようだった。なんとかその場だけ気丈に取り繕って、好奇の目で見られないようになった事だけがいつも救いだった。たまの休日に団地内にいくつかあった内の一つの公園で寄り合って、集まれば悪口しか出てこない天敵同士ゲートボールやソフトボールにおもしろおかしく興じる姿とか、そのうちの何人かが広大な畑を耕す姿を見かける事はあったが、ねんごろにする挨拶以外言葉を交わした事は無かったと思う。少し坂を下り、その門の奥に目立つように日本国旗を恭しくたむけてあった威厳のある平屋の角を曲がると、二番目の長い坂道が顔を出して、また幾つも数えられないほどの高級車が路肩に乗り上げておすまししていた。団地の中で半分以上が外国産と飛び抜けたシェアを誇っていたが、そのほとんどの車が右ハンドルだった。不安そうによろめく風が頬を掠めていった。こんなに家はたくさんあるのに余った車を止める場所がないなんて不思議な感じだと他人事みたいに思った。途中で転んだりしないようにグリップを握りなおすと、さっきの鳥がまたどこか遠くの方で鳴いたような気がして、鳴き声がした後ろの方を振り返ると、地域の何かを記念して建てられた大きくて威圧感のある総合病院が一人だけ病気にかかったみたいに陰鬱にひっそりと建ってあるだけだった。病院が開く数時間前からひっきりなしに車と人が駐車場に出入りし、いつも決まった時間にラジオ体操が始まった。昼過ぎに休み時間に入ると、近くの公園で看護師たちが開放的にタバコを吸いに来て談笑し、仕事の歩調を合わせているみたいだった。ここ3、4年から最近に至るまで風邪その他病気にはかからなかったくらいに健康体で、日常生活を続けていくにはなにも問題ないくらいには体力と活力に溢れていて、自分か誰かに無理にでも引き止めてもらわないとすぐにでもどこか違う所に脱線して行こうとするくらいには元気だった。艶めかしい黒色で横長の外国車がその貫録を見せつけるように団地内に進入してきて、僕のすぐ横を通り過ぎていったところで、スピードをほとんど落とさず右折し、狭い裏の道路に入っていった。郊外の団地とはいえそこそこ広かったから、どこに住んでいるのかまでは分からなかったけど、ナンバープレートを病的にただ見たりしようとするのはいつからか諦めていた。坂を下り終わって、低くなだらかに連れ立った山と山から出る霧と霞がかった田んぼ道を学校へと急ぐ明るい学生たちと自転車ですれ違いながら、真っ直ぐ突っ切って街の外れに向かっていった。

どんどんと進んで行った所で、市内を西に向かって流れる川に架けられた短い橋に差し掛かった。川は途中で交錯して地平線へと延びていた。岸一面に細長く先の尖った草が生い茂っていて、川底にたまった砂と泥のあぶれた匂いと、小石に張った水草の苔っぽく塩辛くて痒いような錆びた匂いがした。川の水は陽気な調子だが少しかさを減らし羊色に濁っていて、線に沿って格調高い響きを保ったまま、よき友人のような親密さで、気怠そうに、それでいて厳密に流れていて、夕方になるまで川岸で子供たちがボール遊びや釣りをしていた。いつもどこから来るのかは分からなかったが、捨てられて皮が裂け綿の飛び出た片落ちのソファに眠っていたホームレスの老人の姿を珍しく視界に入れることができなかった。大方、いつもより早く起きて、お金になるものでも集めにでも行ったのだろうか。夜になると橋の下に寝に戻ってくるのか、どこでなにをしているのか、地元の人間か、生活リズムと呼べるものがあるのか、普段の言葉が通じるのかすらも不明だった。彼にとったら仕事の意味を見つけるなんて川面に映って底に吹く石の数を数えるくらい楽な事なのだろうと思った。もしかしたら、もしかしなくてもそんな事していないのかもしれないし、そんな事するのが面倒だからホームレスになったのかもしれないが、そんな事は知り合いか、本人じゃないとわからないし、秘密なんだろうと思った。何世紀か前には勲章を偉い人からたくさん貰った偉い軍人か、もしくはポール・セザンヌの知り合いか、もしかするとポール・セザンヌ本人だったかも知れない...と邪険に僕は思った。
橋の下のアーチをくぐり抜け堤防道を外れ、片側が竹林になっているぬたぬたとした細い脇道を抜けて大きな通りへ出ると、森を切り開いて造った広場にショッピング店が集まっていた。ファンシーな100円ショップ、大振りな大衆居酒屋、服やカバン、靴などのビンテージを取り扱ったセレクトショップ、地元のスーパーも何軒かあり、週末になればそこに建っていたうちの1つの本屋兼DVDレンタルショップで映画のDVDを3、4本借りて飽きるまで観た。つい先週観た映画は新人の監督を起用し前評判もかなり良かったが、文化部で韓国人のさえない主人公が大量の暴走したメカノイドをバッタバッタと薙ぎ倒していくが、メカノイドを作ったのがいわんや所属している学部の教授本人で、世界の命運が危ぶまれる中、暴走を止めるために破壊を続けるか、共存するか人類の命運を賭け専門家たちといつの間にか大学に場所を移しいつも以上に白熱した議論を繰りひろげる...そして大学教授と主人公のガールフレンドとの不倫が発覚し事態は急展開を迎えるーーーという今日日尖ったテーマの教訓めいた映画は中弛みもせず、アタリに入る部類で、後半まで笑えるシーンが多くて返却するまでに何回も繰り返し観てしまった。続編が作られると噂があったが真相は定かではないし、映画に限らず僕も含め誰も真に受けて楽しみにされる事はなかったし、信じていなかった。
予定が合った知り合いと連絡を取り合って、チェーンのイタリアンに集まって誰かが話を切り出すまで安いボトルワインとセットのサラダを喰みながら、いざ話を切り出せばしらふで出来る限界まで、ほつれて取れた服のボタンを拾うみたいに顔も知らない知り合いの知り合いの相談とかまかけをしあったり、ほんとうにくだらない気に食わないやつの悪口をえんえんとむせかえるまで叩き合ったり、可愛いウェイターがいると他に分かるように目配せしたり、まずい顔を向けたりして、ウェイターがそれに気づいて険しい表情をするのを喜んでニヤニヤして誤魔化したりするが、最後にはいつも極端に乾燥した人間関係の苦労とあらかじめ決まっていた分だけのありがたみと似合わない出世欲を互いに分けあったりするのが常となっていて、やる事が無くなったり、すっかり予定が合わなくなってしまうと当時兄弟と割り振った部屋の中で語学や数学の勉強をしながら、お笑い芸人がパーソナリティを務めていたラジオでカレーを作る時に牛肉と豚肉どっちを使った方が美味いのか詩的にがなり合うのを聴いたりして時間を過ごしていた。いよいよ本格的にやる事が無くなったらスマホのメモなんかで日記のようなものを書き耽ったり、気分を変えるために情緒豊かな地方の古い企業コマーシャルを流して、最初だけ読んで読みかけだった簡単な内容の本の続きを読んだり、携帯でソシャゲを気が済むまでやったり、友達と駄弁ったり、市営のプールまで泳ぎに出たり、筋トレをしたり、飽きるまでビートルズとかダフトパンクで踊ったりした。
気が向いたら家の外へ出て道順も決めず、理由もなく家族に苛立って、ただ車と人と、ありとあらゆる刺激を避けながらぶらつくだけの散歩をしに昼でも夜でもなりふり構わず何度も外に出かけた。。金が無いからか、なぜだか車は好きになれなかった。15時半頃が特にお気に入りだった。物体という物体が持つホワイトが否応なく破綻を起こし、その時間にしか摂取できない栄養が色々とあるのだ。なにより散歩をすると嫌な思い出とか、自分のどうしようもない幼さとか、黄金色に輝く醜さを意識しないで済んだ。悲しかったり憎らしかったり、どっちともつかずで思わず笑ってしまうような感情未満の何かがなにも成さず冷め溶けていくのが嫌で、どこかに決定的な線を引かなければならない義務感とみっともない叱咤で埋め合わせたいだけなのは分かっているつもりだった。自分ではそんなに意識して散歩してないつもりでも結構歩いていたみたいだし、それで結構良い運動と疲労を感じるための遊びになっていた。それで気づいたら元の道に戻って来ているという事がよくあった。夜になるまで歩いて、鈴虫が草むらの陰でよく鳴いていた。部屋の中にいる際に想像する外の様子と、外にいる時に想像できる外にも、驚くような差異を見つけ感じることになるから不思議だ。人や時間帯、その時々の体調、機嫌などによって感じ方は千差万別だが、でも大抵の場合、驚きや短い放心があっという間に過ぎ去った後すぐほんの少しの動物的かつ獣じみた身体の感じ方、汗が首もとから背中にかけて暖かいまま伝わって行ったり、瞼の裏の神経が敏感に光に反応して痙攣しているのに気づいたり、良いか悪いかなんて考える暇もなく文字通り気配すら感じさせず眼前まで迫ってくるような物の見方をし始める事になるのを楽しむ余裕も持っていた。その感覚がとても好きだった。外に一歩でも出てしまえば、自分以外の他人にただどこそこかで出会うまで、自分が理性のある人間で、動物的な感覚の持ち主でもあるという事実もつかの間丁重にお断りを入れる事になってしまうことは避けようがなかった。それまでの道のりは途方もなく長く、奇妙な程アンバランスで他人を寄せ付けないが俗っぽすぎる寂寥感と、余熱で化膿しねばねばした溶液を休むことなく、失禁でもするみたいに、断続的に次の日とクリスマスめがけて吐き出し続けていた。

一体いつから、そして何故、僕自身が外に出掛けなければいけないと強迫的な倒錯を起こしていたのだろうかという疑問と思い出を少しでも差し挟む余地を外は与えてはくれなかった。無意味な時間を過ごしてもいいとまだ思えた頃の友人達のせいだろうか?それとも僕自身の存在自身によってだろうか?僕や僕のご先祖様達が生まれるずっとずっと前、地球があるか無いかも分からない時分から外や、人の声の優しさや誉れある筋肉のように低く官能的に、時に心に浸るように幼稚に、踊り跳ねるように唸りうねる風はきっとあったのかも知れない・・・と途中の自販機にあったペプシを買い開けて、餅でもこねるみたいに無難に思いを馳せた。風が吹くのに因果は不要なのだ。いつまで経ってもさえなかったが、英語の成績は良い方だった。
団地の丘を下りきって、来た道を直角に戻るように進むとあった広い砂場のような場所を気に入って何度もその周りをぐるぐると周った。そこには古い枯れた井戸もあった。星以外何も見えない道にただ寝そべって何も無い時間を星達と一緒にぼーっとして眠らずに過ごした。真っ暗な道をライトも着けずに通った自転車に片手を轢かれて後悔してもしばらくは星の観察をすることに執着した。たまになんの前触れもなく流れ星が空に線を引いて、見つけるたびに節操もなくいちいち感動して興奮していた。
もっと不思議だったのはしばらくすると部屋の中にいて、いるべき場所にいても外に出る理由がどうやっても、隅の隅まで探してもなに一つも見つかりそうになくなってしまった事だ。僕の考え方が社会によりよく適応するためにただおとなしくなっただけなのだろうか?実感とか感想は喉につっかえたみたいに出てこなかったし、大人になっていくにつれて「外に出る理由」は、お人形さんみたいに愉快になって冒険の主役から飛び降り無言で、部屋以外のどこかへと不確かに消え失せていってしまった。後味と妙な始末の悪さだけが誰もいない部屋と部屋を繋ぐ廊下に浅黒い血だけを残していった。

広場があった通りの反対側には、盛った土の上に植えられた街路樹と、新しく住人を募集する看板がいくつも立っていて、乳白色の漆喰を厚く塗った壁と、シックな瓦を何層も重ねた屋根を基調とした新興分譲住宅が並び建って臍を嚙んでいた。その殆どが似たり寄ったりな駐車場を備えていた。中には三角形の窓がついている家があったり、タイルの屋根に煉瓦造りの煙突がすわっていたりしてとても茶目っ気があった。家と家、壁と壁の空間が広く開いていて、朝の太陽の光線に晒されて煙を飲んだような桃色に馴染んでいたが、新しすぎるせいかなんとなく色違いで、人を阻むような雰囲気になっていた。
その新興住宅地の中程にある錆切った鉄柵で囲われた貯水池を境にして更に奥(西)へと行くと、車を整備する小さな工場や、楽器を持ち込んで演奏出来るトタンで作られたスタジオがあったりする。町の隅の方に追いやられるようにあった、他の建造物と比べて幾分堅牢そうな、老いぼれた見た目の駅と環状線が走る線路の方に近づいていくに従って、段々と人が居着くような民家が少なくなっていく。地方から来た大学生が住む横に広いか縦に長いかのどちらか背格好の似たような格好のアパート、ファミリー層向けの家賃の比較的安い賃貸マンションが多く建つようになって、昔からある神社仏閣や、必ず200m程の間を空け十字架を高く掲げた教会も林立していた。どこの家の窓も引きものが下りたままになっていて、中の様子を伺ったりすることはできず、とある白く四角いマンションの入り口付近や上階へ上がるための階段は鉄骨が剥き出しになっていたり、ところどころ塗装が劣化し剥がれ煤汚れていて、それを隠そうと屋上から巨大に広げたブルーシートが垂れかかっていたが、それもところどころ破れていた。二言なき田舎だった。娯楽するスペースを潰しまくってできたのも同じような田舎だった。それは過去そのものを生産する速度と強度をより良くする物だった。人は1人でいると大して難しく無いものをそのまま受け取ったりせずよりややこしく考えてしまうものなのか?それはあきらかに訂正されるためや語りかけられるために残されているわけでは無かった。朝は人を低く騙しとって見るのにとても適していた。それにしても、東京といった都会のド真ん中と違ってそういった良心的では無い暫時的な行為の風光明媚な堆積も限りなく縮まって何故だか元気を無くしているようだったし、高層ビルの真下の通りで人知れずヌメヌメテカテカしている人にべっとりと声をかけられたり、紫色の怒号と野次をどこかからか浴びさられたり、テラテラしたタワーマンションに見下ろされて空気が薄くなって心臓が早鐘のように打ったりするような事もないし、都会特有の後に引くような騒音に悩まされることもない。(早い話が細菌をばら撒きたいのかもしれない)よく言うなら緑が多いどこにでもある街で、悪く言うなら脚が一本余分に生えた蟹みたいだ。
全国的に展開しているらしい葬儀場と歩道橋を横目にして、自転車の速度を落として時差式の交差点に差し掛かると、また何人かの人とすれ違う。腰を反って目を地面に這わせながら歩く人や、疲れ目で泣きかかった赤ん坊をあやすみたいにヨチヨチ歩く人がいて、僕もそれを真似してみようと考えてみる。朝という時間は夜よりか人を観察するのには不向きな時間帯だ。そもそも何もないのにジロジロ見られたりしたら人は普通警戒する(もちろん例外もない事はない)し、目を覚ましてから少しの時間しか経っていないからか、噛み終えたガムを吐き出すために取っておいた包み紙みたいに顔や歩行の表情が限りなく乏しくて身体の輪郭と境界線が不自然に強調され曖昧だ。必ず身体のどこかしらに尋常じゃないほどの力が入っていて、しらけた空白を埋め合わせようと隣人愛と腐臭を振り撒いている。情報が何にも、遮断されることなく複合的で、且つ形而上学に活動の範囲を広げ続けていた。横断歩道の向こう側に、僕がアルバイトを始めてから半年ほどで撤退して空き店舗になったコンビニエンスストアの跡地があった。自分自身以外の他人の想定が充分になされていない場合、建物が一つ建ったり打ち壊されるだけで理想の生活といったものや、社会の中で確信されるに永遠に至らない生物学的な帰巣本能などによって都合よく切り取られるだけの自己充足的で人工的なリアリティーなんてものが簡単に瓦解するものだと思い知らされる。そのすぐ前にたくさんの人が身動き一つせず、いきりたった肩を揃え、其々の人生と抽象的な朝の残滓を飛び越えようとするのを待つ人たちと向かい合った。海の中を静止しながら漂う鯨の群れのように見えたが、大きいが温厚そうな鯨や、獰猛な鮫や、他の海中生物が普段どうやって活動しているのか僕はまるっきり知らなかった。(鯨は哺乳類だ)事故を起こす事なく駅へと人を運んでいる満員のバスや、送り迎えのための車で身悶えするように渋滞していて、耳を澄ましてみてもモーターがカラカラと空回りする音以外はなんの音もせず、気味が悪くなるほど静まり返りかえっていた。古代の、滑稽さを感じ取る感覚器官だけが独自に発達と発展を遂げているみたいだった。いつものくだらない想像に陥ったお陰で、真鍮で出来た王冠かバケツに入ったかなりの量の油でも一気に頭に食らったみたいにまた少し頭の左側が痛くなって、一瞬だけ冷めたような驚きの目つきで自分と交差点の周りに溜まった人達をじっと庇うように眺めた。誰かから見られているような視線を感じて、視線の元を探ろうと横断歩道の向こうから僕を見ていた人達を見返して、その中でも特に目立っていた1人にぴったりと機械的に焦点を合わせた。目と目が合って、いきなりどんぴしゃだった。男は僕を見ていたのを恥ずかしがったり隠そうとしたりもせず、変わらず僕を向こうから見つめていて、少したじろいでしまった。サラリーマン風の男で、黒のスーツを着て、前髪を短くしたオールバックのような髪型をしていた。背が高くて身体の芯が太く頬骨が高かったから、サングラスをかけさせたら案外似合うかもしれないと思った。僕が視線を送っているのに男が気づいた後、たぶんなんと無く相手も気づいていて、誰もそれに気づかない一瞬だけぎこちなく視線が合って、それに負け男の方が先に視線を逸らして、僕も視線を用紙で折った紙飛行機を飛ばすみたいに中途半端に空の方にやった。少しずつ雲が微かな風に吹かれて極限までぬるまく翳った街にだけ都合よくぽっかりとその大きな影をかざしているといったふうに、間抜けそうな顔をして次から次へと準備運動をしているだけだといったような大きな灰色の雲と、100年生きた亀が思わずウインクを催してしまうようなただただ長いだけに感じられる時間に、街の人々は純粋な憎悪だけを持って、感情の周縁に放ちきった後の祭りを巡っているように思えた。動物的で適度に整理整頓された、恥辱と傷を自ら抱えこんだことによる日和見主義と進捗のない私生活をどこの馬の骨とも知らない他人に同一視されたくないのだろう。

なんの役にも立たなくなったと一時的に判断を下されたうつろで不必要な情報、形骸化することのみでしか実質を射ることの出来なかった慣習法と、占有と時々の交換(交換なんてものが当時から可能だったのか今になっても僕にはわからない。交換するものがどうとかという意味を除いて欲しいと願う)によって生き延びた悪しき伝統に結びつき果てしなく増大するだけになった純粋な、やがて吸い上げられ燃やされるだけの余分な脂肪の塊が、誰もが待ち望んでいる、まだ見たことのない生命の過程と同時に起こるだろう歴史の終焉へと私たちの存在をすり抜け横切られ、幾何学へと帰って行くのを待っているだけのようで、僕たちがそれをありがた迷惑と過干渉、労働によって参照されるだけされてもぬけの殻になった街を支えていた。もし街から人間が1人残らず消え去ったら最初に何が街を満たすようになるのだろうか?信仰心だろうか?だとしたらイエスキリストはエゴイスティックすぎるだろうし、モラリスト過ぎるだろう。あるとしたら一体何に対してだろうか?対象があるとしたら一体どんな形式があるのだろうか?過ぎ去ってしまって時々都合よく摘んで記憶の中だけで虚しく弾けるように顧みられるようになったような時代性だろうか?何もなくなった空間は哲学するものにだけ与えられるべきものなのか?そんな前代未聞の事態に巻き込まれでもしたらきっと今より哲学する機会に恵まれるだろうといつもらしく能天気に考えていたら、ねずみが罠にかかるより速く僕を突き貫き染まっていく瞬間を逃してしまったと確信するのを早めた後で、復活への衝動や、かなり毒っぽい空気の澱みや、自分自身の軽々しい行動の結果や兆候なのだと二重に後悔を迫られる事になった。バカが考えられる権力の地平なんてこの程度だ。大抵は貧しいインテリ性を負けることが分かり切った賭け事の足しにしようと右往左往し始めているのがオチだからである。
この街自体が砂漠が化けて出来たものなのかも知れないと想像した。それを捕らえるチャンスは1日24時間の中で1回だけなのだ。どんなところにいて何をしてようが、どれだけ技術が発展しようがしまいが目を凝らそうが不思議にほんの一瞬のたったの1回だけ与えられるのだと僕は信じていた。そのタイミングも暴力的なまでに無作為で、ランダムで、それによって得られるものに納得しようがしまいが残念がろうががらまいが、命をかけようがかけまいがあとはほったらかしだが、こんなに早い時間でも来る時は来るのであった。街は高らかに人間よりも巨大なように見せかけていて、いつだって3人称で、今日こそはと街の真ん中に立っていても、自分という概念がそこにあったかもしれない微妙な感覚のずれが「質問」の皮を被り、均衡と不均衡、平等と不平等で硬直している現実に挟まれ押し出されて、いつか自分を追いこそうと不格好に、初めより気付かれにくく自分から黒く塗られ、自身の生誕という最大の失敗と歴史の清算を以前よりももっと酷いやり方で、至る所で拡張、複製しようと、やっとの事で這い出してくるのだ。資本主義の爆発的な原動力に従い近代に到達したと安心しきった後で、たった1人の自由を保証する自分以外の単一の資本家と絶対的な権力者が死滅している、実は、というかずっと、魚が住む水槽の横っ腹に大きな穴が空いているだけだという簡単な事実と議論はいつの間にか、集団的な被害妄想以上のものになる事は出来ず、虚しい街の何にもその役割を果たしたものを見て取ることはできなかった。
元々時間に真面目ではない自分に余計ないつまで経っても出来そうにない反省と自制を促される事になった。そんなもの、意味なんてものがもう無いと分かっていても、袋小路欲しさで逆行の度合いをより強めながら次から次へと飛び込めそうだと分かった瞬間にどこへでも、何にでだって時差なしで飛び込んでいく。どこへでも向かう安易な道は仏教、仏陀的な早とちりと綿密に構成されたように思われる無意識的に起こる勘違いで構成されており、事が終わり帰る道はキリスト教的な聞き心地の良いカタルシスと決まりきったポエム、最初から壊れていた人間性の欠片や自分が自分の人生を生存し始めてから僅かしかない時間で編み出された性格らしき奇妙なものと、人間の存在の脆さを再生産して再発見するという安っぽい謎と、それに類する不審な挙動、薄っぺらい嘘に必ず重ねるほろ苦い期待でいっぱいだった。街は幾度となく繰り返したであろう、病まぬと誓っただろう後の祭りに耐えうるだけの清潔さとノミを振るわれる正確さのみをじっと動かず必要としているようにも見えた。
そもそも、だらけた自分にただ怒る事と反省をするのは混合しがちだがまじめくさって測るには気が引けて煩わしくなってしまうほどの隔たりがあるのだ。そのどちらの行為も、後者はやや注目され辛い傾向にあるが時間と場所を選んで、元々自分が持っていた何の変哲もない可能性の影響とその範囲に気づくことから始まる。我を忘れ只怒る人も必要に駆られて自分は他人に怒る人もいるが、あまり良い選択とは言えないだろう。怒る人は見かけによらぬものだし、ぱっと見ただけでは分からないことがある。怒るということは更なる自己同定の深みへと駒を進めることができる人間が持ち得た最も単純だがそれ故に難しい革新的な唯一のチャンスでもありうるが、例えば怒るということが私達に示してくれる多様な意味は、心臓がドクンドクンと拍動して血液を送るために弁が開いたり閉まったり拍動するのと大して変わらなかった。もっとも怒っている人がそれ以上の怒りや、才能を持った人、持たない人、感情が平均的に物に同化した人、関わりを持とうがも持たまいが関係なく蠱惑的に変形した風景に襲撃され跡形も無く、そして再び立ち上がれなくなるまで眩暈がするほど蹂躙されるのを避けられる根拠は全くどこにも無かった。戦争も同じで、感情の発露と同時に蒸発する思想の中心が出来る限り分かり辛く自身の注意から逸らされているだけで、本当はそんな事を呼び込んで完璧に、有無を言わさず整形されたファシズムの暗黙のベールより上にも首を揃えている救い難い、もちろん救えない、凡庸な悪の二項対立が猛威を振るう嵐になす術なく覆い被され埋まってしまうより前に他人に、何よりもまず自分に嫌われる以上の得になる事があると道徳の二の足をなぞらなければならないだろう。結局のところ最後はお腹が空いていても、寒さに凍える時でも、怒った時も、最終的にめくりめくる人生最大のチャンスに失敗した時も、成功した時も、誰かに恋焦がれて胸を張り裂け苦しませる時も、緊迫した二重生活を送っている時も、神頼みなのだった。一度でも折れて欠けてしまった歯などは、例えば月みたいに都合よく満ちたり欠けたりしないのだ。街に何かを見て取ろうとするそのはるか昔の観念から放たれた無気力という透明な糸に巻きつかれていた。ちょっとでも生の時間を無駄にしないために重要なのは、いの一番に教訓を得て刻み込む事ではなく、必要以上の覚悟でもなく、足りない脳みそを働かせる事でもなく、共感する事でもなく、振り返らず目先の事だけかき分けたりせず前だけをしっかりと捉えて、流れゆく人々の仕事と途方もない過ぎ去るだけの長い時間が心がある権力者か活動家にでも見つかってくれる事を少し期待して思い切るか、沿道にでもその腕を目立たないよう、犠牲を惜しまず太い縄で縛りつけておいて、地面に足を留めて折目正しく、そして深く頭を垂れておくべきだった。「無限の死を以って生のみを求めよ」だ。ドイツかどこか西洋の神学者か哲学者の言葉だった。家から交差点に着くまでの短い間に、汗だか身体のどこかからか噴出した水だか分からないものが耳に入り鼓膜に近い所でジャリジャリ砂が擦れるような音がして、とても不快だった。
自分以外の人が自分より何かに忙しそうにしているのを見ているといつも、胸にめり込むようなだるい甘ったるさとまぜこぜにしたような頭痛が少し治まっていった。仕事に限らず勉強でもそうだった。自分がバカなのが恥ずかしかった。これを自分より頭のいい人間たちへの嫉妬と呼べばいいか、お仕着せられたような貧乏から来る変な傲慢さとでも呼べばいいのか、孤独と呼べばいいのか、寂しさと呼べばいいのか、何も考えていないだけなのか、言い訳と大した事もない不幸を列挙したいだけなのかまださっぱりわからなかった。大袈裟でガサツな仕草や振る舞いも男に生まれ、若いうちだけの特権だと説得を試みたがいずれも失敗した。店に着けば、石にぶつかり割れて粉々になったガラスの破片を焦ってわざわざ一つずつ拾い集める時に感じるようなすこぶる虚無的な温度と、触っても手触りの無いなにかに悩まされる事も今よりは少なくなるだろう、なればいいなと、フォークギターのナイロン弦を下から上に向かって辿々しく辿るだけのように事は簡単には出来ていないのだと、できるだけ店に着いた後の事だけ冷静になって考えようと努める事にした。

歩行者用と自転車用の両方を兼ねた信号が青に変わって、車と車の間を縫って横断歩道を渡り終わり左に折れてすぐの場所にあったアルバイト先の駐車場に、赤いカラーコーンとボロのコンクリートの縁石で仕切られていたスペースの中に自転車を停めて店の中に入った。
自動ドアが開いた。店内は販売用冷凍ケースから押し出される冷媒、消毒用アルコール、パックされたコーヒー豆の強く薫る香りとペーパーの無機質な臭いが混じってむっとして痺れていて、窓から射し込む光が白い床、真白い壁、その周りを固めた商品を保護するためにかけてあった薄いシートに照らしているが、奥にあるバックヤードから少しだけ漏れてくる明かりのみでまだ仄暗く、入り口ギリギリまで荷台が並ぶ四つに別れた狭い通路のうちの一つを大股で進んで行く途中で、リュックが荷台の荷物が落ちてこないように閉めるための鉄でできた棒に引っかかって引っ張られ立ちどまらされたので、膝を折りしゃがみ込んでリュックサックを脱ぎ抱えて、平然としそのまま奥にあったバックヤードに進むと、バックヤードではだいたいいつも僕より遅れて後にやってくるSが珍しく背面にもあった食事用にしてはいくらか事務的すぎる見た目をしたテーブルの間にあった金物のパイプ椅子に座って旧いデスクトップパソコンを覗きこみながら、これから運び込まれてくる多すぎる量の商品リストのチェックをしていました。店自体もかなりの広さだったが、バックヤードもそこで作業が出来るようにかなりのスペースを誇っていた。10人以上はゆうに入ることができて、さらにその奥にまた大きな冷凍庫を携えていた。冷凍庫の扉とパソコンのデスク、壁の1箇所に、商品の予約注文を急いで書きなぐった小さな用紙がたくさんまとめられていて、もう一方のデスクの上にあったラックに代えようの新品の制服がビニールに包まれて新しく着てくれる人を待っていた。裏口は開いていて、真横にあった小学校に通う子供達がわあきゃあはしゃぎ回る大きな声と、子供達を迎える先生が子供達を追うように発する、挨拶を奨励する恐らく学校中の誰よりも大きい声が前衛的な音楽みたいに重なり響いて、一瞬どこかで聴いたことのあるメロディーに似ていると思ったが、もう名前を記憶の底から掬いだすことはできなかった。たぶんだけど、名前なんて無い方が良いだろうと誰かが思ったのだ。隣り合う店舗に物資を運搬する人のしゃがれた名古屋弁の、もし宇宙人に鳴き声があるとするならそうであろうと思われる掛け声(誤解を招く表現だが、似ているものは似ているのだからしょうがない。)、トラックが残飯を漁るみたいにそこら辺を駆けずり回る迫力のあるエンジンが駆動する轟音と、少し遅れてディーゼルの香りが焦げたような香ばしい芳香を放って時折こちらまでゆっくりと流れてきた。必要以上に懐かしくて、心を強く惹きつけられる匂いだった。曲がった背筋を正して、さっきの事故で肩紐が床に届きそうな程伸びてしまったリュックサックをぐちゃぐちゃにして、鈍重だが安心する印象を与えてくれるステンレスで出来たロッカーにしまった。空いて使われなくなったロッカーにはマグネットとシールでできた二種類のカラフルな彩りのステッカーに、今はもういない後輩たちに宛てて書かれた後輩たちへと太い文字で書かれた応援と励ましの文が所狭しと貼ってあって、その中の一つに何箇所かは年が過ぎるのと共に剥がれ落ちて扉自体が凹んでいるロッカーがあった。こうするのは今日で何回目だろうと、何度目かと変わらず意識の奥の方で湧いた既視感を、以前より同じようなやり方で訝しむことができた。途切れ途切れになった息を外の騒音に引き摺られないようようやく整えて挨拶をすると、Sがリストから目を離し振り返って僕の顔を見るなり向かい合って、

僕「オハヨウゴザイマス…」

S「おはよう。あれ?なんかあったの?」

僕「え?別に何ともないとですけど。」

S「本当に?」

僕「はい...息が上がってるのは…いつもより急いで来たからで・・・」

S「いや、そうじゃなくて…。何もないならいいや。」

僕「気になるじゃないですか。」

S「変な事聞くね。当たり前でしょ。いや、やっぱり大丈夫。そういう事じゃないよ。本当に。誰かと話してたの?」

僕「話してないですよ。そうですか?ならいいんですけど。」

そう言いつつ手の平で顔をさわって、目と目の間の付け根からやや左に寄るように曲がって筋が伸びた低い鼻以外は特段変わった事がない事を確かめます。細く切れた目が二つと、薄い口が一つ、顎のすぐ横にさっきまでは無かったニキビができかかっていて、泣きぼくろではないが頬骨には黒子もある。小さく平たい耳もきちんと2つついていて、かなり長い間ほったらかしにして太くなった眉毛がある。たぶんあと1ヶ月もすればつながってしまうだろう。飽きて吐き捨てるほど見た顔だ。他の人と比べてもかなり大きくて青白くなっていて、首も伸びたように見えチーズか根菜みたいになっている。前に僕の顔を西瓜みたいだと笑いを向けた人がいたが、チーズとスイカの組み合わせはないだろうと思った。

S「あ、そうだ。昨日から急にAと連絡取れなくなっちゃったんだけど、なんか知らない?」

僕「そうなんですか?いや、聞くのは初めてだったかと。トラブルですか?」

S「うん。え?いや違う。急にAと昨日の夜ごろに連絡が取れなくなっちゃっただけ。もしかしたらAは何かしらのトラブルに巻き込まれてても不思議じゃない」

僕「一度僕から連絡してみてもいいですか?」

S「いいと思うけど」

スマートフォンを取り出して電話をかけ少し待ちますが、電話局でストップされているようで、機械的な自動音声が流れます。

S「出た?」

僕「うーん。出ないです。繋がらないですね…やっぱりなにかあったんですかね。」

S「携帯の機種代えたとか、携帯本体をどっかで落としたとか。お金払ってなくて使えないか、何かの事情でネットに繋がらないっての方が可能性が高い」

僕「なんか、事件に巻き込まれたとか。…もしこのままAと連絡が取れないままとなると、Tも来なくなっちゃうかもしれないです...スネちゃって。ただの通信会社の不具合か、電波の不調かなんかだと思いますけど。充電器壊れて充電できなくなってたりして。電源つけっぱなしだとその分消耗も早いですしね」

S「心配だよね。でも、ちょっと気になることがあってさ…。たぶん、今回の事とは関係ないと思うんだけど…」

僕「?」

Sは、普段の神妙な面持ちをもっと神妙にさせて、デスクの上に伏せて置いてあったiphoneを手に取って、僕の手に渡します。

S「これなんだけど」

僕「画面、見てもいいんですか?」

S「うん、いいよ」

ゆっくり画面をスクロールしていくと、

僕「...。」

S「…。」

僕「…途中でメッセージが送れなくなっちゃってますね」

S「うん。それでかなり焦っちゃって」

僕「原因は何だったんですか?」

S「わかんないけど。これから行く所はこんな感じですよ〜って情報交換してたらいきなり。でもこんな急にエラーが出る事あるんだね。」

僕「確かに。変ですね」

S「変だよね。画面押しても押してもうんともすんとも言わない」

僕「かなり変ですね。アプリ側の問題かもしれないですね...」

S「この画面なんだけど、もしかしてこのまんまにしといた方がいい事あるとかそんな訳あったりしないのかな…」

僕「それは無いと思いますけど。原因が分からないままだったらショップの店員さんに聞いてみた方がいいんじゃないかなと」

S「そういう所だけ嫌に冷静だよね」

僕「連絡自体は取れるんですよね?」

S「まだメッセージの機能は死んでないみたいだね。」

僕「良かった。そういや写真みたいなのめちゃくちゃ送られて来てましたけどなんですか?」

S「ああ。今日行く場所以外にも有名な心霊スポットが結構たくさんあって、その写真だよ。」

僕「へえ。見ても良いですか?」

△△「何してんの?」

と突然背後から声をかけられ驚き振り向くと、パートさんが怪訝な目をして僕らを睨んでいます。彼女はこの店の最初期からいるパートさんで、襟元辺りまで伸ばしたストレートの茶髪で、痩せすぎてはいないと言うくらいには痩せていた。Sとパートさんで店の中の業務でできない事は殆どなく、かなり責任感の強い職業的な割り切った性格だったが、人当たりとちゃっかり面倒見が良かったので、他のアルバイトや上司からも好かれている人物だった。

僕「あー、なんだ。△△さんか〜。」

△△「誰だと思ったん?」

S「驚かせないでくださいよ…」

△△「驚かせるつもりではなかったんやけど」

S「いやいや、今のは絶対僕らを驚かそうとしてたやつですよね」

△△「ちゃうって。話すのはええけど、はよしいやって文句言いに来た」

S「そうだね。とりあえず、後にしよっか」

△△「またいつものメンバーでどっか行くん?」

S「いや、まあ、はい、そうですね」

△△「ええけど、人足りなさそうやったらちょっと手伝ってよ!」

S「全然良いですよ」

僕「手伝いますよ」

△△「今日も荷物いっぱい来るらしいで…。ほんま頭おかしくなりそうやわ...」

バックヤードに設置されていた誰かの話によると2004年製らしい白電話の、オレンジ色のディスプレイが静かに明滅した後、噛み付くような着信音が鳴り、Sが受話器を取った。店の常連さんから商品の注文の電話だろうと推察した。そして伝えられた商品をメモしていた。そこで話は一旦中断して、店はちょうど開店何周年かの記念セールの真っ只中で、ここ何ヶ月かの間で同じ地元の他店舗と比べても異様とも言えるほどの売り上げを叩き出しているらしく、パートの△△が上機嫌な様子でバックヤードを出て行った。僕はSが電話を取っている壁の横に埋め込んであった店中の全ての電気のスイッチを入れ、ロッカーの横にあったパンパンに中身が入ったゴミバケツをどかして作業用のエプロンをつけながら、仲良しにしても男達だけで心霊スポットに行くなんてあんまりにも子供っぽいから、3人で裏でも合わせて盛り上げようとしてくれたのかな。なんでやねん。と大袈裟にかぶりをふって、大きく深呼吸をし、Sの横顔を猫背で見送って、急ぎ足でバックヤードを後にして、商品が並ぶ売り場へと出ていきます。




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