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7月13日は津島善子(ヨハネ)の誕生日

前書き
本日7月13日は津島善子(ヨハネ)の誕生日である。
この機会に自分の津島善子に対する思いを書いて残しておきたいと思ったので、書くことにする。非常に個人的な解釈が含まれる上に、記憶違いもあると思うので、もし読まれる方をそこを念頭に置いたうえで読んでいただけると幸いである。


こういう記事を書こうと思うくらいなので、私は「Aqours」のキャラの中で一番ヨハネこと津島善子が好きだ。なんならラブライブの全キャラクターの中で一番好きだ。もちろん優劣を決めるつもりはないし、みんな素晴らしいキャラクターだと思う。ただ、自分の中で興味深いなぁーと思う部分が多いのがヨハネだった。

確かアニメ一期五話だったと思う。ヨハネの独白というか、幼稚園くらいの回想が入るのだが、幼い頃の自分は「天使」だったけど、成長するに従って自分が「天使」ではないことに気がついて、「堕天使」を自称するようになるという経緯がまず面白い。ここでいう「天使」がどういうものを指すのかは作中では詳しく語られていなかったと思う。ただ自分も見ていてわかるなぁ、と思ったのも事実だ。

自分は幼い頃は「仮面ライダー」とか「ウルトラマン」とか「巨大ロボットのパイロット」になりたかった。だけども当たり前だが、成長するに従って、そういう思いはなくなっていくし、今となっては当時の自分が本当にそんなことを考えていたのか、それとも今の自分がこういう子供だったよな、と定義しているだけなのかわからない。もっともそんなことをわかる必要もないのかもしれないが。

私にとっての「ウルトラマン」がヨハネにとっての「天使」だ、といいたいわけではない。ヨハネにとっての「天使」のイメージはあまり語られていないし、そもそもヨハネは自分のことを「天使」と思っていた女の子なのだから、私とは違う。

多分、私はヨハネの悩み、「私は幼い頃は天使だった(天使だと思い込めていた)のに、天使じゃないと気づいてしまったから、堕天使っていうキャラを演じているけどそれってすごくおかしいことをやってるよね。というか、そもそも私クラスに馴染めていなくて学校にも行けてないだけどこんなことやっていいの!?」という悩みに共感と憧れがあったように思う。

なんていうか、こういう「中二病」のキャラクターで、「中二病」をやっている自分に迷いがある、というか、「いや、それっておかしいよね」という視点を持っていることが当時の自分としては目新しく映ったし、「中二病」が流行っていたからそういうキャラが増えていた、といえばそれまでだけれども、自分が仮に「中二病」を演じているとしたらそういう自分に疑問を持たないのはおかしい、と思っていたので、自分で自分に対して「堕天使ってなにー!?」と、突っ込みを入れているヨハネに、そうだよな、そういう感想になるよな、しみじみ納得したものだった。

もちろん、ギャグとして面白いというものもあるが、親近感やヨハネというキャラクターに立体感が出てたのでいい設定だったと今でも思っている。
別にヨハネがそう思っているわけではないのかもしれないし、「ヨハネ降臨」とか言っている美少女に共感するなんておかしな話かもしれないのだけども、「自分がどう生きていくか」ということに悩む普通の女の子なんだな、と思うとなんだか興味深く見れた気がした。

一方で、こういう悩みが持てること自体なんだか憧れがあった。だって自分はそもそも幼い頃に自分は天使だった、という自意識は持てなかったから。だから、今天使じゃない自分に葛藤するという悩みをヨハネと違って持つことはなかった。
見ている当時の自分は成績とか、友達や親との関係とか、悩みはたくさんあったけども、そういう問題を棚上げして、アニメやゲームをやって課題をやって友達と遊ぶ、どこでもいるような学生だった。

そういう自分からすると、自分が「天使」だと思えた過去がある、ということが羨ましかった。自分は特別な人間であるはずなのに、そうじゃない自分に悩む、というのは「山月記」の李徴みたいな悩みでもあるけども、カッコイイ悩みだな、と思った。「だって自分がどのように生きるのか」ということを考えているのだから。
そういう次元の悩みよりも目の前の課題とか、人間関係をこなすことに精一杯だった私はヨハネを見ることでどこか癒されていたのだと思う。
これを癒しという肯定的な言葉で語ることは可笑しくて本当は「逃避」とか、「他人」、それもアニメのキャラクターに自分を仮託した精神的な自慰行為と呼ぶべきものかもしれない。

アニメ二期の「Saint Snow」との絡みでもそうだったけども、津島善子の常識人であるところが好きだ。常識人でありながら、楽しんで「ヨハネ」というキャラクターを演じているし、周りもそれを突っ込んだりしながらも受け入れている環境がいいな、と思った。

「幻日のヨハネ」のヨハネも好きだ。特にゲームの「幻日のヨハネ - numazu in the mirage -」のヨハネのストーリーはよかったと思う。
気が向いたら別で語ってみたい。

私はこれから10年後、20年後も「ヨハネ」が好きでいるのかはわからない。というより変化していく人間なのだから、ひょっとしたら存在も忘れて「あぁ、そういうば好きだったな」くらいになっているかもしれない。
別にそうなっても問題はないし、そういうものかな、とも思う。
でも、それはそれで寂しいかもしれない、と思う気持ちもあるので、思うままに書いてみた。
来年は誕生日イベントに当たるといいな、と思う。
遅くなったけども、津島善子ハッピーバースデー!生まれてきてくれてありがとう。


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