女児の恋におまじないが毒となった話
私は教えてもらわなくても自然と理解していくタイプではないので、恋愛が人間関係の一つだということに気づくまでに20年掛かってしまいました。
今回はそれをおまじないのせいにしてみたいと思います。
女児の頃、一日の中でいちばん好きな時間だったのはお風呂に浸かる時間。風呂場ではアイデアが湧きやすいと言いますが、密閉された場所であるぶん、夢想にアクセスするには丁度いいのです。
薄ピンクの大理石柄の湯船で蒸気に包まれると、乙女の気分が高揚していきます。一人っきりの甘美な世界でおまじないの本を何十回と繰り返し読みました。
私が愛読していたのはこちらピチブックセレクション発行の女児向けの書籍。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784052013720
見ての通り、当時からしてもひと昔前な絵柄で(2000年発行だった!)
複数人のイラストレーターが参加しているのですが、私のレトロ趣味の原点にもなっています。
成人してから探し出して新たに購入したので今も手元にあります。
おまじないの魅力は何よりもまず可愛いことです。
体の部位なら、耳たぶや小指。香りならローズやレモン。月光、朝露。使う道具が悉く甘美。
ただこれ、簡単には実行に移せません。家族に自分の恋愛事情がバレるのは絶対に避けたかったので、赤と青のボタンを赤い糸で括ったお守りを作るには親の車で手芸屋さんに連れて行ってもらわなくてはいけない。
代替品ではいけないし、1cmだってずれちゃダメなんです。思うに、寸分違わず完璧に遂行するということの美学がおまじないにはある。
ちゃんとした自室もなければ防音の壁もなかったので、「時の神クロノスよ。宇宙を動かし、ときを動かし、彼に会わせたまえ」なんて唱えることもできない。(ていうか、要望デカすぎない?)
当然、相手や他の誰にもバレてはいけない。なのに恐ろしいおまじないがあって。
いやいやどうやって?あり得る機会としては、前後の席になって引っこ抜くか、他の人との話に夢中になっている時にこっそり引っこ抜くか。
それ自体難しいと思うんだけど、「クラスで大流行中のおまじないなんだけど」という文言からして、協力プレイが前提になっている可能性がある。引っこ抜くのが本人じゃないから、ごまかしが効く仕組み?
ともかくソロプレイヤーには無理そう。そもそもやっちゃダメなことすぎる。
風呂場だけがひとりになれる空間だったので、私がやっていたのはお風呂でできるおまじないばかりでした。シャンプーで彼のアルファベットを手に書くとか・・・
でも、毎日続けても好きな彼は振り向かない。薄々「やっぱり好きな人に接近してやるようなおまじないでないと効果がないのでは?」感じ始めたのです。
相手の髪の毛は手に入らないから、目をつけたのは自分の髪の毛を相手の靴に入れるおまじない。
チャンスは登下校と体育。これ実際やろうとすると難易度高いです。小学校は集団行動だし、緻密な計算と賢い計画ができないガキにチャンスは来ません。いつも一緒の近所の子と登下校時間の交渉をするとかできなかった。誰かに見られたらやばいし。
そう、気持ち悪いんですよ冷静に考えると。乙女色の眼鏡をかけているとわからないけど、気づかれたられっきとした加害行為になるじゃないですか・・・
甘美で、秘密で、慎ましくて、リスキーで。おまじないには少女を狂わせる魔力がある。
恋を進展させるためにおまじないを遂行することが目的になってしまった。
なんなら、黙っていて振り向いてくれない人と「両思いになる」ためには、まず会話を積み上げていくことが大事だと幼い私は気づくことができなかった。
これはおまじないのせいだと。「仲良くなる」や「魅力的な女の子になる」と「おまじないを遂行する」が彼を振り向かせるためのアプローチとして同等の実質的な価値を持つと思ってしまった。
その中でおまじないという努力の手段を選んでしまったのもおまじないの乙女チックな甘美の引力のせいだ。
"恋に恋する乙女心"は簡単にストーカーにさせる脆さがあるんです。
まあ、ちゃおから人間関係を学ぶこともできたわけで、私の気質のせいですね・・・
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