「好き」で食っていくということ

伸ばし伸ばしになっている、久々に特に理由なく遠出した話は次回くらいに…
実は、最近、過去に芸能活動をしていた方と一対一でお話をする経験がありました。その中でありありと感じたことを、芸能活動未経験で、しようと思ったこともない私の視点で書きます。
このnoteで度々出てくる砂糖(仮)さんは、正直、ファン(仮)の私から見ても、有名声優ではありません。ですが、全くの無名というわけでもない。そんな案配の方です。
実は、私の現在の声優ブームは第二次であり、第一次の時追っていた方は、今でもご活躍されている有名声優さんです。名前を挙げれば、ああ!と思って下さる方も多いでしょう。
とはいえ、第一次の時私は学生であり、インターネットも、ようやくネット機能つきの携帯電話(二つ折り)を一般の方が持つことが当たり前になったくらいの時代でした。パケット放題すらまだなかったんじゃないかな。私がネット機能つき携帯電話を持ったのは、初めての職場が決まった時、自分の給料で、でしたし(その会社は半年ほどでクビになりましたが。笑)。
そんな感じだったからか、一次の方がアニメで主演経験複数アリみたいな方だったからか、その時は見えませんでしたが、砂糖(仮)さんのことを追いかけるようになって気づいたのが、砂糖(仮)さん周りの声優さんの情報も気にするようになると、正直「…で?仕事あるの?」と思わざるを得ない方が、ごまんといらっしゃる事実です。
それでも「声優として仕事が依頼された」というだけで万々歳であり、それすらなく、静かに消えていく方も、さらにいらっしゃるのです。某有名芸能人さんが「10人入ってきて10人辞めていった」とお話されたのを聞いたこともあります。砂糖(仮)さんの同期は9人いらっしゃいますが、今も同じ事務所にいるのは5人ですし、一番知名度があるのが砂糖(仮)さんですし、なんならその期はかなりマシな方で、全員退所した期もあります。正直「え?そんな仕事引き受けるの?」という仕事を、大手事務所所属の方がやっているのもかなり見かけますよ。
芸能人の方が「好きでやってる」「自分にはこれしか出来ない」などとよくお話されますが、これは、まさに額面通りとしか言い様がなくて、正確には、「自分から自発的に積極的にこの道を行こうと思わないと、とてもやってられる「こと」ではない」「効率が悪いとはわかってる。でも、これがどうしてもやりたくて、その気持ちを抑えることが出来ないんだ」くらいの意味だと思ってます。なんならこんな陳腐な言葉では現せない、複雑で私たち一般人からすれば怪奇な気持ちがある。一部に実在する、「他にやることもないから仕方なくやり出した」的な売れっ子さんは、運が良かった(砂糖(仮)さんは、「この仕事には本当に運が必要」とおっしゃったことがあります。その通りだと思います)か、生まれつき相当な輝きをもっていたのでしょう。続けているということは、言わないだけで大なり小なり前者の気持ちがあるということだと思いますし。決められた仕事を、マニュアルや上司の指示、社会的理念などに沿ってやればいい「一般の仕事」と違い、芸能活動は、例えば歌が上手ければ歌手として売れるわけではないという世界です。じゃなきゃ一般人からしてもヘタクソが存在するワケもないですから(暴言)。一応フォローすれば、客観的にはヘタクソでもなぜか印象に残る歌もありますし。アドリブが究極に苦手な私には、向く向かない以前の話な世界です。
冒頭で私とお話して下さった方は、とある一世を風靡した方とお仕事をご一緒されたことがあるそうなのですが、「芸能人であるだけで凄い」方が、一世を風靡された方の話には、意味不明すぎて全くついていくことが出来なかったそうです。芸能人なんてみんな変が私の持論なんですけど、一世を風靡したとなると相当に変なんだと思います。ちょっと変くらいじゃダメなんですね。褒めてますよ。
ちなみに、私とお話して下さった方の昔のお仲間は、本当に這いつくばるように芸能活動をしてらっしゃいます。客観的に書けば、もう齢40近いです。正直その事実を馬鹿にする方もいるでしょう。でも、他の世界でも、悩んで悩んで、それでも「やりたいこと」をやっている人たちを直接的ではないにしても見ている私には、その方を馬鹿にすることは出来ません。ちょっと見捨てるような言い方になりますが、その人が納得するところまでやらせるしかないのです。「その人が納得するところ」は人それぞれですし、YouTubeやらTikTokやらがある今、「何で注目を集めるかはわからない」ですしね。ひとことでいえば、他人がつべこべ言う資格はないのです。本人が相談に乗ってくれとか聞かないかぎりは。「嫌ならやめろ」も(理由がパワハラなどならわからなくもないですが)、第三者が言うべき言葉じゃないです。
「好き」でモノは食えないかもしれない。でも、もし諦めたとしても、そこまでの過程がそのひとにとっては大事なんじゃないかな、と、確かに「芸能の道」は諦め、「もうひとつの道」でも現在かなり大きな障害がたちはだかった状態であるものの、心から楽しそうに話す(芸能時代の映像は未だに見るし、その時代に使っていた小道具は捨てられないとお話されてました)冒頭の方を見て思いました。

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