生きる意味とは

生きる意味が分からない。
なぜ生命が生まれて死ぬことに重大な意味があるかのように受け継がれているのか分からない。
生命が生殖し増えることを良しとするのは種の存続の為。種の存続には何の意味があるのか?その先には何があるのか?
私はなぜ生きるのか。生まれてしまった為。
ならば死ねば良いのか。
私が死ぬことによるメリットとデメリットのバランスによってその時々の答えが変わる。
社会に与える影響、私個人の感情、種の存続、関係者の感情。
この方法によると今の私は死んだ方が良いことになる。
この結果を私の努力によって生きる方が良いことにすることも出来るが、私個人の感情によるとその努力をしたくない。
しかし、死ぬのは面倒くさいし痛い。日本に安楽死制度があったらとうの昔に死んでいると思う。
生きる意味というのは何かしらの神を信仰している者にとっては、死後の世界を信じる者にとってはあるのだろう。
私もそういったものを信じれば生きる意味というものが見いだせると思うし、そうしようとすれば出来ると思う。
しかし、それは真の自分には嘘をつくことになり、私の性格上その矛盾を許すことが出来なくなるだろう。
宗教については肯定的な立場でいるつもりだが、どれだけ共感し、心を動かされても、神がいると心の底から信じることは出来ない。
きっと信仰者の中にも心の底から信じてはいないがそう考えることにしている人は沢山いると思う。
私には出来ないが。出来たら楽なのだろうが。
以上のことから私は無神論者であり、死後の世界を信じない。では死んだらどうなるのか。
無になる。居なくなる。
ならば生まれてから死ぬまでの間に何があるのか。何を目的としてその間を過ごすのか。
無い。
死後の世界があるのならばそれに向けて色々頑張るのだろうが、私は死んだら何も残らない。その時点で終了、生きる意味など何も無いのである。
こうなると本当に人生とは死ぬまでの暇つぶしになってくる。
その暇をどう潰すか。
なるべく楽に幸せに過ごしたい。
周りを見てみると頑張って勉強なり仕事なりをして沢山お金を稼いで家族を作って幸せを得ているのだろう。
そして、これを成功とする社会になっているのは国の経済成長、人口増加、つまり国力の強化に好都合だからではないか。この政策によって最終的には日本人の繁栄、ひいては人間という種の存続が目指されているのかもしれないが、私にとってはそんなモノどうでも良い。
私はそれを目指したところで得られる幸せと不幸せを考えると圧倒的に不幸せが多い。
ストレスを感じたくないから他人とのコミュニケーションは必要最低限で済ませたいしお金を稼いでもそう使うタイプでは無いし出産育児は言語道断。
親に孫の顔を見せられないのは申し訳ないがその親の一瞬の体験と私の妊娠から育児の苦痛、ストレス、子どもの不幸せを考えたら間違いなくマイナスの天秤に傾く。
私にとっての最適な暇の潰し方は何か。
必要最低限のお金を得られる楽な仕事に就き、田舎でゆっくりと暮らす。ネトフリと釣り場と牧場があれば満足である。あと手料理を両親に食べてもらう。それで良い。
東京は疲れる。
周りに感化されて自分を見失わないようにしなければ。

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