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とんでもねえもん見たんだよね。漆黒天っていうんだけど。

タイトル通りです。
やっとこさ ろくろ回しの速度が落ちてきたというか、
作品の見方の軸が定まってきたので、それっぽく連ねていきます。

話したいことがありすぎて冗長になっている部分もありますが、良ければ暇つぶしにどうぞ。

【以下感想擬き】


漆黒天、本当に最高ね…
一体誰なんでしょうね…末満さんと荒木さん(新木さん)を絡ませようなんて発案したの……非課税でそこそこ充実した日々を健やかに生きるのに困らないくらいのボーナスもらって欲しい…本当冗談抜きに…

とりあえず、全体の印象としては物凄くシンプル。
でも、登場する人間の中身にフォーカスすると、各々救いが微塵程もないようで、見方によっては救われてる所は救われている、というようなギミックが良い意味で単純。
そんな感じで、明確な答えに辿り着ける標識を立ててもらっている分、物語を追っている時 特有の流動的な感情のうねりを楽しめる作品だな〜という所感。
あとは、メタ的?な話をすると、このツイ。

これの通り、なんだか荒木さん(新木さん)の役に対する解釈であったり、役との向き合い方みたいな、御本人の根幹にあるものに触れそうな物語で、鑑賞後は少し心臓がヒュンとした。
本当にギリギリを攻めてるというかなんというか。
様々なところに色んな解釈を練るヒントやピースが散りばめられていて、考えることが心の底から楽しいと感じられる作品だな…と思いました。

とりあえず癖に刺さった点をいくつか挙げていきます。
開幕早々バイオレンスで申し訳ないけど、
始の語りで、あらきさんの慟哭を拝めたことが本当に嬉しくてドラミングした。
御本人はとても穏やかで、どちらかと言うとハピエンが好き(なんでしたっけ…どっかで仰っていた気がする…)な傾向があるとのことだけど、そういった方が負の感情に呑まれる様はこう、筆舌に尽くしがたい興奮を覚えますよね……キュートアグレッションが近いかもしれない……(?)
「どうしてこんなことを、」と言い残し息絶えるフジに弁明するあのくだり。
時間にしたら数秒しかない表情の移ろいが凄くて、人間ってあれだけ感情を表面化することができるのかと圧倒された。

あと旭太郎ちゃんの時の口調がとっても可愛い…
そのまま聞いたら「あ〜、ザ・荒くれ者っぽいな〜」と偶感なんだけど、生い立ちだとか内面の幼さを鑑みると、肉体年齢と精神年齢が上手く釣り合ってない感じが言動から汲み取れてしまうの、面白くもあるけど心臓がギュッとなる。
で、その幼さと、自分ら日陰党の人生を肯定するため統治を目指す頭としての冷静さのギャップも同時に噛み締めて頬肉が削げそう。

旭太郎ちゃんの話ついでにこちらで話していたことにも触れたい。

これは作品を見る上で私が根底に置いている考えなんだけど、漆黒天ってこういう、「本質を理解しているけど、それに気付かないフリをして第三者から見た幸せ・正解を求める(でもそれが本来肯定すべきことを否定することになりうる)」みたいなジレンマが諸悪の根源というか、大元にあるように感じられるんですね。
それが人間らしくもあり、解釈の余地を与えるようで奪うような難解な構造のコアであると思ってる。

確かにそこにあるものを受け止めはするけど、いつもどこかにある「もしも」に引き摺られがちというかなんというか。
この「もしもに引き摺られる」というのは少し厄介なので、後々掘り下げますね。

話を戻して、そんな旭太郎ちゃんとは対照的な
陽之介ちゃんの真っ直ぐに育って日向で生きてきたというのが透けて見える健やかさ。
あれは本当にこう、役者という生き物の醍醐味を肌で感じますね。画面越しではあるけど。
笑顔が眩しくて、穏やかに堅実に生きてきたのが伝わる。
異なる人間を演じているからこういうのはメタ的だけど、あの二人って根底にあるものは同じでも、キャラとしてはエベレストとマリアナ海溝くらいに高低差があるわけじゃないですか。
その二人を瞬時に演じ分ける技量と作り込み、馴染み具合というのにスタオベ待ったなしで、この技量を受け止める?慣れる?のに時間を要し過ぎたところはある。

そして最早ここが今回のろくろのサビになりそうなんだけど、血塗れで呪詛を吐きながら息絶える蔵近(演:梅津さん)が本当に良くて…そこだけでもう十分満足してしまった…

少し話を脱線させますね。
昨年タワレコで開催していたBambooさんのポップアップストアで、梅津さんの不穏ブロマイドをお迎えしてるんですが、あれで確信したことがありまして。
彼、死とかあの世みたいな、ガッツリとした死の雰囲気をモノにするのが非常に巧くて魅力的だなあと感じるんですよね…
あまりこういうことを言うのは推奨されることではないけど、本当に良くて…

レール戻しますね。
蔵近の陽之介への想い。
終で少し察してはいたものの、実際そうであるように捉えられる挙動を取られるとこう、クるものがありますね…
何より、二郎太が言っていた「色目で見ている」というのは上澄なんだろうなと確信できるほど深くて、解釈の余地ある感情だなあと思えて泣いた…
莫逆の友であり、想い人である彼に向けた言葉の節々だとか、陽ノ介ちゃんへの態度とか、直接的な言及があるわけではないけど、
そういった些細なことが蔵近の中にあるものを雄弁に物語っていて苦しくてさァ…もうどうすれば良いんだ…気を抜くとすぐ泣きそうになっちゃう…蔵近ァ…

おすすめされた通り、終の語りから始の語りという順で見たんだけど、
標識と例えた通り、終で上手く消化できなかった部分の消化を助けるのは始。
始でぼんやりとした部分は終で輪郭を得ていって、そこからさらに解釈を深められる…という相互作用による爽快感がすごかった…
あれはスルメでありかっぱえびせんでもありますね…一生考えちゃう…

終の語りを最後まで見た時、私は「この旭太郎と呼ばれている名無し、恐らくというかほぼ確で陽之介ちゃんなんだろうな…」と思ったんですね。
で、恐らくフジや子供たち、果ては蔵近を斬り捨てたのも、陽之介ちゃんなんだろうなと。
そこまで考えて「そんな、そんな残酷なことってある!?!?!なあ!!!!こっち向け!!!!なぁ!!!!!」と各方面の肩を掴んで揺さぶり倒したくなるんだけど、その気持ちは一度飲み込むとして、
大した根拠もなければ、ただただ漠然としていた、直感に近い感覚ではあったけど、本当にそうだとは思わないじゃん………
いや私がそうであると解釈しているだけで、真相はわからないんですけど……

そう。これはフォロワーさんから教えていただいたことなんだけど、始の語りではとんでもない回替わり演出があったんですってね!!
取り上げる赤子の左右が変わるってそんな、「本当にどっちでも良いんじゃん!!どちらがどちらであってもこうなるしかないんじゃん!!」と深夜3時に叫びそうになった。

(以下、だいぶ上の方で語っていたことの掘り下げにもなっていくんですが、)
恐らく、どらちがどちらであろうと、一瞬でもその脳裏に疑問として浮かんだ「もしもの世界」が見えてしまったら、ああなる他ないんですよ。
いや少し違うかもしれない。多分これは陽之介ちゃんと旭太郎ちゃんだけの問題じゃなくて、周囲の対応や反応も関わってくる。
2人にとって大切で近しい人物たちが、それぞれに対して「お前は陽之介だ、旭太郎だ」と力強く心の底から肯定してしまったことで、2人の自我というものは融解して、それぞれが本来持っていた自我とは真逆の方向で、崩れないほど強固な輪郭を得ていく。
見抜けると断言した蔵近も、人を見る目があると言った二郎太も、幼い頃から一緒だった伽羅も、みんなそう。

どちらがどちらか誰もわからない。周りも本人も。
旭太郎ちゃんも陽之介ちゃんも、多分どちらがどちらであっても正解で間違い。
終で決着がついたように見えるけど、あれは「ふたつに別れていたものがひとつに集約された」というのが、感覚としては近いんだろうな。

終も始も考えるな感じろのターンが多くて上手く言葉にできないけど、どちらの結末を見届けようとも
「こうなる他なかったんだろうなぁ」としか考えられない。

全ては漆黒の天だけが知っていて、そこに委ねられているんでしょうね。

以上!
箇条書きしていたものに肉付けしただけの活字たちでした!
ちまちま修正していくと思うけど、一旦解散!

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