蓑浦ァ!!!!!!「昭和文学演劇集 第四弾『孤島の鬼』」の話
ごきげんよう。妖怪です。
以前フォロワーさんから
「いつか見ていただきたく……」とお出しされた
「昭和文学演劇集 第四弾 原作 江戸川乱歩 『孤島の鬼』」を見て滅茶苦茶になるなどしました。
今から約9年前。
主演の崎山さんが24歳(若〜い!)(合ってる?)だった2015年に上演されたこちらの演目。
セットと演者の異質さから、かなり期待値を高めに設定してしまったのですが、
それを遥かに上回る良さと嫌悪感で、情緒も思考もギッタギタにされてしまいました。
そんな私の情緒と、崎山さん演ずる「私」および「蓑浦」という人物、果ては人間の中身に渦巻くエトセトラについて、ろくろを回していければなぁと思います。
内容が内容なので、そこそこ過激で倒錯的な文字が並ぶと思うのですが、
お口や倫理観に合わなかったら、かなり強めにペッッしていただけると幸いです。
どうぞよしなに。
https://md-news.pia.jp/pia/news_image.do?newsCd=201504240005&imageCd=1
怪しいリンクじゃないです。
こちらぴあさんの記事なのですが、お写真が…たくさんあって…健康になる…
迫力ある美人に見えるが、薬品棚から覗いてる姿はベリーキュートだな…生えてる…(??)
【以下ろくろ】
何から語れば良いのか迷いますね。
ひとまず、あらすじから行きたいのですが、
これは私の言葉で要約しないほうが良いと思いますので、
DVDパッケージの裏面から引用しますね。
というのがあらすじ。
話はもちろんなのですが、美術品のような、どこか高尚さを感じる演出やセットに冒頭から目も心も奪われました……
座談会で鯨井さんが仰っていたように、舞台の各所に仕込まれているシャドウレスライトを彷彿とさせるようなフットライトが、
博物館や美術館といった、物を美しく見せるための照明に見えて、人も物も感情も何もかもを無機質に照らし出している様がとても美しかった……
しかしながら、そんな無機質さのある外殻の中は人間の煮凝りであり、無機質さとは遠く離れたもの。
歪で流動的、そして動物的な本能という煮凝りを文学表現で飾り付け、人工的な光を用いて儚く耽美な世界を演出しようとしている。
もう何もかもが癖である。
好き以外の何の感情もないですね…
私自身、原作となる「孤島の鬼」は未読だったのですが、こういった箱庭の中で紡がれる陰湿で背徳的な物語の世界に、思わず心臓が元気に跳ね回ってしまった……
全体の所感はこんな感じ。
以下は滅茶苦茶に掻き乱された私の情緒と共に、この蓑浦と諸戸の間にあるものに、フォーカスしていこうと思います。
物語は、私(演:崎山つばささん)の一人語りから始まる。
大まかに言えば、恐怖体験を経て白髪の姿となった蓑浦=「私」が追憶を辿る上で、上記のあらすじを淡々と語っているのですが、いかんせん台詞量が圧倒的で、
舞台を見ているのに活字に溺れそうになりました。
(ついでですが、この流れで雰囲気を壊さず、差別的表現についての注意事項を織り交ぜるの、脚本演出が上手いな〜〜と天を仰ぐなどした。)
そんなことを考えながらも、早速タイトル回収となります。
その「私」こと蓑浦が語る内容。
それがもう、
蓑浦!!!!!お前!!!!!
といった内容でして…
深夜だったので自重しましたが、
人の恋心、理性と欲の狭間で揺れるものを弄び試すような真似、あまりにも最低で痺れました。
こういうのが…
こういうのが見たかった…!!!!
「私」も苦笑に似た表情を浮かべていますが、17歳の世間知らずさ、若さゆえの好奇心と無垢さといいますか、時代的にと申しますか。
言い訳はいくらでも思いつくものの、その根底から目を逸らすことはできない。
ヘテロゆえの「理解し難い」とか、強い拒絶というものをぼんやりとしか認識していない段階で、
友愛と性愛の違いもわからず、「悪くないと思った」などと宣った挙句、
思わせぶりな態度をとり、それに翻弄される諸戸(演:鯨井庸介さん)を面白がる。
そこに待ち受けていたのが、この諸戸の告解なんですよ……
ここまでワンセットとして、蓑浦がこれらを「遊戯」と称したこと、本当最悪で最低で、あまりにも最高じゃないですか…???
「遊びが過ぎて痛い目を見た」というと幼稚すぎる気もしますが、言葉って面白いですよね…
実際はどうあれ、遊戯というのは性的なものの比喩にも捉えられるし、どこか耽美な様相を思わせる。
本当に最高のワードセンスだよ…
諸戸と「私」が同時に手記を読み進めるシーン、あのシーンの声の重なりが異次元過ぎて絶句してしまった…
イントネーションも抑揚も全てキッチリ互いに寄り添っていて、諸戸と蓑浦が若き日々の中で重ねたものの儚さと美しさ、
歳月や関係の生々しさというのを思い知らされた気分になった。
こういったことからも、蓑浦が遊戯と称したものがただの遊戯でなく、
歳月の蓄積の中にある在りし日の記憶、人生における恥部として刻まれているんだなというのが伝わってきて、思わず顔面を両手で覆いたくなりました。
表面で起きていることも、彼らの内面にあるものにも、そういった直接的な描写がないのに、
細々としたところから要らぬ考察が捗ってしまうのが、この孤島の鬼という作品なんだろうな…
物語終盤。
殺人的絶望、死を前にして恐怖に駆られ、己の懐へ潜り込むような蓑浦に恍惚とした顔を隠せない諸戸の気味の悪さ。そして情欲を煽られる人間らしさ。
直接的な表現を必要とせず、ここまでエロティックなものを見せつけることが可能なのかと呆然とした。
このあと諸戸が「私」に襲いかかるのですが、
その時のやり取りも醜悪で人間らしくて、大変興奮しました。
死と隣り合わせの窮地、ほんの一瞬見せかけた、諦めとも窺える温情のひとつすら掻き消す同類憎悪。
死に物狂いの恋を受入れる情は無いのかという良心への訴え、縋り付く言葉。
蓑浦に「浅ましいと」まで言わしめたそれら。
棄鉢となっても捨て切れぬ、恋愛的視点から見る同性の肉体への嫌悪感は吐き気を催すほど。
友愛の影に隠れていたそれらが噴き出した瞬間というのは、
人間の狡さだとか本性だとかを想像するには、十分過ぎる。
本ッッッ当にこういうのが見たかったんだよ…!!
こんなの興奮する他ないでしょうよ…
一体何目線なんだという感想ではありますが、人の醜さとあられもない姿が露呈される瞬間は
いつみても興味深くあり、己という人間と照らし合わせることで惨めな気持ちになったりと、
それはもう様々な感情や思考が湧き出てくる。
そんな独特な苦しみを見出せる芝居が大好きな一個人として、この有様はフェティシズムを刺激されないわけがないんですね…
尚且つ、実物を見るより文章や音声といったもので想像させられる方が、より破廉恥に感じてしまう側面も持ち合わせているので、
諸戸の淫欲を隠さぬ荒い呼吸音や、衣擦れといったものがあまりにも刺激が強くて、脳みそパンクするかと思った…
話自体もシンプルであったというのもありますが、前提としてあまりにも私の癖にストライクな関係性の湿度だったがために、
現在でも途中の描写や語りというのの解釈を深めることができずにいるのですが、
それはまたいずれどこかでということで、
ひとまずこのろくろを窯に入れようと思います。
また何か思うことがあれば、部屋の隅で文字を綴ることでしょう。
以上!!解散!!!
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