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延々とろくろが回る「舞台 死ねばいいのに」の話

連休謳歌中の妖怪です!各々元気ですか?

今回は、延々と回し続けてしまう「舞台 死ねばいいのに」のろくろを一旦止めて、ここにまとめようかなと思います。

ふせったーから移動させるのを兼ねて、少し文体を整えただけなので、内容は大して変わりません。

結構メンタル参ってる時に観た故、いつもより語彙と口調が荒めなので、合わなかったらペッしてください。

どうぞよしなに。

【以下前提の話】

これは物語の考察ではなく、あの舞台を見て自分が感じたこと。
そして新木さん御本人が語ったあれやこれについてのろくろです。
だいぶ主観が入っているので、暇つぶし程度にどうぞ。

【以下ろくろ回し】

新人研修のことも相まって、思った以上にグロッキーになっててくたばっていたんですが(上演当時の話)、御本人もグロッキーになってらっしゃってて、終演後 変な笑いが止まらなかった。

渡来の不安定さというか情緒のヤバさ。
あれは芝居じゃない面もあるのかもしれないという可能性を感じて、めちゃくちゃ面白い。

渡来が、自分の常軌を逸脱した「死を望む存在」である彼女(アサミ)に対して、

"自分が殺したのは本当に人間だったのだろうか"と不安になるのも、

御本人が渡来に対して、役が馴染まず演じるのが恐ろしいとその影に怯えるのも、こう見るとある種の共通項であるように捉えられますよね。

意図して行われているかは定かではないけど、この共通項というか、それぞれが持つそれぞれへの一方的な矢印が、表現の裏付けになっているように感じる。
確かな裏付けがあるからこそ、こちらも全力で情緒だったり、得体の知れないものへの不安感みたいなものを引き摺り回されるんだろうなと思う。

いつかの怖い絵本で京極夏彦が語っていた「姿が掴めず得体の知れないものって怖いじゃん(意訳)」という話があるんですが、
それを踏まえて 今回のしねステ内で起きた化学反応を考えると、正にそれじゃん!!!!!!と興奮せざるを得ないよね。

結局、どんなに悍ましい姿をしていようと人ならざるものであろうと、正体も真相もわからないものよりは怖くないんですよ。
姿が在るだけで安心できる。

渡来にとってのアサミ、御本人にとっての渡来、私にとっての御本人と渡来。

どれも得体の知れぬものに対する恐怖と「共感はしないけど理解はできる」ことの恐ろしさを相手に抱えていて、
大変愉快な気持ちになるし、一生ろくろ回せる。

原作ラストで言及される渡来の安堵した表情とは「自分が殺したのは本当に人間だったのか」という恐怖だったり疑問にアンサーを貰えて、解放されたことを描写してると思われるんですね。

だけど、それを思うと演じている御本人は本当に気の毒だなと感じるんですよね。

役である渡来は答えを見つけてスッキリしてるけど、御本人は迷宮入りしているように思える。
御本人は渡来と違って明確な答えを貰えてないし、自分の中で腑に落ちるところを見つけられていないような感じ。

表現や物語としては完結していて、きっと頭でも理解しているとは思うけど、
役にのめり込むことができず俯瞰した位置にいることが多いとするなら、感情も思考も置いてけぼりをくらってるじゃない。

そりゃ、渡来は得体の知れないものだからその影を掴もうとすればするほど蟻地獄だし、そこに明確な答えは存在しない。

だから演ずる上では「理由だの根拠だのは後付けにして、役の感覚として理解する。そしてそれを出力する。」というのが一番手っ取り早くはありそうなんですよね。

でも現状(これはこちらの勝手な推測ですが)「役の感覚を落とし込んで理解する」ってことが出来ていないとするならば、結構ギリギリな感じなのでは? とも思う。

兎にも角にも、26日のアフトで京極夏彦氏から何かヒントとなる言葉を貰えると良いねって…こちらとしてもそのほうが助かる……
こんなにも演者の内面と役に関する考えを練ることができる作品になるとは思わなかった……
思考の息継ぎがしづらくて楽しい……

人間誰しもが抱えたことのある「自分は正しい」という驕り。
それを驕りだと指摘されて、顔を真っ赤にし感情剥き出しに怒鳴り散らす様は、滑稽で愛しくて愚かで堪らない気持ちになるけど、
それはそれとして己の内面と向き合わされる苦しさは段違いなので、考えれば考えるほど己の首を己で締めていくような作品だなと思うわけです。

たった一回の観劇でここまで考えられるの、あまりにも幸せだな……寝ます。


【以下26日アフトの話】

答えっぽいもの貰えてるじゃん〜!?!?!

本当におめでとう…おめでとう…の気持ちで溢れた……
且つ、己の物語の見方や解釈が京極氏の想定の範囲内であったことに力の限り膝を打った。
物語と作者の掌の上でくるくる回されるのが楽し過ぎるんですよね…
こういう倫理的なものを計られる思考問題的なものが題材なら尚更…

というか、私はここまでずっと「答え」だなんだと言ってきたけど、この渡来を理解する上で新木さん御本人に必要だったもの・答えってなんなんだろうね。
腑に落ちないというか、役が馴染まない原因となっていたもの。
答えを貰えないからしんどいんじゃないかという憶測はできても、その突破口となる答えというのは全く想像できない。
役と自身の年齢や思考の乖離は、理論でゴリゴリに詰めていけばズレを最小限にすることは可能だろうし、
スタンスから違うなら、全く異なる人間として降ろしてしまえば良いだけで、
それができない人ではないと思っているので、とんでもない勢いで迷宮入りしてしまう。

これって邪推なんでしょうね…
作品やら役やら演者やらとの距離感を間違えてる気がしなくもないんだよな…
御本人と渡来についての話は、もうここらで手を離した方が良い気がする。

兎にも角にも、この物語。
人間の内面にフォーカスしがちで、作品からのメッセージを受け取り損ねてしまっていたんだけど、
確かにこれは「嫌々ながらも生を肯定して生きるしかない」に帰結するな〜というところに落ち着いた。


以上がツイートだのふせったーだののログ。


当時はほぼキャパオーバーしてて放り投げてしまってた上記のあれそれだけど、今なら少しは言語化できると思うので、ここから先はちょっと頑張ってみ
ますね。


どこかのインタビューで御本人も語っていたけど、この作品に用意された模範解答である「ただ『死ねばいいのに』と突き放すんじゃなくて、死にたくないなら生きなよ』というメッセージがある(意訳)」というの。

アフトを浴びるまでの私は、この解答が上手く腑に落ちていなかった(寧ろ説教くさくて厭っていた)ので、
感想を綴ることがあれば「何を綺麗事言ってんだ」と突っぱねることも視野に入れていました。

ただそれだと、言語というものを培ってきた人間としての矜持をかなぐり捨てることになるので、今回は控えます。

(かなぐり捨てるのは情緒だけに留めておきたいし…)

何より、結果的にアフタートークで得られたものが大き過ぎて、この模範解答に納得するほか無くなってしまったんですよね。

その得られたものというのが、京極氏が「この作品でメディアミックス企画を立ち上げようとすると、必ずと言っていいほど、多くの命や死と向き合わなければならない状況に陥って頓挫していた(意訳)」というお話。

私はそれを聞いて、「そういう巡りの元にある作品って稀に存在するよね……」と気の毒になったと同時に、
そういう状況の中を長い年月、強かに泳いできたからこそ、「死にたくないなら生きろ」という願いにも近いもの強く刻まれたんだろうなとも思えて、それまでつっかえていたものが綺麗さっぱり溶けて無くなってしまった。

常に死と隣り合わせであったからこそ、反対にあるようで地続きにある生というのを、嫌々ながらも肯定していくことの意味を紐解いていくのが、この作品の役割なんだろうなと、妙に納得したというか…

これは、自分が得たものの記録として連ねるんですが、
己は恒常的に落ち込んでいる個体ではあるけど、タイトルにあるような直接的な言葉を使うことはなるべく避けています。

隠居垢ではたまに口走ってしまうけど、言葉が好きだからこそ、言葉の力というものをそこそこ気にして生きているので。

だからなのかは謎ですが、御本人の口からその言葉が容赦なく放たれるというのが、こう…臓腑に結構クるものがあるというか…
内側を直に触れられるような嫌悪感というか…あまり見たくないような感覚になったんですよね…
普段意識して忌避してるものを突き付けられたことへの拒否反応みたいで、個人的には面白い感覚だった。

物語であれば、どんな感情や言葉も美味しく楽しく受け取れるんだけど、こういう事態は割と初めてでして。
初観劇後は外の風にあたりながら、言葉に煽られて暴れまくる念慮をあやすことしかできなかったんですよね…

そんな風に煽られるがままだった己の情緒も、この解釈が腑に落ちたからというものすっかり落ち着きを取り戻して、
以前より生というものを肯定したいという気持ちが強まった。

きっとまだ暫くは恒常的な念慮に振り回されるとは思うんですが、この作品や舞台が糧となったことは確かだし、
渡来によって示された諦めて生きるという選択肢の登場は、それまで2択しかなかった私の人生において救いとも取れる。

本当にいろんなことを考えさせられた良い作品だったと、大楽から2ヶ月と少しが経った今でも噛み締めてしまうな…

死にたくないなら生きるしかない。

いつか訪れるその日。
「死ねばいいのに」という言葉に晴れやかな気持ちで首肯できる日まで、
できるだけ愉快に充実した日々を過ごせたら良いですよね。

以上!解散!

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