悪童会議ミュージカル「夜曲」〜ノクターン〜のろくろ。
お久しぶりの妖怪です。
情報が解禁された時から気になっていたものの、
社畜気味ゆえに観に行くことを諦めていた矢先、突然現れた休み。
これは何かしらのご縁では…??と思い、スパコミで軽く狩りをしてから劇場へ走りました。
そんなこんなで(?)今回は「悪童会議 ミュージカル『夜曲』〜ノクターン〜」のろくろを回していこうかなと思います。
久しぶりのろくろ回しなので拙いところが散見されるかもしれませんが、どうぞよしなに。
これは公式さんが出してくださってるダイジェスト。
本編の歌が少し聞ける。
これだけは先に言わせていただきたいんですが、一度は生で聴きたかった岡幸二郎さんの歌、本当に本当に素晴らしかった…
全然泣くような歌ではなかったのに、その圧倒的な歌唱力で涙腺が爆発してしまった…
【以下ろくろ】
とりあえず、軽くあらすじをまとめますね。
放火魔である孤独な青年ツトムは、七十五年に一度巡り来る彗星が空に輝く晩、廃墟となった幼稚園を燃やす。
やがて燃え尽き、かろうじてその姿を保った廃幼稚園の中から、人影が現れる。
その人影が纏うは古く崩れかけている鎧。
かつて眠らされた物語、思い出が目を覚まし、火を灯され、孤独な青年を巻き込んでいく……という感じ。
一幕の空気感や話の運びから、「あぁ、よくある勧善懲悪系の王道ストーリーなのか」と油断してしまったんですが、
一幕の後半からどんどんと雲行きが怪しくなり、二幕が始まった途端、心身の余裕というのがガリゴリと容赦なく削られていった……
割としんどめ・辛い場面が続くというのもあったけど、各々ご存知の通り、妖怪は刺激的で不穏で、思わず目を背けたくなるようなものを嬉々として見つめてしまうような個体。
私のメンタルやら思考やらを容赦なく削っていったもののおおよそは、別にあります。
それは「強烈な疎外感と寂しさ」という、ツトムへの共感なんですね。
共感というより、呼び起こされた感情というのが近いかもしれない。
ずっと、芝居が続く限り延々と寂しくて堪らなくて、常日頃から孤独を愛している人間であるにも関わらず、
耐え難い孤独感を感じざるを得ないような、そんな芝居だったように思える。
普段であれば、こんなに感情優位になることはないんですが、
圧倒的な歌唱力と物語によって、その場で回り始めたろくろを無理に制止されることで、真正面から受け取れるようになってしまう。
それがあまりにも強烈で辛くて、終盤はずっと涙が止まらなくなって、ずっと感情赴くままに思考が進んでいってしまった。
全体の所感はこんな感じ。
以下は より深く掘り下げていくターンですが、正直に言うとこの夜曲。
登場人物全てを掘り下げないと気が済まない、というほどに各々の物語が濃いんですわ…
ですがそれをやってしまうと、それこそこのろくろが延々と閉じない物語となってしまうので、
今回はツトム(演:糸川耀士郎さん)にフォーカスしていこうと思います。
冒頭にちょろっと綴ったように、ツトムは放火魔なんですが、その放火魔であるツトムにしかできない役割というのが、
物語に火を灯し、再び眠りにつかせるという簡易的なストーリーテラー。
物語に直接関与することができず、外からその行く末を語り、見守る者。
この火を灯す人間は、いつの時代もきっと孤独で、蚊帳の外にいて事象に介入できないことが条件になってるのではないかと思う。
そして蚊帳の外であるにも関わらず、この「思い出」というものを再生し、眠らせるという役割を与えられているせいで、
完全なる第三者にはなれない。
疎外感と虚しさを感じながらも、ただ目の前で起き、収束していく事象を見つめるしかなく、
ある種の諦めを感じながら、また平凡でうだつの上がらない孤独な人生へ戻っていく。
一夜の夢物語にも思えるそれは、恐らく人生の中で最も煌めいていたもの。
ツトム自身も語っていたけど、この思い出というのは、
物語を閉じなければならないその時を、先へ先へと引き伸ばしてしまいたくなるほどに惜しい煌めきを持っていて、
この後の人生で、この物語に勝る煌めきを得ることはない。
それが確信できるほどに濃密で、だけど自分はその中には入れない。
ただ、思い出を再生するギミックとして組み込まれているだけという、避けようのない孤独と向き合うしかない。
七十五年後、また自分が火を灯せるかどうかはわからない。
ただその煌めきに思いを馳せながら、もう一度火を灯すことを夢見ながら、その日が訪れることを待つ。
そこまで込みで、このツトム、ひいては火を灯す人間は、夜曲という思い出を観測するものとして存在しているんだろうなと思った。
そしてこれは、ここまでのろくろとはまた別の疑問かつ、言語化するのが大変に難しいんですが、
この思い出を繰り返すのって何の意味があるんだろうか…
大切なものであるから、というのも一理あるけど、歌と炎を用いてる以上、鎮魂の意もありそうなので、
「大切なものだからこそ、眠らせて」というあの言葉が全てなのではという私もいて、結局答えが出ない。
もはや答えを探そうとすることが無粋なんだろうなと思えてきてしまう。
誰かがその人生で一度は感じたことのある孤独と、何者にもなれない観測者でしかないという疎外感を堪能することができた 悪童会議 ミュージカル「夜曲」
ここで得た思い出も、私の大切なものであることは確かなので、
また火を灯す誰かが現れ、その誰かが火をを灯し、その物語を共に見届けることができる日を待ち望んでいます。
以上!解散!
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