五月雨に匂菫街崩る

雨上がりの公園によく似た匂いがした。

湿った遊具の鉄錆とかいつも以上に鼻につく公衆トイレの空気とかでこぼこに踏みにじられた砂場とかその中に溜まる濁った水とか変色した看板の縁を伝う水滴とか、

そんなものたち。


職場を出たら雨上がりの公園によく似た匂いが私の鼻を掠めた、気がした。

17時前の街は大きな雲の大群を背負って夜に向かう支度をしている。
暗渠の間を縫うようにして徒歩5分でつくアパートへ向かった。
エレベーターを呼びこむ、扉が開く、閉まる、イヤホンから流れる音楽が少し湿度を上げたように錯覚する、数十秒間いつもより鋭く耳にまとわりつく、扉が開く、湿気が逃げて空気が耳元を滑る、廊下を渡って部屋の前の扉、に
差し掛かった時



良い茜色。
ここに住むようになって1年と2ヶ月が経とうとするがこんがり焼けたそらに見惚れたことは2回しかない。
2024年2月8日、と、今日。
あのときは焼き芋を食べたっけ。

このアパートでの暮らしは初めから2年と決まっている。
あと何回こんな風にここで立ち止まるのかしら。これが最後かもしれないな。
そう思うといてもたってもいられなくなって散歩をしてみようと思った。


川沿いの道を歩く。
夜半にここをゆく時は街路の灯りしか照っていないものだから小さな水面のさざめきで大きく世界が揺らぐ。
真っ暗な部屋に灯したたった一つの灯火が震えるように。
この時間の川面の街灯はただじっと、ただ、そこにある。
世界の光があなたと月光だけで支配される時間帯より
遥かに頼りげがあってしゃんと背筋が伸びた光だ。



せっかくだしと公園。
然しやはり雨の匂いはしない、あるいはし終えている、死に終えている。
ついさっきまでの茜はどこへやら、と思って時計を見遣ると既に2時間半ほど経過していた。
花々と鳥を顕したガラスが夜の闇を受けて眩しそうに鈍く目を細めている。
1箇所、2箇所、写真に写り込んだ淡い緑の光が好きなバンドのギターボーカルが使うピックの色と形によく似ている。
ちょうど耳から流れるその音楽、小さく笑ってボリュームを5つほどあげる、
少しやかましい、慌てて2つ戻す。
2週間もすればツアーが始まる。
“期待しすぎずに楽しみにする”という私の絶妙な胸の高鳴りを説明してもわかってくれる人は少ない。




空き地にいつも置かれている鏡。
なんとなく眺めていたら真横を自転車と救急車が通過する。
この街はよく救急車が通る。とんでもない街だな。
少し家路を急ぐ。
その一瞬だけ影が二重にも三重にもなる。
まるで物事の本質のようにーーという超ダサいこと言って適当にそれっぽい文章認めようかなと一瞬思ったけど、やめた。
赤い光だね。
影がコンクリートに焼き付いているのを見ると中学生の頃に平和資料館で見た石橋の瓦礫を思い出す。



大勢の人々の死を目の当たりにする体験に深く関わったこともあるし、日頃から人の死に割とよく出遇う職に就いているし、知り合いが死んじゃったこともあるし、有名人の死をテレビで眺めたこともあるけど、
知っている有名人が最近亡くなって、ちょっと今までに経験したことがない感覚もあったから不謹慎な物言いになるかもけど、じっくり味わってみた

よく知りもしないであろう人々がよくもまぁこれだけあれこれ言えるものだと感心した
逆に知らないのにこれだけ感想文書けるみなさんは文豪にでもなった方がいいんじゃないかとさえ思った(なってくれ)(文豪なんて何人いたっていい)


そういえばふと思ったのけど、なんだか世間って日々がうまく行ってない人の些細な気付きや美しい感性ばかり取り沙汰されがちじゃないかしら。
やっぱりその方が起伏があってストーリーや面白みがあるし需要が高いんでしょうね……。

その点でいくとこの文章ってほんとうにニーズがないよな。
あたし毎日が本当に楽しくて幸せで順調でハッピーなのよ。
そりゃ、そこそこ忙しくて大変でこんにゃろ〜思ったりもするけど、でもやっぱり生きてることや何かを見たり考えたりすることがすごく好きなんだもん。
その上でこんな日々の機微にも心動かせるなんてラッキーだわね。



とか色々考えた楽しい時間だったね。ハピハピ


良い散歩から帰ってくる。
部屋の中には現実があって、
あぁ今日もいい日だったなと思いながらルーティーンワークのコロコロを絨毯にかける。
作業を終えて使えなくなった分を剥ぎ取る、
と、
なんとコロコロがちょうど使い終わったところのようだ。
トイレットペーパーの芯のような茶色の素材が顔を覗かせる。
なんだか今日がなんてことない日でありながら、小さな区切りになったような気分。

ところがどうしても替えの部分が見つからない。
絶対にあるはずなのに、悶。
しかもなんとなく勘づいてる。
ぜったい、これ、マーフィーの法則的なやつだ。
買った瞬間にやつらはひょっこり出てくる。
あいつらには意思がある。
今この瞬間も確実にどこかで息を潜めて舌を出しているし、諦めて買おうと家の扉を閉めた瞬間、トイ・ストーリーよろしく歓声をあげながら出てきてもう少し見つけやすい場所に移動する。
ちくしょう、負けたくない。くそがよ!!!!!

いつでも、探しているよ、どっかに君の姿を
洗面所の下、玄関の戸棚、こんなとこにいるはずしかないのに
全然見つからない、諦めて今日は眠る。

とりあえず明日はいつもより早く起きる。
そして主人の睡眠時を見計らって動くコロコロの替えたちに奇襲をかけるのだ。

なんとしても、私は彼らを取り戻す。
ぜったいにだ。

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