川の話
人生で2度川に流された、ないしは落ちたことがある。
1度は現実で、1度は夢の中で。
父方の祖父の家は長野県にあった。
幼稚園のころ、神奈川県に住んでいた私の一家は毎年夏になるとよくこの家に足を伸ばした
どこまでも広がる土地に山と川と畑が斑模様のようにポツポツと点在していた
曽祖母が育てる大きな畑では沢山の野菜や果物が取れる
トマトきゅうり茄子キャベツ葱にんじん大根カブほうれん草ウリじゃがいも西瓜もも梨りんご葡萄
少し思い返すだけでこれだけある
こうして見ると味覚ってのはあまり覚えていないな
曽祖母が畑で取って土を払っただけのをほれ、けぇろ(多分食えるぞ、的な意味合いで行ったと思うのだがその方言がどんなものだったかを詳細には記憶していない。でもこんな発音だったように思う)と差し出すシーンや、齧り付いた時に飛び散った西瓜の色水のような薄紅のしぶきや、剥かれた桃が載ったお皿がテープで補強されていることや(ちなみにその模様も特別美しかったわけではない底に当たる円形の部分と縁の中間よりやや底面側にぐるりと1周囲った赤い線が2本あるだけだった)やら
そういえば、焼きとうもろこしに齧り付いた途端に中から当時の私の小指程度の長さの芋虫が出て来たこともあったな(しばらくトラウマだった🐅🐎)
とにかくいろいろな野菜たちについて、思い出がいっぱいだ
これ、でも視覚だから一瞬で情報を処理できてるけど味覚だったら大変だったな
ほら、味わいって少し後引いたり余韻があったりと残るものじゃない?
だから情報が完結しないところだった、危ない
無量空処の味覚バージョンだわ
川の話するか
近くの川原に行って水遊びをしたり、綺麗な石ころを探して持ち帰ったり、水切りをしたり、サワガニを採ったりと今の私からはやや想像しがたいこと(特に最後2つ)をしていた
この時期よりさらに幼い頃は祖父とよく行ったのだが、彼が脳卒中を発症してからは祖父の弟(私はおおじと呼んでた)と足を運ぶことが多かった
ちなみに祖父は蜻蛉を片手で捕まえるのが上手だったのだが、利き手側の片麻痺になってからも逆手で難なく蜻蛉を捕っていた。すげえな。あの人が被る麦わら帽子が好きだった。その影響も些かなりともあろう、帽子を被るのが私は好きだ。麦わら帽子に限らず結構似合うと言ってもらえることが多いのだが、大変嬉しい
川の話しような
そんなこんなでおおじと、大きな柴犬のモモと、(多分)父と、(多分)妹と一緒に、確かこの日はカニを採りにいった
多分の人たちはあんま覚えてない
この記憶に掠りもしないので覚えていないのだが、かと言っておおじと2人でくるとも思えないので
仕方ない
こういうこともある
どこの世界に『銀河鉄道の夜』にて氷山に激突した船にいたはずが気がつくと列車に乗っていたあの姉弟の名前を覚えている人がいるって言うんですか(私は同作がとても好きだけど覚えてなかった。悔しい)(かおるとタダシだそう)
初めは川縁で石をどかしたり水草を突いたりとカニを捜していた私だったがいつしか飽きたのだろう
気がつくと奥へと、川の中心へと向かっていった
そこまで深くないことはわかっていたので私がずんずんと進む様を少し離れた位置からおおじが見ていたような気がする
すると、だ
急に視界が開けたような感覚に陥った
よく見ると先ほどまで足場にしていた岩が目の前にある
なんのことはない
私が踏みしめていた岩の間にくつが引っかかって転んだのだ
ビリビリと音を立てるマジックテープがついた、橙色のくつ
先述のように浅い川ではあったので全く大ごとではないのだが、水泳が得意だった私は焦ることもなく水中でくるりと仰向けに回転した
そのとき、信じられない光景があった
水中から見た水面が美しい緑と青のコントラストで揺らめいていた
やや曇天模様であった雲の隙間から覗く青と、水域に沿って並び、高くそびえ、そして遠慮がちに川に向けて頭をもたげる緑
それらがパレットの上で静かに混ざり合っていた
吐いた泡がゆっくりと、そのだだっ広い絵の具に向けて水滴のように登っていく
弾ける、もちろん色は変わらない
時間にして多分数秒〜十秒といったところか(多分そんなに息は続かないし、仰向けになって息は少しずつ吐き出していたので時期浮いてきたし)
でもどうして、退屈な映画のいつまでも終わらないエンドロールを眺めているような少し不安ほど長い時間に感じた
今でもそのときのことを夢に見るほどだ
ゆっくりと顔を水面から覗かせると鈍く重そうな空が広がっていた
遠くからおおじの声がする
気がつくと岩にひっかけた方のくつが脱げている
見ると随分遠くにそれは流れていっていた
数秒の間に流れていったとは思えないほどに
その後のことはよく覚えていない
例えば脱げたくつをそのあとおおじが回収したのかとか、気をつけろと言っただろうにと私は叱られたのかとか
ただとにかくそのときに水中から見た青と緑が混じった色のことを今でもよく覚えているのです
そしてそれから数年後に『千と千尋の神隠し』
さらに十数年後には『憂一乗』
あの時を否が応でも想起させるような作群に出会うんです
魅せられて当然とは思いませんかね?
ちなみに冒頭の野菜羅列コーナーで冬が旬のもの混じっていないかと思った方は至極真っ当なご指摘である(追い詰められた犯人風に言うなら「君は推理作家にでもなったほうがいい」ってやつ)
この数年後の年末年始に祖父が亡くなった(どのくらい年末年始かと言うと元日±3日以内くらい)
そのため夏の風物詩だった避暑地来訪はいつしか年と冬を越す(しかも寒い)イベントへとシフトしていった
かぼちゃの味噌汁が美味しかったっけな(あれ、味覚えてる)
柿田川公園は静岡県にあった。
幼稚園〜小学校低学年にかけて、我が家のもう一つの夏の風物詩が静岡旅行だった
先の話とは別の祖父母の別荘のようなものが熱海市にあったのだが、この熱海市では毎年月一くらいの頻度で海上花火大会を打ち上げている
そしてこれが別荘の目の前の港で打ち上がる
花火の音で鼓膜や心臓が揺れる、なんてものではない
大袈裟でなく机や窓が振動するし、約30分ににわたる花火大会を見終えたあとは2時間半のライブハウスを観終えたあとのように耳鳴りがする
それが小学生の夏休みにとって如何ほど強烈な思い出となるかは想像に難くないでしょう
絵日記、超ラクだった(しかも目の前にプールがある)
そんな例年1泊2日で終わる熱海旅行のとある年ーー確か小1〜2年のときーーに柿田川公園を訪れた
柿田川公園は国の天然記念物に指定された公園で美しい湧水が見られる観光地だった
そこに宝石のように深く深く澄んだ青を湛えた、鮮やかな湧水の広場、「湧き間」と呼ばれる空間がある
これはネットで調べていただければわかるので好きに見といてください
円形の大きな穴の中におよそこの世とのものとは思えないエメラルドのような(当時近くにあった看板に確かそう記されていた気がする)色に見える水が妖しく息を潜めている写真がたくさん出ます
今はどうかわからないですが、当時は夏休みにも関わらずそれほど人が多かった印象がない(映え、とかの概念もないでしょうし)
だから母親と一緒にその一角を見つけるとすんなりと近くまで駆け寄って行けた
すると、だ
気がつくとゆっくりとその青の中に居た
何を考えるでもなく、身動きをとるでもない
苦しくもなければ心地よくもない
ただただ、沈みも浮かびもせずに、その大きな水のかたまりの三次元的中央にぷっかりと漂っていた
光が差し込む様子がないのにどちらが頭上でどちらが水底なのかもなんとなくわかる
なんだこれと思うとさらにさらに信じられないことが起こる
私はその中で用を足していた
全く訳がわからないが、ただ、そうであることが必然かのように不快感や不潔な印象を微塵も抱かなかった
漂うそれらはやがてゆっくりと青々とした底に沈んでいき、やがて消えた
見えなくなるのを確認してから再び視線を上に戻す
この辺りでやっと気がつく
あぁ、私はここに落ちたんだなと
多分落ちては行けない場所なのに
一瞬目に飛び込んできた艶やかな緑色、しかし水中はその色彩と余りにも異なったいた
もっと濃く(ともすればどす黒く)、青みが強く、そして何より透き通っていた
"澄んでいた"とは違うんだよな、この微妙なニュアンス、伝わるかしら?
手を伸ばすと目と手の間に存在する水、その水が美しいことに気付くのではなく、その向こうにある手が美しく見えることで初めて水の美しさに遅れて気が付く
そういう差異
やがて私は何かを考えるのも億劫になってゆっくりとその透明に身を委ねる
目を閉じようとしたけど目が閉じないななんでだ、とか思っていて、
上から湧水を、身を乗り出してを眺めていた
目の前にエメラルドホールがある
隣に母がいてゆっくりと音が体に沁み入っていく
なんてことはない、ただ湧水を眺めてぼーっと白昼夢に浸っていただけのこと
母が心配する素振りもなかったことから鑑みるに、ほんの数秒といったところだろう(余談なんですけど、こういう時って周囲のざわめきや誰かに呼びかけられたりで「聴覚→視覚→触覚→……」と五感が戻っていくと思っていたのけど「視覚→触覚→聴覚」だったことをよく覚えている)
その後家に帰った私は今日のことを忘れんと絵日記を書いた
上から見た通りのエメラルドの名に即した緑色の色鉛筆で塗られた湧水、その中心に吸い込まれている自分と、何故か自分を取り囲むように存在するいくつかの茶色の丸々とした物体
特に誰にも何も触れられずに夏の思い出の些細な一ページとして提出したその絵日記は今どこにあるんだろう(多分捨ててない)
あの日水の中から見た深い深い青、本当はその色の名前を知りたくて仕方なかった
そしてエメラルドではないあの色で、あの日の絵日記を完成させたかった
ずっとその色を探していて、そしてそれから十数年後についに出会った
中原中也の詩集を読んでいる際に一編の詩に出会う
はなだ色
聴いたことがない色だった
その直後に私が一番好きな季節、秋について「秋空は鈍色」と書かれていたこともあって、早速調べた
そしてやっと見つけた
縹色
縹色。露草の花弁から搾り取った染料に由来する色。藍色より薄く、浅葱色より濃い。英名はlight indigo。ディスプレイに表示されるいくつもの色見本
どれを見ても確実にあの青だった
穏やかで、深く、透き通った、青色
嬉しくて仕方なかった
じぶんだけのいろにしたくて仕方なくなった
何年経ってもこれだけは大切にしたい色だな、と
ちなみに色には「誕辰和色」というものが充てられている
こちら所謂「誕生石」とか「誕生花」の色バージョンなのですが、縹色は惜しくもちょうど1ヶ月違いの8月27日だった(惜しいか?)
そんなわけでじぶんだけのいろと名乗るには縁もゆかりも運命も大してないのですが、もう少しだけ、この色で何かを名乗ったりしていたいなと思うのです
おしまい
追伸
今から二十余年前の今日、私が生まれた
この一年はずいぶん人生が変わってしまう年だった
然して激動というよりかは自然な流れに身を委ねて、気付いたら思いもよらない岸辺に辿り着いちゃった〜、って感じですね
まさしく川の流れのように(思いもよらない岸辺に流れ着く川があっちゃだめだろ)
またそのうち話せると良いな
"ハッピーバースデートゥーミー"
人生で観劇した中で一番好きな舞台
字幕なしver.もあるけど、敢えてあったほうがいいと思うのでこちらを貼っつける(いままでリンクのURLだけ文字の連なりとして貼ってたけどこういう風にできるのね^^;今更知った)
長いので気が向いたら、冒頭10分程度だけでも
これ色々な人に勧めてきたけど、今までで唯一人、全編見てくれた友人が、先日結婚したときに私を"親友"と言い切ってお相手に紹介してくれたのがとっても良かったな
僕もそう思っていますよ、親友
今日も欠かさずメッセージをありがとう
3人で食べたハンバーグ美味しかったなぁ
ではまた
ハッピーバースデートゥーミー🪐
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