昔話

家に帰ると時計が3つ止まっていた。


4週間ほどいつもの職場と違う場所で研修を詰む運びとなり、そのために実家に帰っていた。
我が家を去る最後の夜には村上春樹作品の主人公宜しく、冷蔵庫の中の具材全てを鍋にぶち込んでじっくり和えてパスタにする“アレ”をやった。
かなり念願だったので楽しかったけどお味に関しては割と普通だった。
せっかくだしものすごい変な味とかだったらおもろいのにな〜とワクワクってただけに肩透かしを食らった気分。

そんなこんなで長く家を空けていまして4週ぶりに帰ると、いくつかの異変に気づく。

まずテレビの横の時計が止まっている。時間を見ると7時を少し回ったくらい。今の時刻からはかけ離れており、およそいつ止まったかなど見当もつかない。
続いてそのテレビが点かない。何度リモコンを操作しても無反応。首を捻ってテレビについてるボタンを押すと画面が光ったのでリモコンの電池切れとわかった。
テレビが壊れたのでは、と刹那よぎった悪い考えに吹き出た嫌な汗を鎮めようとエアコンをつけようとすると、これまたうんともすんとも。
考えを落ち着かせようと(まぁ電池一択なのですけど)入ったトイレの時計も7時ジャストくらいで止まってる。

……とこんな具合に時計に限らず家中のものが電池切れの嵐に見舞われた後だった(さらに後日、リビングにかかっている時計も止まっていると、訪れた家族から指摘された。7時ちょっと前だった。これで時計は計3つ)
理由は自明で、新生活を始めるにあたって1年ほど前に同時に揃えた家電だったり、同じタイミングで電池を交換したりしたからでしょう。

こうしてせっせと電池を変えたので、また1年後くらいにおんなじことが起こるんだろうな〜って少しふふふとなりました、って話で終わりなんだけど。

ほぼ同時に歩みを止めた時計たちを見て思った。

「あー、こんな風になりたいな」



穏やかな暮らしと老後を得たいんです、再三再四言ってますが。
幼少期からの人生の夢と言って差し支えないかもしれない。

でさ、そんな時間を誰かがもしも長々と傍でお付き合いしてくれるとしたら、
あんまその人に先に死んで欲しくねーなって思う訳ですよ。
好きだし、死んじゃったら困ります、つまんねーんで。

一方で、そんな趣味思考(嗜好や趣向じゃなくて敢えて思考にしてるから揚げ足を取るな)が合ってしまう方がいるとしたら、
その人絶対そこそこ私のこと好きだろうと思うので、
私が先に死んじゃった後もやたら長い時間1人にさせたくねーなって思うんだわいな。
もちろん長生きはしていただきたいけどね??

だからさ、
よく同じ時間を過ごすとか直喩か暗喩か種々あれど表現として耳にしますが、
いっしょに時間を過ごして、
そんで少しでも近い時間に電池が2人とも切れるって羨ましいな〜って
そう思ったんだなも。
あ、心中とかの話じゃないからな!??ニュアンス読み取れな!!???

って夢想。
そんな風に趣味思考が「合う」人、居るといいなぁ。



どこにも辿り着かないオチなんだけどむかーーーーしむかしのこと。
私は別に人はそれぞれ好きなものがあって良いし、私の好きなものを私の好きな人が好きだとは限らないし、私の好きな人が憎くて仕方のないものを私はとても美しく思ってしまうかもしれないし、
まぁ何でも良いじゃんとずっと思ってた、と言うか思っている。今も。何度か言っている、別に人に期待していない論、のこと。そんな中で、いつだったか付き合っていたらしい(付き合っている人が好き合っているとは限らない、みたいなニュアンスを言いたい)人にキレられたことがある。ざっくり言うと「おめーが好きなものを好きになりたいのに、どうしていつもそんなにその辺の温度感が冷てーんだよ!!」ってことだったよ。
うーーん。
別にそんなの無理しなくてもいいじゃないのと思うし、そう思っていたのでそう言ったらとても怒られた。そして再三言うけど多分、今もそう思っている
偶然そういう好きが重なる方がおもしれーーと思っているからさぁ。

……っていう5ヶ月ほど前の文章(この下書き)を見つけたのが今。

今の話をする。

ここ最近、自分がどんどん甘々になっている気がする
なんかおもしれーやつらが周りにいすぎる
私がおもしれーと思ったコンテンツを良かったとか
ちょっと見たけどここだけ好きでした!とか
途中までなんですけどワクワクしますとか
言ってわざわざ伝えてくる
そういうのの重なりが思ったより心地よく感じてしまっている。しまっている、ウケる最近思った、
私は完璧にわかりあうとか100%のものとかそういうのを信じていないみたいな感じを出しておきながら
「趣味が合う」に関しては「重なる」なんて言葉を持ち出して100%の共通項を期待していたのだなぁ、と。
だから今の私が心地よく感じているのは「重なる」とか「被る」じゃなくて
「掠る」
なんでしょうね。
自分の中にずっと根を張っている思想(そんな高尚なものではないな。仰々しくない言葉に置換すると譲りたくない”感想“みたいなもの)が、やっと「趣味・嗜好」のところの枝葉に、正しく、養分を送れるようになったんだなぁ、ってお気持ちです、今は。
むかーしむかしのその人や、そういう類の言葉をかけてしまった人たちの心に、私の当時の態度が億が一にも、呪いになっていないといいな。おしまい





追伸:何ヶ月か前に書いたコロコロの替えだが、ちゃんと見つかった。
玄関の靴が入った棚の中にあった。
そういえばなんで「下駄箱」って「箱」って言うんだろう?
全然箱じゃないのに。棚じゃん。

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