神激の歌詞、ここがいい!#13「黎明ジャンヌダルク」

#13 黎明ジャンヌダルク

「母から授かった氏名を 我がで使命にかせて死命へ」


唯一リアルタイムで出会っている曲。幕張メッセ前日はこの曲で書こうと決めていた。
好きな部分は多々あるのだけれど、今回はここをチョイス。
この曲のリリースのころ、いもちゃんが母への思いを口にしていたけれど、実は、私も同じ時期を母を亡くした。だから、この「黎明ジャンヌダルク」には思い入れがある。歌詞を綴る力と、少し似た境遇であることもあり、いもちゃんを推しとすることに決めた。みんな好きだけど。

さて、歌詞の話にいこう。ずっとここにしようと思っていたけれど、改めて見ると何やら難しいではないか。「母から授かった氏名を」まではいいのだが、他はどう解釈するべきか。
「我がで」という言葉そのものはなさそうであったが、調べてみると徳島の方言に「我がでに」という言葉があり、「自分で」という意味で使われているようだ。
「かせて」は、細かい説明は省くが、文法的には「かす」ではなく、「かせる」という言葉になるはずである。標準語的には、傷が乾く、かぶれるという意味の言葉が出てくるのだが、いまいちピンと来ない。そこでもう少し調べてみると、新潟や下関の方言に「食わせる」という意味で使われている「かせる」があることがわかった。
ここで一度整理すると、「我がで使命にかせて」とは、「自分で使命に食わせて」と解釈するのが良さそうだ。つなげると、「母からもらった氏名を自分で使命に食わせて」となる。ここで気になるのは、では「使命」とは何か、ということである。もちろん、次の「死命」と合わせて「シメイ」の韻を踏むためではあるのだけれど、それ以上の何かがあってもよいのではないかと考えたい。
あくまで私の解釈でしかないが、この「使命」とは「生牡蠣いもこ」であり「神使轟く、激情の如く。」そのものを指すのではないかと思うのだ。授けられた、個としての氏名。それを置いて神激として生きることの使命。氏名=自分の存在を、使命=神激メンバーとしての姿に、食わせる=託して生きる、そういう風に考えてみたい。
最後に「死命」を考える。「死ぬべき命」の意味ではズレると思うので、「死ぬか生きるか」のほうを採用すべきだろう。
すべてを総合すると、「母から授かった氏名を 我がで使命にかせて死命へ」は以下のように解釈できると考えられる。

母から授かった、フィクションではない個人という存在を、神激のメンバーという自分とは別の存在に託して、死ぬか生きるかの覚悟をもってやっていく

そういう意味なのではなかろうか。
最初この部分の歌詞を見たとき、誤字を疑った。しかし、ひとつひとつ選び抜かれた言葉で書かれたものであるということが見えてきた。すべてを調べ、言葉を探しながら表現していったとするならば、ものすごい才能ではなかろうか。私の考えすぎではないはずである。

GOD MAKE ERA、神激が時代を作る、その日まで。


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