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上も下も右も左もない世界

2歳の子どもがいる。

生後5ヵ月から保育園に通いもうすぐ2年。
週に6日登園している。

40歳にして初めての出産。初めての育児。こちらの当たり前が何一つ通じない子どもとの時間。

特にイヤイヤ期真っただ中の現在は、大人の予定である時間通りに保育園に連れていくことがどれほど難しいかを日々痛感している。

子どもとの生活で感じること。

それは、子どもの世界が

『上も下も右も左もない世界』

だということ。

例えば寝ているときも、大人と並んで頭を布団の上端に持ってくる
ということは基本しない。
もちろん、布団の真ん中にも寝ない。
そして寝ながらくるくると回転する。

もしかしたら、布団の『上』は、大人が上だと決めているだけで、布団には上も下も真ん中もないのかもしれないなぁ、と自由奔放な寝相をみて感嘆してしまう。
 
 ある日、お下がりのトーマス帽子をかぶせたら、えらく気に入って愛用するようになった。
最初のころは、つばが大きいため、つばを前に向けて帽子を被ると顔に影ができてしまう。よって、私がつばを後ろや横向きで被せても、幼い我が子はされるがまま嬉しそうに被っていた。

 しばらくすると子どもの視野が少し広がり始めた。
つばを横や後ろ向きで被せても、もう一度正面に修正して被りなおすようになった。彼なりのこだわりなのか、それとも帽子のつばを正面に向けて被る人たちを多数みたからなのか、保育園の帽子を被り慣れたからなのかわからないけれど。
 
 子どもと接していて感じるのは、子どもの可能性は無限大 ということ。

帽子一つとっても、だいたいの帽子はつばが一つで前にあって、日除けの役目を果たしている、ということをもちろん知らない。
知らないからこその強みがある。
 上も下も右も左もない世界に生きている子どもたち。時間も空間もやりたいことも自由な世界。

枠もなければ、限界もない、無理だと思うこともない、世間体という言葉とは全くの無縁の世界。
 そんな柔軟な子どもを、いろいろ知ってしまった大人が、狭い視野で狭い枠組の中にいれようとして、形を変えてしまってはいけないのだろうな、そう思うようになった。

自由な世界に少しでも長く居させてあげることが親の役目なのではないのか、と感じる今日この頃である。

そんな子どもたちのために、少しでも明るい未来を作れる大人でいたいと思う。


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