藤島慈ごときが。
蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ。
それは、限られた時間の中で生きる少女たちと同じ青春(とき)を過ごすリアルタイム「カレンダー」連動プロジェクトである。
現在進行系として進む青春の中でもがく少女たちを、私達は同じ時をもってして応援することができる。
素晴らしい…なんて素晴らしい!
よく「推しと同じ空気を吸える幸せみたいな言葉を聞く。体感としてはアレに近い嬉しみと凄み。私の理想の世界が、いま目の前にある!
そんな蓮ノ空であるが、私はとある人物を推している。
字は、藤島慈。
私が彼女について説明しても良いのですが、餅は餅屋、みらくらはみらくら屋ということで公式サイトから藤島慈の概念を引っ張ってきました。刮目してあげてください。
だそうです。自分の可愛さを自覚してるあたり、かなりやり手なヤツです。
配信も得意としているため、スクールアイドルの適正でしかありません。すげぇや。
私がこの人を好きな理由。それは、彼女はいわば「可能性の塊」だからです。
突然なんですが、彼女を一言で表すとどうなると思いますか??
「あざとい」?「バカ」?
全然間違ってはないしその通りなんですけど、そんなこと言ったらどっかの鬼が右ストレートが飛ばしそうなので間違いとしておきますね。
私は彼女を一言で表すと
「お前らごとき」
だと思うんですよ。
多方に喧嘩売ってるみたいになりましたね。いいですよ。いつだって買ってやる覚悟はできてます。
「お前らごとき」、つまり、
藤島慈自身は自身の思いを自身の世界の中で最上位に置いている、ということです。
これは別に彼女が「わがまま」とか「自分勝手」とかっていうわけではないんです。ただ、彼女自身の世界の主役は彼女そのものであることが、藤島慈という女を作り出す要素の根幹である、ということです。自分で言ってて訳わかんなくなってきました。
彼女は彼女の可愛いを広めたい。
だから「興味ないことは一切やらない」。だから蓮ノ空に収監される。そういう人なんです、この人。
そんな彼女を支える「ごとき」精神、実はとんでもなく力強く踏ん張りの効くものだとしたらどうでしょうか。
夢中にさせるみらくらぱーく。なにクソと這いつくばりながらも応援してくれる人のために頑張る彼女たち。それの根幹を支えるものが彼女の「ごとき」だとしたらどうでしょうか。
みらくらぱーく、藤島慈、可愛いの裏に隠れた「漢」の姿勢が垣間見えてはきませんか?
藤島が一度スクールアイドルを辞めてしまったのも、自分を支えたものが揺らいだからでしょう。自分を信じるあまり、それが無くなったときがあまりにもデカい。
そばにいる瑠璃乃はそんな彼女を支えられる唯一の存在。彼女の「ごとき」に含まれていながらもそれを許容し支える存在。103期を経てそれは「パートナー」という名になりました。
私自身、「お前らごとき」の精神を持てる人ってどこか凛々しくどこかかっこよく、どこか魅力的に見えてしまいます。
根幹が反発の彼女がもしスクールアイドルをこのまま進めたら、どんな世界を見せてくれるでしょうか。楽しみで仕方がない。
普通、自分に雑魚とかあんまり言わないし。
そんな藤島慈を私は知ってしまった。魅力を感じてしまった。
私はその責任を取る必要があります。推すという形で。
彼女の世界に少なからず触れてしまったからには、私は彼女の進んだ道なき道を追っていかなければなりません。
彼女の広める「可愛さ」、彼女の思いの「強さ」を伝播される「党」として生きていかなければなりません。
だから私はこれからも勉強をしませんし、この世のアルファベットの存在を恨みますし、ばえーな景色を私物化しますし墓にみらくらのアクスタお供えさせますし沙知先輩を泣かせる150点の曲を歌う、強くてかわちぃかわちぃ藤島慈を応援し続けます。
…え?流石にキショい???
お前ごときがめぐ党の俺の思いを打ち消せると思うなよ
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