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クラブ史の中でのダニエル・レヴィ〜Episode 6: 栄光の復活を目指して〜ノーザンバーランド開発計画〜

 こんばんは、Mi2です。
 前回まで長々とスパーズの歴史を振り返ってきました。色々問題が起こりすぎて、振り返るとジェットコースターにでも乗っている気分になります。さて、今回はレヴィの経済基盤の安定化に向けた究極の一手である新スタ建設を含む都市計画についてまとめていこうと思います。

 スパーズの新スタ建設はノーザンバーランド開発計画という複合都市開発計画に基づいて行われました。ご存知の通り、フットボールの試合だけでなく、NFLの試合も行えるスタジアム建設に加え、開発計画には、2,600戸以上の住宅、180室のホテル、地域のコミュニティ・ヘルスセンター、トッテナム・エクスペリエンス、スパーズの博物館とクラブショップ、スポーツ施設、スーパーマーケット、大学、クラブ本部の建設も含まれてます。このような壮大な計画に基づいて新スタは完成していますが、この計画は現在も進行中です。 
 この計画の背景は1989年のヒルズボロの悲劇まで遡ります。ヒルズボロの悲劇とは、FAカップ準決勝リバプール対ノッティンガム・フォレスト戦のスタンド中央立ち見席で生じた観客が押し潰される死亡事故です。死者97人、負傷者766人となり、イギリスのスポーツ史上最高の死者数を記録した悲惨な事故です。この事故における災害報告書において、すべての主要スタジアムの立ち見席を廃止し、座席を用意するような勧告が出されます。それを受けてスパーズもオールシーターのスタジアムへと改修を行います。これの改修工事の一環でアーヴィング・スカラーとファンの対立とかが起きていましたね(Episode 2)。これによりホワイト・ハート・レーン(WHL)の収容人数も50,000人から36,000人へ大幅に減少し、他のビッグクラブより小さいものになってしまいます。Episode 4でも記述した通り、スパーズサポーターのロイヤリティは高く、WHLの試合は毎試合ほぼ満員なため堅実なマッチデイ収入はあるものの、シーズンチケットの待ち人数も毎年約22,000人と多く、スパーズはまだまだマッチデイ収入を増やせるポテンシャルを持ち合わせたクラブだったのです。そのためシュガー時代から様々な計画が模索されましたが、どれも計画止まりでそれ以上に進むものはありませんでした。

Hillsborough disaster

 ノーザンバーランド計画は私がスパーズを応援するようになった直後から、ちらほら話に出ていました。まず最初の発表は2008年にまで遡ります。これはWHLの少し北の工業団地の土地周辺地域の開発計画という一大プロジェクトというものでした。この発表の直前にリーマン・ショックが起こり、世界経済もだいぶ混乱していた時期だったので、まさかこんな時にと思ったのを覚えています。新スタ計画と同時にネーミングライツの話も出てきます。当時はお隣がネーミングライツの先駆けとしてエミレーツ・スタジアムをオープンさせており、スパーズもその流れを追随することとなったのです。WHLの名前がなくなってしまうというのは、ファンとしてはとても受け入れ難い気持ちでしたが、レヴィは淡々とその必要性を説いています。

 残念ながら、スタジアムのネーミングライツ契約を結ぶことは現代のスタジアムに必要な財政的側面です。新しいスタジアムはもうホワイト・ハート・レーンとは呼ばれないでしょう。進歩を望むなら、物事は変わらなければなりません。我々はビッグクラブですが、欧州のメガクラブと肩を並べたいのであれば、もっと大きなスタジアムが必要です。シーズンチケットのキャンセル待ちが2万2千人もいて、次世代のファンの需要を満たすことができていません。彼らがチケットを手に入れることができない状況があるため、スタジアムの問題を解決しなければいけないのです。この問題の解決は何年も取り組んできたことです。非常に複雑なプロジェクトで、地元コミュニティと相談するつもりですが、数週間後に計画が公表できれば、きっと皆さんに喜んでもらえると確信しています。この計画によりクラブを危機にさらすようなことは何もするつもりはないので、計画を進める手筈が整えば、賢明な資金調達ができるようにするつもりです。

https://www.skysports.com/football/news/11675/4430793/new-name-as-spurs-leave-lane

 その年の12月に早くも完成イメージが公開されます。これを見た時は心ときめきましたねー。当時はそんなにスパーズの情報を追いきれていませんでしたが、なんかよくわからんけどとんでもないものできそうやぞ…と思った記憶があります。

完成イメージ図 第1弾

 2009年10月には、434戸の新しい住宅、150室のホテル、クラブミュージアムとショップ、スーパーマーケットの建設を含む56,000人収容のスタジアムの計画申請が提出され、2010年の着工を目指していました。しかし、そこは新スタ計画あるあるですんなり物事は進みません。この計画は8つの地方指定建造物と2つの国指定建造物を取り壊すことになるため、イングリッシュ・ヘリテージ(史跡保護組織)やその他の保全団体から批判が殺到します。そもそもスパーズの本拠地は首都ロンドンなので規制も多いんですよね。スパーズは一旦申請を取り下げ、翌年5月に修正した計画を提出、9月には地元のハリンゲイ議会の承認を受けることができます。その後、当時のロンドン市長のポリス・ジョンソン(後の英国首相)からも承認されます。問題だった歴史的建造物についてもイングリッシュ・ヘリテージがこれ以上の変更を求めないことを示唆して、さぁ、やっと建設できるぜ!と思いきや、またここでも問題が生じます。地元議会、ロンドン交通局、イングリッシュ・ヘリテージの要求に応えるためのコストがかかりすぎるということが原因でレヴィがこの計画を断念することを検討し始めるのです。
 しかし、スタジアムの収容人数を増やすことはレヴィにとって必ず達成しなければいけないミッションです。そのために会長に就任以来、布石を打ってきたわけですから。そこでレヴィの考えた代替案はイースト・ロンドンのストラトフォードにあるオリンピック・スタジアムをオリンピック終了後に改築して使用するというトンデモ案でした。地元イースト・ロンドンを本拠地とするウェストハムがすでにこの計画に手を挙げている状況でしたが、そこに突然スパーズが横から割り込む形となります。スパーズはオリンピック・スタジアムを一度取り壊してサッカー専用スタジアムを建設する案を提出します(これは完全にレヴィのこだわりです。)。レヴィはこの選択がファンに受け入れられると思っていたようです。甚だしい勘違いですけどね…。レヴィはこの時期にオリンピック・スタジアムへの移転計画が成功しなかったとしても、クラブの次の本拠地はトッテナム以外になる可能性があるかについて聞かれ、次のように答えています。

 その通りです。今のホワイト・ハート・レーンの状況に関する問題は、現在のところプロジェクトが実行不可能だということを表しています。我々は振り出しに戻らなければならないし、それは明らかに他の場所をもう一度検討することを意味するのです。
 スタジアムは私達にとってエモーショナルなものですので、もしチャンスがあれば、私たちはここ(ノース・ロンドン)にスタジアムを建てたいし、素晴らしい交通網を手に入れたいと思っています。しかし、このクラブにとって明らかなのは、プレミアリーグや欧州サッカーの最高レベルで戦うためには、スタジアム問題を解決しなければならないということです。
 より大きなスタジアムが必要で、そのためにこの地域から移転しなければならないとしても、ファンは私たちを支持してくれると思います。

https://www.theguardian.com/football/2011/jan/25/tottenham-hotspur-stadium

 これはレヴィのやった数少ない失敗のうちの1つだと思います(これは未遂で済みましたが…)。結果的に陸上トラックを残すことを約束したウェストハムにオリンピック・スタジアムの使用許可が下りますが、もしスパーズ案が認められていたらと想像するとゾッとします…。サウス・ロンドンのウーリッジから突然ノース・ロンドンにやってきたお隣と同じことをしようとするなんてことは、いちスパーズファンとして到底受け入れられません。それに計画段階ではあれだけ大切にしていた地元を捨てる選択をしたことも信じられません。レヴィも悩み抜いての決断だったと思いますが、この時のレヴィの決断についてはなかなか理解するのが難しいです。彼の傾向として、目的を達成するためには大きいリスクも受け入れることがあります。また、彼はスパーズファンのことを自分と同じ量と質の情報を持っており、そのファクトの認識も彼と同じように冷静にできる人物像をイメージしているような気がします。そんなファンなんているか!と思いますが、そうでないと彼の行動を説明することができません。ここら辺は次回のまとめでも触れたいと思います。
 オリンピック・スタジアムへの移転計画が失敗に終わった後のレヴィの動きはとても迅速でした。すぐに地元議会とスタジアム周辺の再開発に向けた共同声明を発表します。これには地元自治体とロンドン市から£27mもの資金援助があることが含まれていました。この声明の背景には同年夏にWHL近くで起きた暴動により地元自治体がスパーズをこの場所に残すことを強く望んだことも影響しています。これにより何とかノーザンバーランド開発計画は再始動することとなります。レヴィの特徴として、一度失敗をするとそれからの行動力がブーストするというものがありますね。
 クラブは当初、12-13シーズンの開幕に合わせて新スタジアムに移転し、翌シーズンの終わりまでにスタジアムを完成させる予定でした。しかし、計画の修正や用地購入をめぐる長引く争いによってプロジェクトは遅延し、完成日は徐々に延期され、2017年夏まで延びることとなります。2012年3月、地元自治体は、自治体の所有する土地をスパーズに引き渡す計画を承認します。残る障壁はArchway Sheet Metal Works所有の工場からの土地の購入のみとなりました。
 地元自治体から強制購入命令が出ますが、裁判沙汰にまで発展したり、その工場において不審な火災が起こるなどすったもんだあります(これは未だに謎に包まれた事件です。)が、2015年3月31日、クラブとArchway Sheet Metal Worksは共同声明で、開発を進めるために必要な土地の売却について合意が成立したことを発表しました。
 これによりやっと新スタの建設が始まります。新スタの計画はPopulousという会社が携わったのですが、レヴィはその完璧主義の性格からこの建設にどっぷり浸かっていくこととなります。レヴィは計画初期からだいぶかましており、Populousをドン引きさせているエピソードが残っています。Populousのマネージング・ダイレクターであるクリストファー・リーとレヴィがこのプロジェクトの初期段階で一緒に出張した際、午前2時に現地に到着し、その直後に数時間に渡って話をした後、レヴィがリーに「3時間後にミーティングがある。」と言い出したらしいのです笑。リーはすぐにレヴィとの出張を取りやめたと話しています。このように、レヴィのスポーツ観戦分野で世界最高のスタジアムを作るという野心とそれを実現するための労働力に天井はありませんでした。
 スパーズは2017年5月14日、マンチェスター・Uを2-1で下し、WHLでの有終の美を飾り、その数時間後には解体作業が始まります。工事はこの後、約2年を要し、チームはその間ウェンブリー・スタジアムを仮の本拠地とします(ミルトンキーンズでも1試合戦いましたが。)。WHLのラストマッチは本当に感動的でした。たくさんのレジェンド達も訪れ、試合後にはスタジアムに虹がかかりました。

The scene after the last game at WHL

 この工事期間、レヴィは完全に主導権を握ります。彼は工事を監視するカメラをチェックし、それをズームインしてなぜまだ作業が進んでいないのかを検査する等していたようです。会長がやる仕事じゃねぇだろ!と突っ込みを入れたくなりますが、それを可能にする労働意欲が彼を突き動かし続けます。工事関係者から殊更評判が悪かったのは、やはり彼のコスト管理の手法です。通常、これだけ大掛かりのプロジェクトともなれば、契約を管理する担当者を雇用します。そのくらいのコストはかけるのが普通ですよね。しかし、その請負業者との価格交渉で決裂し、レヴィが中心となりその業務を行うこととなります。なぜ会長業務を行いながら、そんなことができるのか意味がわかりませんが…。しかも、めちゃくちゃコスト管理に口出しまくったようで、そのせいで工期が遅れたと言われています。
 そんなことをしているので、もちろん新スタ建設は当初のスケジュールに間に合いませんでした。防火システムの設置を担当する2社の問題で安全証明書の交付が遅れ、オープンは2019年4月にずれ込みます。そもそもの納期が短すぎるという話もあったようですが、とりあえず安全証明の交付遅れによる工期後ろ倒しはスパーズあるあるなんですよ。これは過去のEpisodeでも書きましたね。
 さて、そんなこんなで完成した新スタを含むノーザンバーランド計画でできた施設やその効果について書いていきたいと思います。私はまだ訪れたことがないので、行った方の方が詳しいですけどね。いつか子供達も連れて必ず訪れたいものです。
 まず、我らが新スタは62,062人収容で、ボルシア・ドルトムントのシグナル・イドゥナ・パルクの影響を受けた17,500席の1層スタンドを含んでいます。試合当日の雰囲気を高めるため、スタンドはピッチに近い位置に配置され、ノース・スタンドとサウス・スタンドはわずか5メートルしか離れていません。この雰囲気作りのための仕組みはレヴィの肝入りで相当こだわっているみたいです。また、ラグビーやアメフトの試合もできるため、NFLとのパートナーシップも結び、2030年まで最低でも年2回はNFLの試合が開催されます。その他、ボクシングの世界選手権やラグビーの試合も行われています。さらに、スタジアムの地下にF1ドライブ・カートコースがオープンしたり、スタジアムの屋根に登ることができるスカイウォークがあったりするなどのビジターアトラクションも充実しており、1年中アクティブなスタジアムを目指しています。スカイウォークは風も強くて結構怖いらしいですね。今、話題となっているのは新スタのイベント会場としての側面です。新スタは今や世界的なアーティスト達がライブ会場としても使用しています。昨年はビヨンセ、レッチリ、レディー・ガガ、ガンズといった超大物がライブを行い、今年もすでにピンクやパール・ジャムのライブが決まっています。クラブは今後、このようなフットボール以外のイベントの制限を年30回まで引き上げていく予定です。
 この新スタ建設の究極目的は、安定した財政基盤の確保でしたよね。Episode4で書いたとおり、マッチデイ収入は試合数に依存するためスパーズがヨーロッパ戦に出れるか、ヨーロッパ戦や国内カップ戦でどこまで勝ち進むかといったピッチ上の成績に大きく依存します。この収入は予測することは不可能で、経営側からすると完全にアウトオブコントールの領域です。しかし、この新スタがイベント会場としての側面やオールシーズン型のアトラクションとしての側面を有することで、安定した収入が確保されるのです。これはフットボールクラブを運営する側としては相当ありがたい話ですよ。この新スタが伝家の宝刀たる所以はまさにここにあります。
 また、クラブミュージアムであるトッテナム・エクスペリエンスには映画館やクラブショップも入っており、ヨーロッパ最大となったクラブショップには100席の観客席と36スクリーンのビデオウォールが設置され、サッカーの試合前後のイベントに使用されています。一般的に滞在時間と支出額は比例するため、スタジアムを訪れる人々がお金を落とす所の滞在時間を長くする工夫が凝らされています。金を巻き上げる仕組みづくりはレヴィに任せておけば間違いない!っていうのがここら辺を見てもわかりますね。
 上記のようなクラブ関連施設のほかにも、180の客室を完備したホテル、2,600戸以上の安価な住宅、駐車場完備のスーパーマーケット、コミュニティ・ヘルス・センター、クラブが教育省と提携して運営する教育施設の建設をしているのが、このノーザンバーランド開発計画の特徴です(建設予定も含む)。皆さんもご存知のとおり、スパーズが本拠地を置くノース・ロンドンは比較的に貧困層が多い地域です。レヴィはこの地域に根ざすクラブの使命として、地域に仕事と活気を生み出すことを強く意識しています。行政からの補助金を引き出すために地域振興的な要素を入れる必要はありますが、ノーザンバーランド開発計画は1クラブが行う規模を遥かに超えています。地域振興をクラブへの投資であると捉えて、ここまで計画・実行できるクラブは世界広しといえど、スパーズくらいです。やはりこの規模で何かを成し遂げるためには、人の思い(信念)が重要なファクターです。レヴィはトッテナムという地域に対する思いをこのようにコメントしています。

今の私があるのは今いる場所で戦うというバックグラウンドがあるからだと思います。トッテナムの力とブランド力は、人々の生活に大きな影響を与えるための大きな責任を伴っていまく。トッテナムの地域を見ると、とても恵まれない地域です。今は10年前よりも良くなっています。ロンドン暴動はここトッテナムから始まりました。私は本当に変化をもたらしたいです。
私のレガシーとは、もちろん(ピッチ上で)勝利することですが、人々の人生に影響を与えることなんです。

https://www.football.london/tottenham-hotspur-fc/news/daniel-levy-tottenham-manager-kane-26737722
計画中のホテルのイメージ

 スパーズのノーザンバーランド開発計画は基本的にお隣のエミレーツ・スタジアムさの開発に影響を受けていますが、そのお隣は地域福祉のために旧スタジアムであるハイバリー・スタジアムの跡地をハイバリー・スクエアというマンションにしており、725戸の安価な住宅を建設しています。スパーズは予定ではありますが、2,600戸以上ですよ。極めて単純な比較にはなりますが、私はこの差からレヴィの気概を感じます。
 今後は周辺地域の開発計画や交通計画と連動しながら、スタジアムへのアクセスを含めた交通分野の開発も進めていくそうです。これもかなり大変な事業となりそうです。

 以上がノーザンバーランド開発計画の概要です。いやぁ、壮大ですね。しかし、この計画はレヴィがワンマン会長だったからこそできたような気がします。特に地域振興の部分は投資としてはかなり長期思考であるため、民間組織としてはあまり馴染まないと思うのです(こんなの普通は行政の仕事ですよ。)。レヴィがこのクラブや地域に対する思いを持っており、常人レベルを遥かに超えた実務能力や労働意欲を持っていたからこそ、この規模の計画を進められたのだと思います。そんなことをできるやつはレヴィ以外聞いたことがないので、レヴィでなければ無理だったということです。
 次回は当初の予定ではスパーズの未来とまとめについて分けようと思っていましたが、まとめてやってしまおうと思います。
 今回のブログを書く際に参考にした主な情報は下記にURLを貼っておきます。お付き合いいただき、ありがとうございました!


http://www.spurs1882.org/misc/WHL_EastStand2001_PlanningStatement.pdf



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