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何に違いがあるのか「欧米人に寝たきり老人はいない」要約・所感②

おはようございます。本日も宮本顕二さん宮本礼子さん共著の「欧米人に寝たきりはいない」を取り上げたいと思います。

前回のnoteでは日本の終末期医療の実態についてまとめました。今回は本書のタイトルにあるように欧米の終末期についてみていく内容としたいと思います。

著者が欧州豪6カ国の終末期医療の現場に実際に足を運んで得た知見に触れることが出来ます。私なりに学んだことをまとめておきたいと思います。



1.欧米に寝たきり老人はいない


著者が初めて欧州の終末期医療を視察したのは北欧のスウェーデンでした。そこで寝たきり老人がいないと驚いたことが、そのさきの活動のきっかけとなります。一方で外国の医師が日本の終末期医療の現場を視察すると「日本には物言わぬ寝たきり老人がたくさんいる」と驚かれるそうです。

欧米では日本のように、高齢で食べられなくなったからといって経管栄養や点滴は行いません。肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。したがって両手を拘束する必要もありません。つまり、多くの患者さんが寝たきりになる前に亡くなっているのです。

日本では1人の患者を回復させるために99人の植物状態の患者をつくり、反対に欧米では99人の植物患者をつくらないために1人の患者を死なせている。このような皮肉な表現もされています。

では欧米では高齢者を早死にさせているのでしょうか?平均寿命をみてみます。日本は世界一の長寿国であり2019年の平均寿命は84.3歳です。例えば同年のスウェーデンの平均寿命は83.1歳です。どうでしょうか。我が国の濃厚な終末期医療や延命措置も寿命を1年ちょっと延ばすに過ぎない…ともとれないでしょうか。

2.医療と福祉の違い


欧米と日本にはどのような違いがあるのでしょうか。医療と福祉の違いは何か、欧米でも高福祉国とのイメージがあるスウェーデンを例にみていきます。

実はスウェーデンでもその昔、点滴と経管栄養を行っている時代があったそうです。転機となったのは1992年の医療・保険福祉改革(エーデル改革)でした。高齢化と金融危機で社会保障財政が逼迫したからです。目的は社会的な入院の解消と高齢者の生活の質が向上でした。

そのため入院期間は日本と比べると極端に少ないのです。心筋梗塞で5日間、乳がんや骨折は手術当日に退院します。

スウェーデンでは施設に入っている高齢者はそのまま同じ施設で看取られます。日本のように、病状に応じて医療の施設を転々とすることはありません。また、肺炎くらいでは入院せず、訪問診療の医師から内服薬が処方されます。見学した宮本さんも、日本だったら助かる命もここでは死んでいる可能性があると思ったそうです。

スウェーデンの高齢者医療は過小医療かもしれませんが、人生が終わりが近づいた人の自然な死期に委ねられていると言えます。私達はスウェーデンを高福祉国家と捉えがちですが、高齢者にとっては高福祉ではないようです。

高齢者が入所する施設でも違いがみられます。スウェーデンの施設には多くが広大な庭を有しており、日々の日課で大切にされていることは自由散歩です。GPS機能付きの携帯をもたせるのなど自由で寛容なのです。広い敷地にテーブルや椅子が点在して置いてあり、そこではパーティを頻繁に催されお酒を飲むことも許されます。自由で楽しまなければ人生ではない。そのように考えている人が多いのでしょう。

一方で日本では2007年に家族が介護疲れでウトウトしている間に家から外へ出た認知症高齢男性が踏切で亡くなるいたましい事故がありました。JR東海は遺族に対して損害賠償を求める訴訟を起こします。最高裁まで争った末、請求は棄却されました。

こういった社会的背景もあってか日本の施設では外出制限も含め認知症高齢者の行動を制限する多いのです。外へ徘徊しないように柵をしたり、ベッドの中で体動が激しい場合には帯で手足を縛ってまで制限することも。

何かあってからではいけないという事なかれ主義の日本は、そうまでして安全を優先しなければならない社会なのです。反対にスウェーデンでは自由と引き換えにそれに伴う危険をも国民が受け入れている社会。このように対比して捉えることも出来ます。

3.社会的な価値観の違い


日本では退職後に「さぁ、これから遊ぶぞ」と人生を楽しむ人は多くない気がします。どちらか高齢者は若い人に遠慮してひっそりと暮らしています。老いては子に従えと医療の内容にまで子どもの意見に従う人がいます。これには子どもが親の老後や介護といった面倒をみるべきだという社会通念の影響もあるでしょう。

一方で欧米の高齢者は良い意味で子どもから自立しています。子どもは子どもの人生、自分には自分の人生と。ベッドの上で点滴につながれ生きていてなんの意味があるのか、楽しい嬉しいが分からなくなってしまっては生きていても仕方がないとはっきり言います。そして、食べられなくなれば、思い切りよく死んでいきます。

国の政策にも価値観が反映されます。高齢者の生活環境や健康はないがしろには出来ないものの最優先課題ではないのです。予算が限られているのであれば未来ある子どもたちのために使おう。そう若者も高齢者も同じように感じているのでしょう。投票率の高さを理由に高齢者の顔を伺うような日本の政治とはこの点でも違いがありそうです。

前回に続き2回に渡って日本と欧米の終末期医療をみてきました。
本書を読んで感じたのは、日本と欧米での死との距離感の違いでした。日本人は死を身近でない非日常と捉え、欧米人の方がより身近に感じているのではないでしょうか。考えてみれば人生で唯一確かなことは、いつかは死ぬということ。生まれることと死ぬことをより自然なことと考えているのでしょう。

日本はこれから高齢化に伴い多くの人が亡くなる「多死社会」を迎えます。今のようには濃密な終末医療が提供できない時が必ずくるでしょう。そのときになって慌てるのではなく、まずはひとりひとりが自分の人生の最期について考えてみること。そして、それを家族や大切な人と話してみることが今からでもできるはじめのステップであると思いました。

私としても「自分最期を考える」という非日常の思考をめぐらすよい機会となりました。より詳しく知りたいと思った方は是非手にとって読んでみて下さい。


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