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近未来の話をしよう-28

核個人化が行き着く生存要求。

核家族化からさらに細分化された生活単位はこれからも増えてゆくのだろうか?両親に一人の子供。両親は共働きでも一人の子供を大学に通わせて社会人になるまで面倒を見る。子供は大学が多くある都市圏に出て一人暮らし。故郷に帰っても就職する企業がない。親は高齢で子供養うほどの収入もない。少子高齢化で親の年金は減り、子供に早く自立をしてそのまま街に残れという。

自分一人の力で食べていかなきゃならない。彼氏が出来て同棲すれば二人で稼いでなんとか生活できる。なぜか税金は毎年高くなって、耐えきれなくなって中小企業は倒産してゆく。さらに働ける場所はなくなって、子供を持つなんて夢の夢。親は介護が必要になって医療費も馬鹿にならない。そんな風になっても政治家は変わらず。一時若返ったはずが、いつの間にかまた老人たちが政をしている。

成人年齢が下がっても生活が良くなるわけじゃない。身を寄せる場所のない若者たちはブラック企業に頼って、さらに体力と生活費を剥ぎ取られる。

一体どうすれば生き残れるのだろう?

弱者はみんながみんな弱者じゃない。技能が大事なことがわかってきた。巨大な総合大学に行ってる場合じゃない。専門性を上げなきゃ生き残れない。先生は当てにならない。早くから世界中に友達を作って情報をやり取りしよう。

家族が当てにならないのなら、仲間で集まろう。少数のベテランと多数の健康な若者、あるいは専門技能を持った人たち。それぞれの特性を活かせば、集団として生き残ることができる。家長ではなくてコーディネーターが必要。相互教育出来る場が必要。学校に高い受講費を払うのはもったいない。独学と相互教育の相手を見つけることができれば、この貧困のループから抜け出せるかもしれない。

そもそも「貧困」とは何なのか?人はより効率よく生活を持続するために物々交換から始まる「経済」を生み出し、通貨を使うことでさらに経済を発展拡張してきた。それが歪になったのは一人の人間が生涯を通して消費するエネルギー以上の財産を手に入れようと思い始めたからだ。それは「他人との比較」をすることで、自軍よりも沢山の財産を持つ人を羨望し、それを増長してきたからだ。

一人の人間が成長し、暮らし、家庭を持ち、子孫を残し、継続するのに必要なエネルギーの量だけならこれほど急速に環境は破壊されなかった。

ならば、そのような状況に戻せばこれ以上の環境破壊は起こらず、暮らしを継続できるはずだ。

みんながそっぽ向いてた農業や漁業、もっと上手にパーソナルに出来れば家計に足しになるし、地球環境にも貢献できるかもしれない。だって一次産業や五次産業が一番生産性があるのだから。

それでも人間の欲求は際限がない。資本主義は拡大を続けることでしか持続できない。「新資本主義」と言っているが、それはほんのわずかに資本の増大スピードを減速することにしかならない。

「集団化」は個々の消費エネルギーを軽減するだけでなく、技術の発達は促進できる。また集団という活動の基盤を持つことができる。

企業ではなく、細分化した「新家族形態」と、他の同様の集団をネットワークで繋げば大きな企業体と同じような力を持つことができるかもしれない。

しかしその集団が膨れ上がり中央集権型に変化するなら、これまでと同じ危機を生み出すだろう。

違った才能の寄せ集めがかつてのマニファクチャーのようなカタチを作る。彼らが出会える素地はもうある。国や海を超えてどうやって生産したものを流通させるか?デジタルとリアルをどうやってリンクさせるか?課題は多いけれど、生き残るためのシュミレーションや試験運転はもうすぐにでも始めなくては間に合わない。

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