見出し画像

事業育成の実際42-人生のお話

●揺り戻す振り子

最近は短期間にいろんなことが起こります。
新型コロナの蔓延に始まって、ウクライナでの戦争。
今年に入ってすぐに能登半島での震災。
世の中の景気は上がったり下がったり。
私たちは現場で働いていますから、それらの出来事の影響をもろに受けます。
注意深く見なくてはならないのは「マーケットの変化」です。
もちろん景気の動向に合わせてマーケットでの販売売上は上下します。
どのような状況でどのマーケットを選ぶか?その変化を見極めながら今では3ヶ月ごとに変わって行く状況をよく見ておく必要があります。
大企業ではこれまで以上の良い業績が発表されたりしていますが、その背景にある隠された変化まで注意深く観察する必要があります。
例えばトヨタがこれまでの最高の収益を記録した裏側には下請けや系列会社に無理難題を押し付け、商品開発を急がせコストを下げさせるという圧力をかけ、その結果膨大な量のリコールが発生したり、宝塚歌劇では無理な回数の公演をこなす裏で自殺者を出すほどの上下関係での圧力があり、BIG MOTORではノルマを達成させるため現場に圧力をかけ続け様々な問題を引き起こし、コンプライアンスの重要性を語り始めた裏ではその逆のことが起こっているのが現状です。
大企業や中堅企業が賃上げに向けて動いているその陰で、その皺寄せを受けている社員や下請けが多く隠されていることに気づかなくてはなりません。

●これまでとは別の道を探る

日本の社会が抱え込んできた問題は政治の裏金問題が象徴するように多くの組織や企業も大なり小なり同じような問題を抱えていることを浮き彫りにしました。
私たちのような小さな企業でも外部や取引先からの圧力は大きくなり、不可能なノルマを達成するように仕向けてきます。そのノルマが達成できなかった場合は「取引を停止するぞ」と脅迫じみたことを言ってきます。
下請けだから反論も抵抗もしないだろうと考えている企業の社員がいるとしたら、自分自身の能力をもう一度見つめ直して、自分自身の出してきた成果が決して自分だけの能力で成し得たものではないことを認識し直すべきでしょう。
これまで下請けとして事業を行ってきた私たちも、「仕事がなくなる恐怖心」や「収入が減ることの困惑」から抜け出さなくてはならない時期に来ているようです。そのための糸口を見つける必要があります。
私たちの仕事がどのようになり立っているかを考えたときに、これまでのように大企業から発注される仕事にしがみついていて良いのかを考え直す必要があります。
私たちの仕事を支えているのは「大企業」ではなく「エンドユーザー」であるという基本に立ち返るべきではないかと考えています。
市場で大資本を背景にした同業者と競い合わなくてはならない時、違和感を感じます。彼らもまた競争を勝ち抜くために資本を投入し、市場のシェアを獲得しようともがいています。でもその陰で販売員の獲得のため莫大な投資をし、製造の現場では無理な残業や賃金を上げることができず従業員に負担をかけてしまいます。
莫大な費用を投下して告知をしながら認知度を上げていったとしてもさらに莫大な資本投下をする大手企業に勝つことができません。
でも問題なのはなぜ「勝たなくてはならないのか?」という市場原理です。
一体誰と戦っているのでしょうか?同じ業種の他社は良きライバルではあるけれど「打ち負かさなくてはならない相手」ではないはずです。
競わせているのはその小さなコマを獲得させようと椅子取りゲームをさせているマーケットを運営している事業者の思惑だったりします。それはその事業者もより多くの利益を出さなくてはならないという市場原理の中で事業をしているからに他ありません。
自分達のマーケットを大きな競争市場の中で見出そうとする限りはその原理から離れることはできません。
規模の経済から脱却して誰もが幸せになれる場所を獲得しなければ経営者も授業員も不幸になるばかりです。

●これからのことについて

さて、私たちが目指す方向性について書いてきましたが、ここからは少しプライベートな話になります。
私はここから短い時間の中で会社を存続し、働く人たちが幸せになれるような仕組みを作らなくてはなりません。本来なら時間をかけていろいろなことを試しながら進めなくてはならないことですが、どうもそうはいかなようです。
戦争や新型ウイルス以外にも人生を決定づけるような出来事は起こるものです。
しかし、どんな環境の変化よりも重い出来事が最近ありました。
それは自分自身の寿命に関する出来事で、慢性的な病により人生での時間的な制限や行動の制限があることを知りました。
この病に関しては持病のこともあり、かなり用心をして悪化したり状況が変わらないように気をつけてはいたのですが、どうも見えないところで侵食を続けていたのが年末、年始のコロナとインフルエンザの感染により悪化したようです。
これまでここにも書いてきたように約10年の時間の中で事業を拡大し、その後の老後に備えるつもりでいたのですが、計画を一から見直さなくてはならなくなっています。
すぐに何か起こるというものではありませんが体内に時限爆弾を抱え込んでしまったような状況で出来ることはタイマーの動きを遅らせることぐらいで、いつどこで作動するのかはわからない状況です。時間が少なければ明日にでも、遅くても10年後には爆発すると考えなくてはなりません。
現在行っている事業は3年で個人事業としてはそこそこの大きさにまで成長し、一昨年に法人化を果たしたばかりです。
この事業を今後どのようにして行くかということを考えてゆかねばなりません。
いますぐに私がいなくなるとは考えないにせよ、1年以内に事業をどのように整理してゆくかということが最重要な課題になりました。
現在は私が代表取締役で家内が取締役という小さな規模なので、法人を解散したり休止しても大きくは影響はありません。
しかし、最初は1社だけだった取引先企業(クライアント)は現在は8社以上(全て上場企業)となっており、多少の影響はあると考えます。授業員は当初3名でしたが現在は8名(私たちを入れると10名)にまで成長し、今後も成長が見込まれていました。
事業承継をどうするかに関しては「次期代表者にバトンタッチする」、「経営者を迎え入れる」「M&Aにより売却する」などの方法が考えられます。
私たちは企業文化を大切にしたいと考えているので、「生産者とつながる」「フードロスを減らす」などの取り組みを継続してくれるのが前提として考えています。

その前に自分たちが今後どのように事業に関わってゆくのか?どこまで事業を続けられるのか?残された時間で誰に何を伝えてゆくのか?
それを考えなくてはならなくなっています。

●人生で残せるもの、残せないもの

本当はまだ人生を振り返るには早いですが、良くも悪くも短い中での波瀾万丈な人生ですし、これからも時間は少ないとしても波瀾万丈であることは間違いなさそうです。
「他の誰かを幸せにする」
これまでの人生で自ら独立して道を切り拓いた教え子は何人かいます。
「種を蒔く人」
自分をそう位置付けています。
その意味ではいくつかの種は目を吹き成長をしています。
「誰かの事業をサポートする」
サポート事業は自分たちの事業を成功に導いてから行う予定だったライフワーク的な存在でしたが、現在はまだ出来ているとは言えません。
「世代を超えてつながる」
事業を起こしたり、継承したり、交流することで相互教育を促すことは最終目標としてしたいことでした。過去形には書きましたがまだ諦めているわけではありません。
これから残された時間で何を行うか?は「種を蒔く人」として、良いことを継承していただき、より良い人生を他の人たちが選択できる可能性を示すことでもあります。
このような考えを持ったのは幼少の頃から親に自分の所有物のように扱われ、何かを相談しても親の意に反することは受け入れられず、こちらから提案をしてもほんの少しでも親の不利益につながる可能性のあることは全て排除するために反対されるという環境に長く置かれていたのが原因だと思います。
音楽や芸術の才能があっても親の利益にならず、それで私が貧乏になったり苦労することが親が自分に火の粉が降りかかるのを防ぐためだけに反対されたりしてきました。
それでも私はデザイナーになり、現在はようやく経営者としての基礎を身に付けつつあります。時間はかかりましたが60歳を過ぎてようやく蕾がつき始めたところでした。
だから自分自身の健康状態から事業の芽をつぶすことは不本意なことであり、どんな形であれ何とかこの芽を残したいと考えています。そのためにも世代を超えた連携が必要であると考えています。
残りの人生は新しく芽吹く才能と彼らがやりたいと思っている目標に辿り着くための手助けができればと考えています。
もちろん、自分自身の人生もきちんと見直さなくてはなりません。
それでも自分自身に対して「よくがんばってきた」し、現在もよく「頑張っている」と言いたいと思います。波瀾万丈なのは安全な場所にいるのではなく、立ち向かうべきものには立ち向かう。慎重な性格ですが、一度決めれば真っ直ぐにそこへ向かう。一度始めたことは絶対に諦めない。それはこれまでやりたかった事が親という障壁のせいでする事ができなかったことの裏返しだと考えています。
仕事を始めた頃は親や家族を恨んだこともありましたが、今は恨みではなく不幸な人たちだと感じています。彼らにも彼らの人生があって、そうならざるおえなかった理由があるのだろうと考えるようになりました。
私の人生も褒められたものばかりではなく暗い部分や見えない傷が無数にあります。でも年齢とともにそれらを削ぎ落とし続けてきたし、今は逆に高校生ぐらいの青年が語る未来を人生を重ねたベテランの知識で推し進めている感覚を持っていました。それでもいつか肉体は滅びるとわかっていたし、ずいぶん長い間それに備えるように生きてきましたが、いざ、そういう状況になると強いと思っていたメンタルにも綻びが生じ、その綻びを修復するには国や政治の力は届かず、結局人隣のつながりが大切だと思い至っています。
友人も何人かはこの世にはおりませんが、次の世代とのつながりを深くしておくのは、この「つながり」は「人」の連鎖だけではなく「時間」の連鎖でもあると考えるからです。
さて、これからその連鎖を作るための残された人生を進みたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?