見出し画像

花は咲く Flowers bloom in your garden.ⅩⅩⅢ

ニースから電車に揺られて小一時間、
まるで絵に描いたようなミントカラーに包まれた街並みに見惚れていると穏やかな地中海に浮かぶ一枚の絵のようなような街「マントン」に到着した。
日本の田舎町に育った私はその殻を破って夢を綴るためにこの街にやってきた。
拙いフランス語で何通も書いた手紙をこの街の小さなコンフィズリィに出してから
5ヶ月が経っていた。
その小さな洋菓子店はまるでおとぎ話に出てくるような外観で、
私は期待に高鳴る夢と重圧に押しつぶされそうになってその扉を開いた。

●私の幸せ、誰かの幸せ

私だけの店を作りたい。
その気持ちだけでいろんな仕事をした。
お客様に喜んでいただける店。
夢じゃなく現実にしたい。
フランスで5年修行をしてここに戻ってきた。
駅前にあるカフェで働きながら少しずつ貯金をして、いつでもお店を開くことが出来るように頑張った。
それなのに何だか物足りなさを感じていた。
職場に不満があるとしたら、この店はいわゆるフランチャイズ店で置かれている商品は完成したものが毎日本部から送られてくる。
少しでもお客様が満足できるようにマニュアルに書かれているサービス以上のものを提供したいと思っていた。
でもお客様が「このケーキ、甘すぎるのよね」と言っても私には何も出来ない。

フランスでは厨房は戦場みたいに忙しくて接客とお菓子作りを同時にこなさなきゃならなかった。日本とは違ってお客様は誰もが話しかけてくる。
「美味しかったわ。また来るね」
「今日は娘が久しぶりに帰ってくるの。お茶受けに何が良いかしら?」
接客はとても楽しかった。
顔馴染みの客と話してその人となりを知ると、そのお客様が次に来られる時に何を勧めようかと想像した。

帰ってきたふるさとの人たちは寡黙でほとんど話をしない。
私もいつかお客様との会話を楽しめなくなっていた。

ある日、いつもお店に来てくれるお客様が他のスタッフを気にしながら小さく畳んだ紙を私に預けた。
それはそのお客様が経営している焼き菓子専門店のチラシと求人案内だった。
「あのお客様、お菓子屋さんを経営してるんだ…」
私の中にムズムズとした感情が湧き上がってきた。

次の日もそのお客様はいつものように夫婦で来店した。
レジで接客している時に勇気を出して小さな声で話しかけた。
「あの、手が」
「手が?」
「寂しいんです。忙しくお菓子を焼いていないと忘れてしまいそうで。お客様のお店に興味があります」
お客様はいつでも体の空いた時に一度来てください、と言ってくれた。

それから1週間後に私はその小さなお店の前に立っていた。
白塗りのドアを開けると来客を知らせるドアベルがカランカランと小気味よい音を立てた。
「いらっしゃい」
奥様が出迎えてくれた。
丁寧に包装された焼き菓子が並んだエントランス。
無造作だけど何だか懐かしい気がした。

「厨房見させてもらっても良いですか?」
厚かましく私が言うと快く案内してくれた。
お店の規模の割に厨房はとても立派で、中型のガスオーブンが2台。
大型冷蔵庫が2台。大きめ作業台が二つ。
小さな店内に所狭しと置かれている。
「最初はねカフェだったのよ」
「でもね、上手くいかなくって‥。当たり前よね、私たちが来てほしいお客様がこのあたりには住んでいないんだもの。だからね、私たちがお客様のところに行くことにしたの」
オーナー夫婦は駅のPOP UP SHOPやモールの売り場での催事出店を始めたそうだ。本当にいろんな場所へと出向きお客様に自分たちのお菓子を買っていただくようになった。
するとこの小さな店にも車で1時間以上かけてお客様に来ていただけるようになったらしい。
「自分が誰にお菓子を買って欲しいのか?誰が自分たちのお客様なのか?が大事なのよ」

そうだ、私はいつの間にかお客様が誰なのかわからなくなっていたんだ。

勤めていた店で引き継ぎが終わると私はその小さなお菓子屋さんで働き始めた。
小さな店とは言っても、大型店舗に負けない量のお菓子を毎日作っていた。この小さな店から日本中にお菓子を送り出すのだ。
それでもオートメーション化するのではなく「手で作る」ことを大事にしていた。
一度オーナーに聞いたことがある。
「どうしてオートメーション化しないんですか?」
「だって、それじゃ働いていて楽しくないでしょ」
それがオーナーの返事だった。

ここで働いてもうすぐ2年を迎えようとしていた。
私もそろそろ自分の店を持ちたいと思うようになっていた。
オーナーに相談すると、
「あなたがいなくなるのは残念だけど、あなたの決断を尊重します」
そう言って背中を押してくれた。

ところが、いざ自分の店のことを考え始めるとなかなか決断できない私がいた。
私が自分の夢を描き始めた頃、私の頭の中にはフランスの修行時代にお客様と話をしたり同僚と自分の夢を話していた姿が焼きついていた。
自分一人で踏み出そうとしている私にはあの頃の夢が薄れて「やりたいこと」と「仕事」の間で揺れ動く気持ちを感じていた。
そんな時に勤めていたそのお店のオーナーがラインでメッセージをくれた。

「私たちに力をくれるお店があります。そこに行ってその目で見てくると良いよ」

夜行バスに乗って私は東京に向かった。
その店は都心から少し離れた小さな町の片隅にあった。
でもその店であることはすぐにわかった。
歩道脇に並ぶ自転車。
店のスタッフが歩く人の邪魔にならないようにきちんと寄せて並べていた。
11時を過ぎていたけれどお店の外にまで人が並んでいた。
シナモンやハーブの匂いが漂ってくる。甘いお菓子の香りが充満していた。
見ている間にも次から次へと人がやってくる。
古い民家を改装したその店は規模は違うけれどあのオーナーの店を思い出させた。

順番を待って中にはいると、ガラスの仕切りの向こうでたくさんのスタッフが忙しく動き回っていた。
目の前で焼き上がったばかりの焼き菓子をあら熱を取ってカットして、所狭しと棚に置いてゆく。こんなにたくさんのお菓子、本当に売り切ることが出来るのだろうか?でも目の前で飛ぶように売れてゆく。
近くに住んでいる主婦や家族連れが自転車のカゴに袋ごと入れて帰ってゆく。

そうだ、このお店は町の一部なのだ。
ここに住む人たちの生活になくてはならない店なんだ。
店頭に立つスタッフはお客様に声をかけ、今日は何を買いに来たのか聞いている。
ああ、フランスにいた時に感じたあの感覚が蘇ってきた。

「あの、イートインって出来ますか?」
忙しそうにしている男性のスタッフに声をかけた。
「こんな席でよかったらどうぞ。相席でもよろしいですか?」
庭先にある小さなテーブルに案内された。
あのシナモンの薫るパウンドケーキと紅茶を頼んだ。
ふくよかな香りが口の中に広がる。
目の前に夫婦で来られているカップルが座っていた。
「良くここに来られるんですか?」
「そうね、2日に一度くらいかな」
「ごゆっくりどうぞ」
そう言うと夫婦は軽く会釈をして席を立ち上がった。

ふと目を向けるとテーブルの上に小さな花が一輪生けられているのに気づいた。
「ありがとう」と呟いた。
その花と、その店と、オーナーと、まだ見ぬ誰かと、そして自分に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?