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近未来の話をしよう-22

以前、このマガジンを書いてからわずかの間に様々なことが起こった。
何よりもロシアのウクライナ侵攻。
新たな戦争の入り口に人類は立たされている。

新型コロナウイルスの蔓延によって起こったパンデミックに続いて世界を震撼させるような出来事が続いている。
それぞれの出来事に関連性はないように見えて実は深く関係していると思われる。
新型ウイルスのパンデミックはそれぞれの国の国力を削ぎ落としてしまった。
一見すると力があるように見える大国こそ最も大きな打撃をこのパンデミックによって受けてしまった。

見かけの力と本当の力を試される試練の時期だとも言える。
国の根幹をなすシステムの不備や国を動かす主要機関の能力の大きさを暴露されてしまう。
そういう意味では日本はもはや先進国ではなく首脳や閣僚、彼らを補佐する各機関の無能さが発覚し、未来を予測し危機管理能力を備えるのを怠ったつけが回ってきて、もはや同じ方法では通用しないとわかっているのに、まだ時代遅れな手法にしがみついて窮地に追い込まれつつある。

各地で起こる紛争は、かつての手法がまだ有効であるという幻に取り憑かれた人たちが、最も古典的な「略奪」がいまだに有効であると勘違いを起こしていることで起こっている気がする。
彼らがもしも一時的に略奪を成功させたとしても、彼ら自体に新しい時代を乗り越える能力がなければ国全体を没落させることになる。

新しい業態で急成長を遂げた巨大企業は、これから事業の形態を時代に応じて変化させなくてはならず苦難の時代を迎えるだろう。

弱った国力や人間の暮らしを再構築するのはソフト産業ではなくリアル産業に他ならない。
衣・食・住に関わる基幹産業で生命、暮らし、食料、インフラとそれらを維持するために何が必要なのかを考えなくてはならない。
もちろんここまで進んだデジタル社会が衰退するのではなく、世界が民主化(生活者が参加する社会)を進める限りデジタル化は今後もますます発展するだろう。
ただし、人は霞を食べて生きているのではないのだから、リアル産業とデジタル産業の融合がますます加速するに違いない。

推し進められているEV化も高級化路線を歩むように思われているが、インフラ化されて行くのであればデジタル産業と同じく一般市民での利用が可能な価格の低下をいずれは招くだろう。

一次産業はこれから見直される。
大国が持っている資源の利用に関しては次の覇権にその権利が移譲されるだろうけれど、他国が学習能力があるならば「国力」=「資源力」という幻想から離れて、自給率を上げ、いくつかのグループに分かれてエネルギー供給とインフラ技術、教育、投資を相互に行う枠組みが出来始めるかもしれない。そして、そこには必ずしも大国は必要ではなく、システムを構築する能力こそがリーダーシップの本質となるに違いない。
もしかすると大国は、それぞれが成立した初期の形態に戻り「共和国」や「連邦国」といった小さな枠組みにもう一度戻ってゆくのかもしれない。

誰かが言ったように日本の未来は絶望的に映るかもしれないが、衰退と反映が繰り返されるように、現在のシステムが限界に来て壊れればまた新しい希望は生まれる。でもそのためには今手に入れている安定は放棄し、権力は一旦崩壊させなくてはならない。
「自分自身に悲観している」国には未来はない。
「自分自身が壊す覚悟とつくる希望」がある国にこそ未来はあると思う。
これから10年、この国の存亡はかかっている。
それを見越して動き始めている組織が垣間見える。

最大の赤字を生み出している企業には希望がある。
逆に最大の利益を生み出している企業はどうなのだろう?
「壊す」時には大きな痛手(赤字)が生まれるけれど、その次に生まれるのは「希望」だと信じる。

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