見出し画像

事業育成の実際41

●規模の経済原理からの逸脱

一般的には事業規模が拡大し固定費の割合が少なくなると、製品1個あたりの生産コストは低下し利益率は大きくなります。
そのために多くの企業は事業規模を大きくし、生産コストを集約して固定費の割合を減らすために大量生産が可能な大型の工場を作り大量生産をして全国に出荷するシステムを作り上げようとします。
国内でそれが不可能になると(主に人件費の高騰によって固定費が拡大する)海外の低賃金の人材の確保が可能な地域に工場を移してきました。
現在でもそのような経済システムの上に多くの企業が成り立っています。
以前からそのシステムに疑問を持っていて、なぜならその方法論では底辺の製造に携わる人たちは幸せにはなれないからです。
現在はベトナムやグローバルサウスが労働力の中心になっていますが、世界の人口が減少を始めている現在では地域による労働賃金の格差が減り平均化を始めています。先進国と後進国が入れ替わる時代がやってくるかもしれません。
交通や運輸のグローバル化が進み地域ごとの時間差がなくなってゆけば生産コストはどの地域で生産を行なっても大きな差は無くなってしまうかも知れません。
原野を開拓し小さな集落が生まれ、集落と集落の交流が始まった時代からこの原理は拡大を続けて村と村、街と街、都市と都市、国家と国家へと成長を続けてきました。しかし、この原理はもはや通用しなくなってきているように思えます。

●働く人間の幸せとは何だろう?

2024年に入ってすぐにインフルエンザに感染して、同時にひどい頭痛に悩まされました。実はひどい頭痛は今回が初めてではなく5年前と2年前にも同じような状況になりました。最初はインフルエンザ、二度目は新型コロナに感染した時でした。しかも最初の頭痛はMRIで検査した結果くも膜下出血による痛みでした。
くも膜下出血を経験した時に半身不随になったり、生命の危機につながることも考えなくてはならない時間がありました。幸いにも大事には至らず障害なども出ませんでした。
それまで仕事の時間を増やし、奈良と大阪の2拠点を行ったり来たりする毎日で、自分でも無理をしている自覚はありました。
経営者であれば会社を大きくし、頑張って仕事を続けることが目標でなくてはなりませんが、この時から少し仕事のやり方を変えなくてはならないという意識が生まれたのです。
偏頭痛が酷くなるのは何か原因があるのかも知れないので近々神経内科を受診するつもりです。
革関連の事業を縮小し製菓事業に本腰を入れるきっかけになったのも、この頭痛による体調の変調がきっかけです。
かつてデザインを主業にしていた時にも仕事を急激に大きくし、その後のバブルの崩壊からクライアントとの関係がギクシャクしうつ病を発症したことがあります。
前を向いて挑戦を続けることは悪いことではないし、自分自身の気持ちが前向きな間は成長を続けられるし、それには年齢や性別は関係ないと思っています。
それでも年齢とともに体力は落ち、自分が望むベストな状態で戦い続けることは難しいと思っています。
2024年はいきなり大きな地震に見舞われました。幸い私たちの事業そのものはほとんど影響を受けませんでしたが、この出来事も私たちの仕事の方向性に少なからず影響を与えました。
考えてみればデザイン事務所を立ち上げ独立した頃からほとんど休まず走り続けてきました。かといって、私たちは休みたいと思っているわけではありません。
仕事のない辛さも経験していますし、仕事に埋もれてしまう辛さも経験しています。マーケットの空洞化が都心から始まり、新しい小さなマーケットが地方都市に生まれ始めていることもこの目で見るにつれ、ここまで5年間取り組んできたことに対して修正を加える必要があると感じ始めています。

●目指していた場所はどこにあるのか?

私たちの事業には一つの目標があります。
それは年商1億円を目指すことです。
1億円は小さな数字ではありますが大きな数字とも言えません。
かつてリフォーム業界にいた時多くの事業者が年商1億を目指していました。
会社として認められる最低限の数字が「年商1億円」だと皆が信じていました。
もちろんその先に10億、さらに100億を目指し、上場する。
ほとんどの経営者はそこを目指しているでしょう。

今後インフレが始まり1億という数字にそれほどの意味は無くなるかも知れません。現在でも年商1億の企業は簡単に倒産してしまいます。
年商1億でも倒産しない強さって何だろう?と今は考えています。
小さな町の商店が100年続いているのは何が強いのだろう?
私が1億という数字を目標にしているのはかつてデザイナー時代に年商3000万円で一旦事務所を閉じてしまった時の未熟さを超えたいという思いがあります。
年商1億は決して遠い数字ではありません。ほんの少しのきっかけで届く数字だと考えています。でも難しいのは年商1億を10年間続けることだと思います。
時代が変化し、天変地異を乗り越えてそれでも年商1億を維持し続けるのは至難の業でしょう。
そのことを考えた時に目指すべきは「年商1億」ではなく別のものではないかと感じ始めたのです。

●大きくなろうとすれば人は苦しむ

事業を経営してゆくうちに従業員が増え、仲間が増えてゆきます。
その人たちの表情が苦しそうなのが一番私たちには辛いことです。
よく経営者は非情でなくてはならない、と言いますが本当にそうなのでしょうか?それは会社をひたすら大きくしようとしている経営者のことではないかと考えています。
「年商1億」は企業が身につける体力の最小単位ではないかと考えています。
クライアントへ商品を卸す、直営店でお客様に商品を売る。ネットショップで商品を販売する。どのような業態でも事業を継続し続けるのに必要な大きさが「年商1億」であると感じています。もちろんもっと大きな単位で考える経営者は多いでしょう。でも直接お客様の顔を見て売れる大きさとしてはその数字が限界のように思えます。
お客様の顔を見なくて良いのであればもっと大きな事業を作ることは可能でしょう。でも問題なのは経営者にとってどんな仕事が幸せなのかということです。そしてそれは経営者だけでなくそこで働く従業員の幸せにもつながっている気がします。フルオートメーション化された工場でお菓子を作っていて、そこで働いている授業員は「お菓子を作っている」という感覚はあるのでしょうか?
大手の取引先に商品を卸していて大型倉庫で商品の生産と在庫管理をしている人に、自分は「お菓子」を提供しているという感覚はあるのでしょうか?
生産と在庫管理している製品が「機械部品」であっても「お菓子」であってもその商品がどんなふうにお客様に喜ばれているのかを見ることはできるのでしょうか?

●大きくなれば規模の経済に飲み込まれてゆく

私たちの事業は「駅ナカ」での催事出店から始まりました。
「駅ナカ」は巨大なテナントストアではありませんが、それでも「駅」という交通機関の要所にあり、その交通機関を運営する企業の傘下にあります。
不特定多数の人がその場所を使い、そこに期間限定であってもお店を設置すれば「管理業務」が発生し、それを管理する企業が必要になります。
私たちはその場所を借りて、自分たちが作ったお菓子を販売させていただいていますが、自分たちは直接お客様と会話したり触れ合うことは出来ますが、管理している会社の方たちは直接お客様に接することは希薄になります。
私たちは「駅ナカ」に催事出店することによってお客様に知っていただき、それによって大きく育ってきました。
通常お店が大きくなるには自店舗を経営し、そこでの売上をまず上げてゆき周辺地域で認知され、さらに周辺に店舗を増やしてゆくという方法をとります。
余力ができて初めて駅ナカや催事出店を始めるのが普通です。
私たちの経営は通常の逆を辿っているといって良いでしょう。
ですから私たちは最初から「駅ナカの管理会社」との契約から仕事がはじまりました。契約できるための様々な条件をクリアしてゆくことで出展できる「催事場」を増やしてゆき、現在では5社の私鉄沿線の駅ナカ、5社の百貨店の催事場での出展が可能になっています。
「催事出店」はほとんどの場合管理会社が所有する設備や場所を提供してくれるので「資本の投下」が少なくて済みます。企業体力がなく資本の少ない事業者にはありがたい話です。しかし、その後問題になってくるのは市場が冷え込み売上が確保できなくなった時に、管理会社の収入源である「販売マージン額」も目減りしてゆきます。そうなった時に管理する側の企業はマージン率を引き上げたり「最低補償額」の設定を変えたりします。
取引の条件が厳しくなると私たちのような取引企業は原価率を下げたり資材費、人件費を下げてゆく必要が出てきます。
どんな業種であっても私たちの責任の範疇を超えた部分で圧力がかかり始めるのがBtoBの取引の宿命です。
その中で一番苦しい思いをするのは「低賃金」で「生産効率」を求められる従業員であり、それを強いなくてはならない経営者でしょう。
直接国からのお金が流入する業種や元々の賃金格差で利益をプールし続けている大企業であれば不況時にはストックを引き出し先行投資をしてゆくでしょう。それでも人件費や原材料費などは大きく削られるに違いありません。
BtoBの方法で大きくなることが経営者も従業員も苦しめることになるのであれば、本来のBtoCに立ち返る必要があるのではないかと考えています。

●理想の姿を見つけよう

私たちにとって憧れの店がいくつかあります。
最初に私たちがお店を始めるきっかけになった奈良の「カナカナ」
最高のタルトを提供していた京都の「ミディ・アプレ・ミディ」
そしてどんな地域でもサービスの質を落とさない「スターバックス」
私たちはどんなカタチを目指せば良いのだろう?
これまでもずっと考えてきました。

私たちが最近とても意識しているお店があります。
東京初台にある「サンディベイクドショップ」
焼き上がった商品が所狭しと並べられ、並ぶと同時に次から次へと売れてゆく。
都心ではなく郊外の何の変哲もない古いビルの一階。そこに次から次へとお客様がやってきます。
ガラス張りで仕切られた奥に見える厨房には4〜5人のスタッフが忙しくお菓子を作っています。手前の販売スペースにも2〜3人がお客様に応対して、その横ではバリスタが淹れたてのコーヒーをイートインのお客様に提供しています。

一体何が他のお店と違うのだろう?とお菓子を食べながら考えます。
お店に入った時からワクワクするような感覚はお店そのものの雰囲気から伝わってきます。
気がついたのは働いている人たち全員が「楽しそう」だということです。
とても忙しいお店ですが皆が笑顔で働き、笑顔で接客しています。

私たちの催事場の仕事でもお客様との会話が一番楽しく嬉しいものです。
今の自分たちに欠けているものはこれだと思いました。
お店を中心に周囲に住んでいるお客様と交流があって、自分たちが作ったものを喜んでくれる人たちと会話したり触れ合える。それがとても大切なことだとその店を見ていて感じることができました。
いつの間にか忘れていたことをどうやって再び作り上げてゆくか?
それが私たちの次の目標にするべきだと考えました。

「生き生きと働ける、お客様と触れ合える元気になれる店」
まずはその原点に戻ろう。
そのことが私たちの次の目標になりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?