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事業育成の実際24

●試練の上乗せ

本当に大変な時代になったのだと感じます。
「経済の空洞化」などと言葉遊びをしても現実にはそぐわない。
「新型コロナ感染症」はただのきっかけに過ぎなかったと今ならわかります。
経済の中心に近い場所ほど打撃は大きいでしょう。
まずは冷静に何が起こっているのかを直視する必要があります。

この状況を直接受けているのはいわゆる「飲酒を伴う飲食」を生業としている個人事業主でしょう。
「コロナ感染症」の蔓延時には助成金などによってなんとか乗り切ったものの、その状況が3年にも渡り続く中で、事業を維持するためにいわゆる「コロナ融資」で巨額の債務を負わざる負えなくなり、そしてようやくコロナ明けとなり、インバウンド客も回復。
しかし、インバウンド客を取り込むために大資本企業が再開発を進めてきた新都心の大型テナントビルに客は流れ、さらに生活習慣が変わってしまった客層は「外食産業」から離れ、いわゆる「内食」へと向きつつあります。
「内食」はウーバーイーツをはじめとするケータリング会社に取り込まれ、食材の価格高騰によって利益率が薄くなった個人事業主から利益を奪いつつあります。
さらにネット販売に流れた販売ルートにおいても巨大ECサイトへと利益を奪われ、原価率を下げたくてもこれ以上は下げる事が難しくなっています。

「利益」を上げることも「価格」を上げることもできない。これ以上「原価率」を下げることも出来ない。販売ルートを確保することも出来ない。
まさしく八方塞がりの状況になっています。

●それでも活路を見いだす

「価格をこれ以上上げる事ができない」
つまり……、これ以上の価格で買ってもらえるユーザーが目の前にはいない。
「利益を奪われてしまう」
つまり……、既存の販売ルートでは様々なマージンを取られてしまう。
「ユーザーの生活習慣が変化した」
つまり……、これまでの生活習慣に対応した業態ではユーザーが離れる。

これらの出来事のサークルの中から離れなくては私たちの事業は頓挫してしまいます。
現在のユーザーは何に対して対価を払うのでしょうか?
そもそもユーザーは自分の生活に対して投下できるほどの資金を得られているのでしょうか?
かつてのバブルの頃でさえ、一般市民の給与が上がり出したのはバブルが始まって3年が経過した頃からでした。そして、そのバブルが弾けるのも5年後でしたから、一般市民がバブルを謳歌したのはわずか2年ほどでしかありません。
あの頃から人の考え方は大きく変わりました。
政府も国も大企業も一般市民の生活を支えてくれるわけではない、という事です。
あれから「貯蓄大国」として企業も人も身を守るようになりました。

現在は「投資」の時代と言われていますが、間違ってはいけないのは、この時代は本来の「投資」の時代なのではなく、明らかなのは「変化」の時代であるという事です。
人の考え方は大きく二つの流れに分かれています。

一つは「かつてのような大資本が経済を支配し動かす旧資本主義の時代への揺り返し」を望む人たちの考え。
もう一つは「新しい産業の芽の中から次の時代を担う新しい構造を生み出そうとする」人たちの考え。

「旧資本主義」は幻想に過ぎないと分かっていても、次の時代を想像することのできない人たちは世界の各地で大小の「紛争」を起こしています。
また前のように力を持つものが裕福に暮らし、格差のある社会から資本を搾取する事ができるという幻想です。
でも現実にはこれまで「搾取」してきた相手は大きく成長し始め、力関係は逆転しつつあります。
これまで成長してきた国々は別の経済の構造を構築しなくてはなりません。しかし、「新しい構造」をITやデジタルだけに頼るのは間違いであって、ITやデジタルは「方法論」でしかないという事です。
大型農業による「大量生産」や化石燃料を燃やして得る「エネルギー」は環境や自然に負担を強いて継続することは不可能になっています。
これからは「小さな国家」で循環する事ができる仕組みが必要で、その効率を最適にするためにITやデジタルが必要であるという事です。
人々もそのことに気がつき始めています。
それが「ユーザー」の生活習慣の変化にも現れはじめています。

●どこに資本を投下するか?

例えば人にとって「飲酒」は必要か?という問いに対して、かつての資本主義に飲み込まれた世代と現在の新しい世代では答えが違ってくるでしょう。
かつての世代は「飲酒」を忙しさからの「ストレスの発散」として捉え、さらに会話のない職場以外での「コミュニケーションの手段」として捉えてきたのではないでしょうか?
しかし、新しい世代にとっては「飲酒」は「文化」の一つであり、「やすらぎ」の一つになっているのではないでしょうか?
であれば健康を害するほどの「飲酒」などもってのほかであり、無理強いをする「コミュニケーションの手段」などではないはずです。
相手をより深く知るための適度な「コミュニケーションの材料」と捉えるのが正しいのかもしれません。
であれば人の「飲酒」の方法も変わってくるかもしれません。
それは「居酒屋」ではなくスターバックスのような「3rd place」としての飲酒の場なのかもしれません。
私たちが扱っている「スイーツ」に関しても、かつては「自分へのご褒美」。家の中でしかコミュニケーションが取れない家族との「会話のための手段」だったものが、もっと別の存在になりつつあるのかもしれません。
そして例えば「夫婦の会話」のためのスイーツが必要になるかもしれないし、友達との「コミュニケーション」の手段としてのスイーツかも知れません。
そしてそれはかつてのように大人数の集まりではなく気の知れた少ない人数の集まりなのかも知れません。
そうすると自ずとスイーツが必要とされるシチュエーションやニーズは変わって来るでしょう。
私たちはそのことを敏感に感じとり、それを必要とするお客様への渡し方や話しかけ方も変わってくるのでしょう。
そのことに気づき、正しい場所で正しく伝えることのできる事業者が生き残って行くのかも知れません。
ここまでのお話で大切なものは「シチュエーション」であることにお気づきでしょうか?
つまり、私たちが提供するのは「シチュエーション」であって商品はそのシチュエーションを作るための「方法」や「道具」でしかないということです。
そこにまさしく次の時代を生き抜く活路があるのではないでしょうか?

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