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花は咲く Flowers bloom in your garden.ⅩⅧ

「押しかけ社員やな」
「そやけど、ここがええんです」
「そうか、しゃあないな」
うちの人生にようやく優しい風が吹き始めた。

●あんた何しよん?

美大を出て恩師の経営するお店を手伝い始めた時違和感を覚えた。
周りのスタッフの視線がやけに痛く私に向けられていたのに気が付かんかった。
同じゼミの先輩が数名いたそのお店には助教授から声をかけられて入社した。
はっきりと何をしたいか決められずにいた私は言われるままにそのディスプレイ会社に入社した。
仕事は皆が家路につく夜にはじまるんや。
終電近くなって裏口から従業員たちが早足で駅に向かう。その横で3人2チームに分かれて受付で腕章をもらうと荷物を担いで店内に駆け込んだ。
「ほら!急いで!」
先輩の声で我に帰るとショーウインドウの裏の扉を開けて中に入り込む。飾ってあるマネキンを運び出し、パネルの中身を新しいポスターに入れ替える。
私は掃除道具を持って床に掃除機をかけ、ウインドウの汚れを吹き始めた。
先輩がその狭いウインドウの中に入って新しい装飾品を取り付け始めた。
「あんた、さっさとしな!邪魔なんだよ!」
ショーウインドウの中でぶつかった先輩に叩かれながら、息苦しい箱の中から這い出した。
「あんた、向いてないんやないか?」
一通りの作業が終わって休憩していると先輩の一人が私にそう言い放った。
「のろまじゃ、この業界ではやって行かれへんのや」

ディスプレイの仕事は裏方の仕事やけど、出来上がったものは見る人を元気にするし、華やかやけど本当はそんなに楽しい仕事やない。
この業界は何よりも上下関係が厳しい体育会系の会社やった。
キャンバスに向かって絵を描いてるのとは違う。
ゼミに入った時ようやく先輩からの圧力から解放されると思っていたけれど、何のことはないこの会社は学生時代の上下関係をそのまま持ち込んだサークルと同じやった。そういう関係が好きな人たちがいるのも知ってるけど私はそうやない。
3ヶ月後には私は退職願を出していた。
「あら、そう?」
助教授の社長はただそれだけ言って私の退職願を机の引き出しに仕舞い込んだ。

広島から遠く大阪で働いていた私はすぐに仕事を探さなあかんかった。
求人誌でグラフィックデザイナーの仕事を見つけた。
「未経験者歓迎」の文字が目に入った。募集人数は1名のみ。
意を決してそのマンションのチャイムを鳴らした。
「ああ、ちょっとそこで待っててくれるかな?」
人当たりの良さそうな男の人が社長らしかった。
髭生やしてるけど怖そうな人やない。思ったより若そうやった。30代そこそこかな?
「そしたら、また連絡するから待っててください」
なんか私より若いすらっとした女子が頭下げて出ていった。
「ああ、連絡くれてた丸岡さんかな?」
「はい!」
返事は良かったけどめちゃ緊張してた。
「グラフィックデザイナー希望でええんかな?」
社長らしい人は私の履歴書見ながら聞いてきた。
小さなワンルームマンションの一室。
「あ、緊張せんでええよ。僕も新人やから。独立してまだ半年や」
部屋の真ん中に6人ぐらい座れる大きなテーブルがあって、その上にパソコンが2台。部屋の隅にコピー機が1台。
「わかってると思うけど募集人数は1名だけや。そやけどな、実は応募者が30人もおるんや。そやから期待せんといてな」
テーブルの隅に原稿が山積みになってた。
「ああ、ごめんな。面接が終わったらすぐに作業しなあかんから散らかってるんや」
書棚にはびっしりと参考資料と関連書籍が入ってた。
「あの、私、デザインはしたことないんですけど‥」
「そんなことは評価の対象やないから。僕もな就職するまでデザインなんかしたことなかったから」
笑いながら答えるその人の顔を見て「この会社で働きたい」と思った。

3日経って連絡が来た。
「ごめんな、君が来る前にもう一人決まってたんや。二人雇うほどの余裕はないから、今回は縁がなかったということで勘弁してや」
「それやったら、仕事せんでもええから見学に行っても良いですか?」
私、何を言ってるんやろ。採用でけへんって言われたとこやのに。

翌朝、私はまたあのマンションのドアの前に立ってた。
チャイムを押すとあの人懐こい社長が顔を出した。
「ありゃ、ほんまに来たんかいな」
「はい!見学させてもらいます」
部屋に入ると面接の時に見たあのすらっとした美人の女の子がデスクの前に座ってた。「やっぱり、あの子に決まったんやな」と心の中で思った。
私は部屋の隅に椅子を借りて座った。
「ああ、気にせんといて。見学したいらしいから」
社長がそのすらっとした子に言った。
「そしたら、まず僕が見本を見せるから真似してくれるか?」
社長は鉛筆を尖らせると白いケント紙の上に次々と線を入れてゆく。
「ええか、サイズを取ったら必ずもう一度サイズ確認するんやで。間違ったらえらいことや。原稿を汚すから手の下には必ずティッシュ引いてや。まずはこのサイズの原稿を引いて見てくれるかな」
その子はいきなり白い紙を渡されておぼつかない手で線を引き始めた。

その次の日も私は事務所に顔を出した。
「また来たんかいな。まあええわ、そこで見とき」
社長は煙たがるでもなく、私のこと空気みたいに誰もおらんかのように扱った。
でも、昼休みになった時に、
「ああ、マルちゃん。ごめん、悪いけどマンション出て左側に自販機あるから何か飲むもの買ってきてくれるかな?」
ってジャリ銭渡された。
私、立ち上がって急いで自販機に向かおうとした。
「ああ、君の分もやで」
なんか、めちゃ嬉しかった。

あれから1ヶ月経った。
私はまだこの事務所にいる。
「見学は断る理由がない」と社長は言ってたけど、最近は原稿のコピーや簡単なお使いを頼まれるようになった。
あのすらっとした美女とも仲良しになってた。

月末になって美女は給料を渡されてた。
「私いてても良いんですか?」
社長に言うと「別に構わんやろ。なあ?」
美女は「私は構いませんけど。中身見せるわけやないから」
今時、封筒に入れて給料渡すのってどうかと思うけど、中身を見て彼女も嬉しそうにしてた。
「そやけど、やっぱりなんか居づらいから」って私が部屋を出ようとすると
「ちょっと待ちや」って社長が呼び止めた。
「こっちにおいで」
社長が手招きするから行くと、私の手に封筒を乗せた。
「これは君の分や」
「えっ、こんなもん貰えません」って返そうとすると社長が言うんや。
「あのな、君もコピー取ったりお使い行ったり働いたやろ。働いた者には見返りがあって当たり前や。つべこべ言わんと取っとき」
私、びっくりした。そやけど社長、笑いながら言いよるんや。
「あのな、僕も根負けしたわ。君の勝ちや。来週から朝10時に出勤してくれるか?」
「え?何でですの?」
「採用ってことや。仲良うするんやで」
あの美女が自分のことのように喜んで私のことハグしてくれた。
私はほんまの居場所を見つけたんや。

あの日から8年経った。
窓際に花を並べながら来るお客に挨拶してたら、また新しい花が届いた。
「独立おめでとう!これから大変だけど頑張ってください」
私の隣の席にはあのすらっとした美女がいてる。
花のメッセージカードを裏返すと、あの社長の名前があった。
「社長。私ら独り立ちします。社長は私らの永遠の師匠です」
あの人は相変わらず忙しくて、オープニングパーティーには顔を出さんかった。
そやけどあの一番大きな花束みたいに私らの心の中には花が開いてた。
「ありがとう」
それは人から人に繋げる花みたいな言葉やって気づいた。

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