高校・大学の7年制教育(牛田貴志男)

高校と大学を一貫教育とする「7年制高校」の導入について、様々なシミュレーションが行われてきました。

日本では、7年制高校の教育制度が昭和初期ごろから本格的にスタートしました。その後、日本社会全体の一部として定着する前に、敗戦で中断されました。

もし、7年制高校の制度が現代まで続いていたらどうなっていたでしょう。大正、昭和前期に世界的な活躍の機会がなかった日本のインテリ層も、世界水準の仲間入りをしていたかもしれません。そうすれば、明治以来、営々として続けて来た日本の近代化の最後の仕上げに貢献した可能性があります。

現在、東京大学の志望者が次善の策として選ぶ学校が幾つかあります。京都大学、東北大学、東京工業大学、一橋大学などです。もし、どれか一つが大学予科を設けて、出来れば中学から、取りあえずは高校からでも一貫教育制を採用したらどうなるでしょうか。

旧制府立高校(後の都立高校、現在の東京都立大学)は、旧制の府立一中(今の日比谷高校)が、上に接続する旧制高校を作ろうとしたのに対して、他の府立中学から反対されて、独立して出来たものだといいます。

それが出来た時から、小学校では、各クラスの1番が府立高校、2番、3番が府立一中受験と決まってしまっていたようです。伝統的な「一中・一高コース」より、7年制コースの方が上になってしまったのです。

これが続けば、少なくとも東京では一高受験は、敗者復活戦となってしまったでしょう。同じ様に大学予科は、東大受験をガリ勉による敗者復活戦にしてしまうかもしれません。

7年制高校の大学予科に入った学生は、ガリ勉から解放されます。7年間というのは、旧制教育よりも更に1年長いです。学問のほかに、スポーツ、音楽に力を入れたり、休学して外国に留学して来ても良いでしょう。マイクロソフト創業者ビル・ゲイツのようにコンピューターに専念してもいいでしょう。あるいは高校の時から、大学並みの物理、数学を次々にマスターして、ノーベル賞クラスの科学者を志してもよいです。

そのようにして、9割はすぐれた一般的な良き社会人になり、て残り1割の中から自由闊達(かったつ)に自らの才能を伸ばす、真にオリジナルな人が生まれます。1割の珠玉(しゅぎょく)をつくり出すのが真エリート教育だといわれます。そうした人材が多く出て来れば、日本の産業界も大きく飛躍するための活力を得らることでしょう。


牛田貴志男

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