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私の「ひみつ」 - 傍観したあの日 -

社会課題を解決するという時に行政の政策や企業のビジネスが注目される。いうまでもなく多くの課題はそういうアプローチで解決できるだろうと思う。

一方で、課題を解決する「方法」と同じくらい「視座」も重要なのではないかと僕は思う。僕のいう「視座」とは物事を俯瞰して捉え、構造化し、関係性を見立てるメタ的な見方のことだ。

社会課題を生み出す私たち

この俯瞰的な立ち位置から見ると、社会を構成する私たちが課題を被っている「課題の受け手」という立場だけを取ることはできない。むしろ、課題を被っていると思っていたら、実は「課題の創り手」に自分自身がなっていたということに気づくことも少なくない。

僕自身まだまだ無自覚に課題を生み出す構造に加担していると思う。その辺りに向き合ってみたい。

「私のひみつ」を開示する背景

さて、そんな前置きを置いて、僕は今回、自分自身が「課題の創り手」になった時のことをそれぞれ振り返ってみて、それを事前にみなさんに開示するということに挑戦してみようと思った。

この作業はすでにかなり居心地が悪い。できるなら思い出したくもない記憶だし、読んでいて必ずしも心地がいいことではないかもしれない。

それでもその「居心地の悪さ」から目を背けてはいけないと僕は思う。

 - 傍観したあの日 -

ある時期から僕はいじめられていた。いじめられていたというか笑われたり、けなされたり、叩かれたりしたこともあったという感じ。

それを「いじめ」と取るか「ふざけている」と取るかは非常に主観的ではあるので、僕は今もあんまり「いじめられていた」と語りたくないことがある。

それはこの文章が僕のその時期を知る人たちの目に触れ、「被害者面」していると後ろ指されることを恐れているからかもしれない。

しかし、そんな僕だけど友達はいた。

友達といってもグラデーションがあり、いろいろな付き合い方がある。そんな中で、一度僕が「いじめられている」時に「そこまでしたるなや」と割って入ってくれた子がいた。

体育館下のグランドに面した場所で、体操服を着ながら野球部としてのグランド整備をトンボと呼ばれるT字型の道具とともに押し付けられ、「お前が全部やれよ」と僕は言われていた。

そこに彼は割って入ってくれた。しかし、状況を変えられなかった。

結局、その彼とその状況をいたたまれなく思ったもう1人と3人でグランドの整備を行った。彼と僕は仲が良かった。というかよく一緒に「色々」されていた。

荷物を運ぶ時、グランドを整備するとき、その他もろもろ僕と彼はよく標的になった。

そんなある日、校舎の前で彼が3人くらいの男子生徒に囲まれているのを見かけた。何をされているのかはわからないが彼が叫んだり、怒鳴ったりしている様子がうかがえた。

何かが起こっていることはわかった。

でも、それ以上知ることは怖かった。

頭ではわかる。彼に助けてもらったこと。共にいた時に少なからず安心していたことを。それでも僕の足は彼とは反対の方向に向かった。

そう。見て見ぬ振りをした。

次第に彼は孤立していった。僕はそれでも彼と時々は一緒にいた。学年が上がるにつれ、少し僕に対する「色々」は緩くなっていった。モヤモヤを感じるようなことはあるものの普通の学校生活を送れるようになった僕と対照的に変人扱いされ続けている彼を心のどこかで後ろめたく思っていた。

あの日、彼の方向に足が向かっていれば何かが変わったのだろうか?

当時から何度か考えたことがある。

でも、いくら考えてみたところで僕はあの日に帰れない。

被害者と傍観者になって

いじめの問題は「いじめはする方が悪い。」「いじめられる方が悪い。」とどちらかの問題にしがちだ。あるいは学校の管理能力の欠如だと捉える見方もあるだろう。

だけど、僕は誰かが悪いのではなく、状況が悪いと捉える方がいくらか前向きだと思う。

誰かの責任にしたところで僕らは今目の前で起きている葛藤から逃げることはできないと思っているからだ。その責任を一緒に引き受けるからこそ、その問題に関わることができると僕は思う。

そして、「いじめ問題」について自分の経験を踏まえて言いたいのは当事者になることは辛いということ。それは被害者だけを指しているのではない。きっと加害者も、傍観者も、管理者や先生も何らかの辛さがあるんだろうと思う。

というのは、「あの日、傍観したこと」は僕にとって被害者であったことと同じくらい胸が痛む記憶だ。

「何もできない」無力さは被害者として僕はなんども感じて来た。自分を理由もなく攻撃してくる何かを止めることは決してたやすいことではない。しかし、その攻撃を止めることへの無力さはそれを見守る人々の気持ちの中にも現れると思う。

その上で、子どもたちの間で起きる「いじめ」についてあえて言いたい。

僕は子どもと関わる全ての大人が、当事者になった子どもたちの間を仲立ちできるような存在でいてほしいと願う。

自分自身の痛みを受け止めてもらったことのない人間が誰かの痛みを受け止められる人間になれるだろうか?

僕はそうは思わない。責任を取るというのは「何か」が起こった後に謝罪することだけではなく、その「何か」に関わることだと思う。

見たくないとして、感じたくないとしても、「居心地が悪い」としてもその何かを当事者たちの話し合いの俎上にあげることが責任だと思う。

そして、責任を取るために謝罪するとしても「ごめんなさい」というのはそれを聞くことで報われる人がいるから伝えるのであり、子どもたちに学んでもらうべきは傷つけたとしても、傷ついたとしてもその傷を癒すためにできる最大限の努力があるということではないだろうか?

責任を取るというのは儀式的なプロセスではなく、問題に関わろうとする態度のことだと思う。自戒を込めてここにそう書き記したい。

ここまで書いてきて、気づいたことがある。

僕自身は加担とは書いているけれど、この一件を課題の直接的な創り手としては語っていない。つまり、傍観者としては語っているけど、「加害者」としての自分を語れてはいない。僕は本当にそんなに心優しい人間だろうか?

これはきっとこれから僕自身が向き合っていくテーマなのかもしれない。

探求はつづく。

むすび - あの日を振り返って -

子どもの居場所づくりという仕事に携わっているので「いじめられた体験」について語ることは時々あるものの、「いじめ問題」について僕自身の考えはあんまり語ったことがない。

1つは客観的に何がどうと伝えられるほど冷静でいられなくなるから。

もう1つは、みたくないことをみつづけるのは居心地が悪いから。

先日、「社会課題を自分が作り出していることについて語り合う場を作りたい」と友人が言った時、割と軽率に「面白いアイデアだな」くらいにしか思わなかった。

そこで「じゃあ自分はどんな社会課題に加担しているだろう」と考えてみると最初は存外、表面的なことしか思い返せなかった。しかし、時間をかけて丁寧に思い返し、いろいろな蓋を開けてみるとあの日の痛みとともに少し熱いものがこみ上げてきた。

その時、この対話の場は僕が最初に「面白い」と思った時ほど簡単なことではないと思った。しかし、そんな「居心地の悪さ」を楽しめるようにしていくことが僕たちのトライでもある。

もし機会があれば皆さんと語り合いたい。

そして、その先に新しい未来に進みたい。

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