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縁の不思議

「自分の主催でイベントを開催する」と決めてから、不思議な邂逅かいこうが続いています。“そのイベントへのお誘いをしよう”…と考えていた人に “偶然” 出会でくわすことが何度続いたでしょう。一人…二人…三人…四人…。道端で、或いはエレベーターの前で、不思議とバッタリ遭ってしまうことが四度も続きました。

この世界は不思議なことが沢山ありますね。今回のこれは「そのイベントを是非やりなさい」という、何かの存在の後押しなのではないか…そんな気さえしてきます。

“バッタリ行き合う”…ということでは、僕は不思議な体験をしょっちゅうしています。

全く自分とは無関係の、名前も知らない人なのですが、仕事の休みの日などに自分の住む町を歩く度、その人と無闇矢鱈と出合ってしまうのです。毎回時間も違うと思いますし、場所も異なります。例えば、出掛けようとする直前に忘れ物に気付いたりしてモタモタしていた時なども、家を出るとバッタリ遭ってしまう。そのモタモタがあったからこそのちょっとしたタイムラグをも乗り越えて (というかタイムラグがあったからこそ) その人と遭ってしまう…本当に不思議です。そういう不思議な人が自分には何人か居ます。

職場の同僚などにこのことを話すと、「毎回時間がおんなじなんじゃないか」とか「けられてるんじゃないか」とか言われるんですけど、絶対にそうじゃありません(この同僚は変に常識的というか、ちょっと鈍い人なので話が通じません。時々イライラします)。

別人で、ここ最近は遭わなくなりましたが、休みの日に電車で出掛ける時に、駅のコンコースで矢鱈とすれ違ったり、道ですれ違ったり、或いは同じ方向の電車に途中から乗り合わせたり…という人も在りました。明らかに毎回時間が違いますし、こちらは全くの気まぐれで出発・ないしは行動している訳で、こっちが出掛けようとする時に、あちらは逆方向の電車で戻ってきたりする訳ですから、尾けられているとか云うのとは違います。

こういうのは何か意味が有るのかなぁ…って思うのですが、別に顔を合わせても何も楽しくない相手ですし、話しかける気だって無いですし、“だから何??” っていうような話なのですが。

ただ、不思議なことが世の中には沢山あるんだ…ということを思わずにはいられません。

何かが引き合っているのでしょうか…。

このパターンで遇ってしまう方たちには全然何の興味も湧きませんが、もう随分前に、“引き合った”…ということではとてもドキドキした不思議な体験がありました。

自分が30代か40代の頃であったか、地元のバス停でバスを待っていた時に、道の向こうから或る若い男性がこちらに向かって歩いてきました。凄く可愛い印象の人で、僕はその人が近づいてくるに従って吸い寄せられるようになり、なぜなのか “これは昔からよく知っている懐かしい人だ” … というような心持ちになりました。あちらも僕に視線を合わせ、何かを感じていることが伝わってきました。本当はそこで言葉を掛けるべきだったのかもしれません。二人は吸い寄せられるように、お互いを見つめました。“早くしないと、この奇跡は過ぎてしまう・・・ ”……今思えば、それは一つのチャンスだったのかもしれません。でも互いに、じっと見つめることしかできませんでした。相手の人も、きっと何か言葉を言いたかったと思います。通り過ぎてからも、こちらを振り返ってまで視ていました。

バス停の目の前の団地の階段を、その人は昇っていきました。階段からも、こちらを視ていたと思います。

本当に、なにか話し掛ければ良かった。おそらく、とても深い所で繋がりのある人だったのではないか…そんな気がしています。ああいう突然やってきた出逢いに、もう少し柔軟に対処できる自分だったら良かったのに ──。


大好きな古い歌手、べヴァリー・ケニーの歌で、素敵な曲があります。タイトルは『I Walk a Little Faster』。

“次の十字路で、私は遂に待ち望んでいた運命の人と出逢えるかもしれない。だから自然と早足になるの ── “。そんな内容だと思います。

前にも、大切な友達の思い出と繋がるべヴァリー・ケニーの歌の動画を、記事に貼ったことがありました。可憐で透き通るような歌声が本当に魅力的です。良かったら聞いてみて下さい。

『♬.*゚I Walk a Little Faster』
          Beverly Kenney(vo.)
    Cy Coleman , Carolyn Leigh


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