お正月が命日1

心の整理がつかないので、徒然なるままに。。

12/25~1/22の4週間
【セルフ・コンパッションの湯治場】グループをひらきます。

自分に思いやりを向けるのって、なかなかに難しい。
ので、4週間、集中して探究しようと思います。
しかも、クリスマス、年末年始をはさんだこの時期に。
申し訳ありませんが、女性のみの参加とさせていただきます。by高橋ライチ

高橋ライチさんが、FBで「セルフ・コンパッションの湯治場」の呼びかけを行ったのは12月16日の23時すぎ。ライチさんとはNVCのBeing the Changeリトリートで一緒だったのだけど、合宿中に彼女の在り様に何度か支えられる場面があった。
「一緒に帰りますか?」と寄り添ってくれたのはライチさんだった。講座が終わって、学びの場所である古民家から宿までの5分くらいの道のり。様々なワークのあとは心身ともにぐったりしている。
星空の夜道を、二人でただ黙って歩いた。ただそれだけなんだけど、「そばにいるよ」と言葉のないメッセージに包まれていた。

セルフ・コンパッションの湯治場に参加することを決めたときは、夫はいつもと様子は変わるところはなかったのだけど、なんとなく食が急に細くなっていることに気がかりがあった。
夫の容態が確実に変わったのは12月19日。往診のクリニックに連絡をし、様子を見てもらう予約をし、その朝はいつも通り、デイサービスの介護職員が迎えに来てくれ、気になりながらも送り出した。夕方戻ってきたときには、
「今日は珍しく午後の時間は、横になりたいと訴え、ほとんど食事も召し上がりませんでした。」とのことだった。
夫はそれまで、ゆっくりだけれども自力で歩き、排泄も食事も自分で出来ていたし、骨折したときですら、動こうとしてむしろ、留めることのほうが難儀だったので、自分から横になりたい、ということが、相当、体力と気力が落ちてきているサインではないかと思えたのだ。
もしかしたら年を越せないのではないかと胸によぎり始め、夕方やってきたお医者さんとも、もしもの場合は自宅で看取るつもりだということを話したものの、まだ実感が持てずにいた。

そんな中で始まった「セルフ・コンパッションの湯治場」。
見知らぬもの同士が、ゆったり温泉に浸かりながら、そばにいても、交わす言葉は挨拶程度、それ以上のなにか詮索するような声を掛けるわけでもなく、自分のこころとからだを見つめなおす静かな時間。傷ついているからだとこころに、ちょうど良い湯加減。助けを呼べば手を差し伸べてくれる人がそこにはいるという信頼と安心感。

12月25日から始まったセルフ・コンパッションの湯治場は1月22日で終わりました。この4週間、私が湯治場で呟いた心のなかを、私のためにここにまとめることにします。(湯治場主催者には外に持ち出すことに同意をもらっています)

【スタート前日】12月24日 
今日のセルフ・コンパッション
夫の意識が無くなり、危篤状態になったので病院に昨日搬送、家族は病院に行けないので連絡待ち。私自身の身体にこわばりが生じたので、お気に入りのスパイラルセラピーの治療院に連絡したらちょうどキャンセル出てセラピーを受けられました。娘がショックでダウンしているので、娘にもコンパッションを向け続けています。夫に感謝の気持ちを送りながら元気になって帰ってくることをイメージしています。

12月25日
抹茶ティラテでホッとひと息。今日も病院からは連絡なかった。夫君頑張ってくれているんだなあ。貴方と過ごした30有余年。何度も一緒に過ごした聖夜。もう子供たちのクリスマスプレゼントをみつからないように忍ばせて、夜中にこっそりツリーの下に置くなんてことはないけれど、貴方とあれこれプレゼントを工夫した日々が懐かしい。

12月26日
意外と暖かかった12月26日の新宿。夫の退院日を入院先の主治医と電話連絡。女医さんで、電話口から夫の様子を伝えてくれる。自宅で看取りたいという家族の意思を大事に扱ってくれ、訪問医と連携をとってくれる。お世話になっている法然院のご住職に連絡。穏やかな声で、いつでも東京に行きますよ、とおっしゃってくださった。心から安堵、涙が止まらない。
身体が乾涸びるほど泣いても泣いても涙が溢れる。身体の7割が水だったことを実感。親しい人には夫の状況を伝える。旅立ちのときは間近。

12月27日
普段はあまり食べない、コンビニスイーツ2個食べ、というのをやってみた。ひとつは「プリンアラモードパフェ」。もうひとつは「まるでプリンな生カスタードケーキ」。やってみて、全然、自分に優しくない、セルフコンパッションじゃな~い、と自分につっこみ。むしろ、食べないほうが今の時代、身体に優しい感じがする。
24日から祈りと共に精進潔斎に入っているから、その衝動で甘いものが欲しくなったのかも。夫は今日も一日がんばった。
あと10年早くNVCをやっていたかったなあとしみじみ思う。

12月28日
夜あまり眠れず、朝を迎えた。夫を娘とともに病院に迎えに行く。病棟のエレベーターを開くと、目に飛び込んできたのは「面会謝絶」の大きな表示。その脇をすり抜け、ナースステーションで退院の手続きを済ませ、夫の着替えを渡し、待つこと40分。夫がストレッチャーに乗せらせて現れた。
「家に帰るよ~」と声をかけた途端にまた涙が溢れてくる。
夫の手を握るのが私のセルフコンパッション。

12月29日
息子と娘と私で24時間体制を整える。
家族が皆、ワイワイ話す声に夫が時々反応する。嬉しいに違いない。
夫の弟が見舞いに来て、深く呼吸しながら眠っている夫を眺め、
「母のときも危篤と言われて、兄弟みんなで駆けつけて、そのあと2か月くらい意識不明を彷徨ったから、兄貴も同じかもしれんな」と言い残し、優しい笑顔で帰っていった。その言葉で全身から力が抜けてゆく。
みんなが執着を手放してゆく時間は夫からのギフト。

12月30日
NHKで放送された映像の世紀「ロックが壊した冷戦の壁」を見て、メルケル首相の退任式で自ら選ばれた曲のエピソードに心が震えた。傍らで昏睡している夫も、音楽が世界を変えると、ロックからクラシックまでこよなく愛していた。目の前の本棚には、ピンク・フロイドのレコード。ほかにもジョンレノンのイマジン、ビートルズのレコードが。
今日1日を生きんとして生きる。

12月31日
夫の寝息で目覚める大晦日。
曇り空。
夫のそばでチベット語のマントラと般若心経を唱えたあと、何気に開けたFBで、ブッダガヤからダライラマ法王の法話のオンライン配信が始まった。私が帰依しているターラ菩薩の許可灌頂の儀式が始まるところで、夫と共に耳を傾け、祈る。
ちょうどお祈りが儀式が終わった時に、訪問看護師さんが到着、夫の身体を隈なく清拭してくれたばかりかベッド上でシャンプーまで!
オムツ替えなど手を貸そうとすると、
「私がいるときくらいはゆっくり休んでいらしてください、眠れていますか?」と声をかけてくれた。

看護師が帰った直後、夫の、私にとっては腹違いの息子から電話。会いに行ってもいいかとのこと。もちろん、すぐに来てください、と伝える。
「そんなに急なことなんですか?」
「はい、お医者様からは一両日と言われています」
すぐにやってきてくれた。
良かった、本当に良かった。間に合って良かった。小1時間ほど、私は部屋を出て二人きりで過ごしてもらう。
帰り際、「この後、何か希望があったら聞かせてください」伝えると、
「葬儀が決まったら知らせてほしい」とのこと。メールアドレスを聞く。連絡が取れて安堵。良かったね、会えてよかったね、と夫の手を握るのが私のセルフ・コンパッション。

2023年1月1日
ゆく年くる年の除夜の鐘を聞きながら年越し。やったー!
生き延びたことに感謝。こんなに長かった大晦日はかつてなかったね。

娘と年越しそばを食べ、氷川きよしがすごかった、と楽しげに笑う娘の話を聞きながら変身した氷川きよしを妄想しつつゆったりお湯に浸かる。夫の元に戻り、寝たのは2時近かった。

明け方6時に目覚め、初日の出を待つ。

2023年の幕開け。朝日を浴びながら、夫の病状をFBで公開してもいいよ、と自分に許可を出す。

正直怖い。お正月のめでたい投稿で溢れるフィードに、インパクト(衝撃)を与えてしまうニュースになってしまうのではないかという恐れ。

丁寧に言葉を紡ぐ。コメントはなしで、と書くか書かないか逡巡しつつ、何度か読み返し、少し時間を置いてまた読み返し、どんなコメントでも受け入れる心の準備ができたことで、自分にOKを出す。投稿。

瞬く間に、温かなコメントでいっぱいになってゆく。

書いてよかった。受け取ってもらえた。少しショックを受けた人もあったようだけど、そこへもケアの気持ちを向けることができた。

程なく、重子&ケンさんから、初日の出をバックに二人でふるさとを歌うメッセージが届く。温かな思いを届けてくれた二人に、夫が生きてくれていることを報告。

看護師が来てくれた時に、シーツ交換とパジャマの着替えをさせたいことを伝えると手際良く、整えてくれた。コインランドリーに洗濯物抱えていくと、何と元旦のコインランドリーは大賑わい。外国からの旅人たち。異国情緒を、自宅からの徒歩圏内で味わえる贅沢さ。ちょっぴり嬉しい。

朝のFB投稿を読んでくれた高野孝子さんが、新潟から上越新幹線ですっ飛んで来てくれた。自分で育てたという新米を携えて。

介護の話いっぱい聞いてくれて、彼女の親の介護の話もいっぱい聞かせてくれて、おしゃべりは尽きなかったけど、お互い満足して、彼女は新潟へ帰っていった。夫の寝息がどんどん安らかになってゆく。
会いたい人に会いにいく。私のセルフ・コンパッション。

1月2日
おはようライちゃん!セルフ・コンパッションの湯治場を作ってくれてありがとう(^.^)この湯治場のおかげで、人生の最も困難な場面も全てギフトなんだって思えている。
朝窓を開けて風を通す瞬間。
夫が跳ね除けている布団をそっと掛け直す瞬間。空をカラスが過ぎる瞬間。どの瞬間も愛おしい。

1月15日
ただいま!ライちゃん&皆さま。
おかえりるりら。

未亡人になりました。(馴染めない、このラベル)

2日の午後に夫を看取り、3日京都・法然院に搬送・安置、4日お通夜、5日に葬儀と火葬と初七日。

10日も経ったというのに、未だ年末にいるような浮遊感。涙が涸れることはないのですが、子供たちが日常生活を取り戻したことに励まされ、私もゆっくり起き上がります。自宅で看取ったとき身体を酷使していたようで、終わって見れば全身むち打ちの如く動けなかったのですが、養生しながら自分の身体を労っています。
この湯治場も残すところ7日ですね。元気を取り戻します。

1月16日
おはよう、るりら。
おはよう皆さま。
お帰りと迎えてくれたこと嬉しかったです

回復のセルフコンパッション第一弾。

日常を取り戻すために、
毎朝の共感バディタイムを今朝から再開。3週間ぶり。
身体がとにかく辛い、ということを聞いてもらった。

そう、夫といる間、とにかく緊張が緩むことがなかったこと。
それも30有余年!身体の芯まで緩むには相当時間が必要かもと自覚。

自分がやってきたことをお祝いし続けよう。スパイラルセラピーの施術で身体をほぐす。

自分の中に小さなスペースが生まれてきた。ありがとう、私の身体さん。パンプキンスープで温める。探し続けていた軽量傘に出会えて、ご機嫌な1日。

1月17日
おはよう、るりちゃん。(因みにるりらのら、はチベット語のちゃん、さんにあたるのです)

おはよう、湯治場につながる皆さま。

夫の命の綱だった栄養剤エンシュアが2ダース残っているので、薬局に相談したら快く引き取ってくれた。

顔馴染みの薬剤師さんが「奥様ゆっくり身体を休めてください」と声掛けてくださり、この2年必死に介護していることを見てくれていたことを思い出し、ありがとうございます、と頭を下げた時に涙が溢れた。

最後のエンシュア、写真撮っておけば良かったとちょっぴり後悔。

鍼灸師になったなみちゃんが、私のお見舞いに来てくれて鍼治療を施してくれた。ツボをピタリと充ててゆく神の手に感動。
凝り固まっている心と身体がゆっくりほぐれてゆく。
今日も一日、私が私に優しくあれますように。
私に必要なコンパッションが見つけられますように。

1月22日
おはよう、るりちゃん。おはよう、ライちゃん、おはよう、湯治場に集う皆様。19日の夜に、息子が原付バイクでの学校帰り、車とぶつかっちゃって肩、顎と頬を骨折。病床無くて、自宅待機。痛みが辛いのでやっぱり病院行きたいとサポート要請があったのが明け方4時近く。お世話になっている外科病院の救急に直に赴き、相談。先生がいらっしゃる8時まで待ってほしいということで、息子に伝え、自転車で家に戻る途中、青信号の横断歩道にタクシーが突っ込んできて接触。救急車は断ったものの、あちこち打撲💦

娘に来てもらって、ひん曲がった自転車を運んでもらい、平謝りのタクシー運転手さんに家まで送ってもらってとにかく実況見分やらで冷えた身体を湯船で緩ませる。打撲は冷やすのよね、と冷えピタ。思いがけないことばかり続くけど、今日は旧暦元旦。全部きっとカルマ落とし。心身共に生まれ変われそうな朝。今日も私が私に優しくあれますように。私に必要なコンパッショんがみつけられますように!
湯治場の皆様、4週間お世話になりました!どこかで見かけたら声をかけてくれたら嬉しいです。ライちゃん、今年もリアルで会える日がありますように!ごきげんよう♬













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