第一章 ウイルスの発生

ウイルスの発生

【西暦1066年6月24日】
全ての混乱は1066年6月23日にの南陆平原の克罗市で始まりました
卡梅迪尔医院の主治医の基・周はこの感染症を最初に発見し、原因を特定するために
患者を病院に残すことを決めました
そしてその夜、患者は突然亡くなりました
翌日、病院のスタッフと患者が全員変異しました。彼らは非常に攻撃的です

【6月24日】
感染は病院から克罗市全体に広がっていきました
街からは悲鳴や泣き叫ぶ声が聞こえてきて克罗市は混乱に陥りました
なぜ政府が蔓延を止められなかったのかは謎ですが、克罗市から感染が拡散していっていることは事実です

Oウイルスと命名

【6月24日-6月26日】
克罗市で見つかったウイルスと同じものが世界中で確認されています
各国は最高レベルの警告を発令し、ウイルスの研究を開始しました
しかしウイルスの発生源と治療法を発見できる国はありませんでした
これらのウイルスに直面し、人類の保持する手段は全て無効でした

【6月28日】
世界の共同政府はウイルスを診断できなかったことを発表し一時的に「Oウイルス」(Osiris)と名付け世界的な防疫計画を開始しました
各国政府は感染の拡大を防ぐために国境の封鎖や生存者の避難誘導を行いました

コミュニティ協定

【8月18日】
収容と避難を完了させるために約2ヶ月かかりました
8月18日に南陆平原各国は都市の崩壊を発表しました
感染は急速に拡大していったため南陆平原の国の政府は都市の物資を避難させることが出来ず難民の生存を維持することができないため世界に救援を求めました
共同政府は各国に対して支援し合うよう呼びかけました

【8月30日】
半月の交渉後8月30日に各国は合意し通称「コミュニティ協定」と呼ばれる
「攻撃対処と救済協定」に署名しました
世界大国は近隣諸島から難民を受け入れ、近隣諸島に資源を提供します

ISRを設立

【9月初め】
協定の調印後、国籍や民族の違いなどは関係なく全ての人が協力し一貫したものになりました
各国は、世界疫病支援および支援部隊を形成するために通称「ISR」(International Search and Rescue Support Group)を設立しました
これは由利伯曼将軍を最高司令官とする人員と資材を動員するために各国によって設立された世界的な合同部隊です
9月始めにISRは集結され国軍に替わって災害後の救援を行います
また感染地区の難民が近隣諸国の避難キャンプに安全に避難できるようにします

海姆达尔(人名) と ガラール(生存補助器)

難民の避難はISRによって安全が確保されています
シェルターに入った後の全員の安全と健康は海姆达尔の生存補助器「ガラール3.0 民用版」に引き継がれました
世界をリードするテクノロジー会社として海姆达尔は軍と協力して何年も前にガラールプロジェクトを開発しました
研究開発向け補助装備は兵士の体調と戦場環境の評価と監視に使用され、ガラール1.0と名付けられました。
海姆达尔は当初、一般市民の健康モニタリングに役立つ民間バージョンの ガラール3.0を開発することを計画していました。
しかし突然の感染大流行は全ての計画を混乱させました
彼は在庫を処理し生存者のニーズに対処するために主要な避難所にそれらを供給しなければなりません
共和政府と海姆达尔はシステムを通じて各難民の生命状態を監視し、生存者が危険にさらされているときにタイムリーに支援を提供できます

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