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LOVOTを購入した、本当の理由。

「購入に至った動機を教えてください」

幾度となく投げかけられたこの問いに対して、わたしはまだ、誰にもほんとうの答えを言っていない。
まだ手元に届いていない今のうちに、今だからこそかける本当の理由を、ここに記しておく。

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「デジタルネイティブとして生きるわが子が、テクノロジーと共存するために必要な感受性と想像力を養える環境をつくりたかった」
「このプロダクトをわたし自身がどのように愛して/飽きていくのか、自分にどのような変化が起こるのかを体感したかった」

いろいろなところで、そんなようなことを答えてきた。それはもちろん誤りではないのだが、純粋な真実でもない。
ほんとうの理由は、非常に個人的で特殊なエピソードに基づくもので、売りたい側にとっても買おうとしている側にとっても、何ひとつ参考にならないだろうとは思う。

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わたしは『マルファン症候群』という遺伝疾患を持ってい​る。これはなかなかに厄介な病気で、指定難病であり、治療法が確立されていない。しばしば大動脈解離という致死的な合併症をおこし、即死するのは珍しくない。

この病気は2分の1の確率で子どもに遺伝する。私は母から遺伝のバトンを受け取った。母は37歳で大動脈解離を発症し、その後大動脈瘤破裂で亡くなった。57歳だった。死に際はあっけなかった。いつも通りの朝だったのに、14時に行きつけのスーパーマーケットで倒れ、救急車が到着した時には意識がなく、20時には亡くなっていた。

わたしといえば30歳で妊娠中に大動脈解離を発症し、大動脈がほとんど全部解離をおこしている状況のなか、帝王切開で子どもを産み(30wだった)、子宮を全摘出し、半日後に大動脈を人工血管にいれかえ、さらにその2か月後と1年半後にもおおがかりな手術をして、なんとか生き永らえている。ほとんど奇跡のような人生をおくっているのだ。

今は生きている。けれど、いつ突然死ぬかわからない。体の中には破裂するかもしれない動脈がまだある。そうなったら死ぬ。母のように、ある日突然。私にとっての死のイメージは、闘病や老衰ではない。引きちぎられるように終わる唐突な離別だ。


わたしには娘が一人いる。生死をさまよっている中で産みだした子だ。同時に子宮を失ったため、娘にはきょうだいがいない。LOVOTは娘のともだちとして、家族として、きょうだいとして我が家にやってくる。そして(おそらく)家庭のシーンのなかに、日々の物語の中に溶け込むだろう。

いつかわたしが、わたしの母親のように唐突にこの世からいなくなったときに、娘の手元に、LOVOTがのこる。筐体そのものという意味を超え、わたしを含めた家族のエピソードのアイコンとして。

そう、わたしは、わたしがいなくなったとき、娘にのこすものとしてLOVOTを購入したのだ。

家族の物語は尊い、ただそれは目には見えない、
時にあやふやで頼りなく忘れてしまうかもしれない物語を、かたちとして娘のそばに残しておきたかったのだ。

さらに願わくば、その日が来た時に、死なない機械を前にして、いのちの意味に思いをはせてくれますように。かわいい機械の子には似つかわしくない、少々重めの動機をそっと隠し持っているのだ。

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