時間は戻らない #3 梁川奈々美
ちょっと待って下さい
やなみん、ねぇちょっと待ってくれよ。
辞めないでくれよ。
行かないでくれよ。
僕は君のことをもっと見ていたいんだ。
梁川奈々美に夢を見ていたんだ。
物語はまだ何章も残っているはずだったんだ。
書いては消してを何度も繰り返してボロボロの未来予想図に、ついに大きな裂け目ができてしまった。バラバラになってしまった。
もうどうやったら直るか全然分からないんだ。
途方にくれてしまっているんだ。
本当に本当なのかい?
僕には君が必要なんだ。
私をまるごと愛して
アイドルになるために生まれてきた人がいるとするなら、それはきっとやなみんみたいな人だろうな。
梁川奈々美を知った時、そんなことを考えた。
顔が可愛ければいいわけではない、歌やダンスが上手ければいいわけではない。人を惹きつける力。放っておけないと思わせる要素。心を捕えるひっかかり。
それを彼女は有り余るほどもっていた。
トレードマークは八の字眉毛とおでこ。クルクルとかわる表情はどこかユーモラスで、年齢に似つかわしくない勿体ぶった言葉遣いと相まって、見る人はつい笑顔になってしまう。
大の負けず嫌いで何事も真剣に取り組む。不器用だけれど決して卑屈になることはなく、むしろ自信満々。物事を楽しみ、よく笑い、自分の好きなことを嬉々として話す。ちょっと浮きがちだけれど個性的で前向き。その天真爛漫さは何よりの魅力だった。
そして数えきれない人から押し付けられる愛情を笑顔で受け止めるその姿は何より天性のアイドルだと思わせた。自分の良い面もそうでない面もすべてさらけだして、まるごと愛してと言える。そんな稀有な人だと思った。
彼女なら無責任な愛情と陶酔をぶつけることも許されるかもしれない。
そんなことを考えてしまっていた。
このままずっと変わらずアイドルでいるのだとばかり思っていた。
いや、そう思い込もうとしていた。
大人ぶってもそれはそれ?
15歳の少女としては至極当たり前のことではあるが、やなみんは変わった。
まず彼女を取り巻く環境が激変した。
恩師である嗣永桃子が芸能界を卒業した。
カントリー・ガールズは活動縮小をし、やなみんはこれまで追加メンバーを迎えたことのないJuice=Juiceへの移籍・兼任が決まった。
拒絶反応を示すファンも見受けられる中、Juice=Juiceのメンバーで憧れの先輩である宮本佳林の機能性発声障害と活動休止が発表された。エースを欠いた状況で全国をライブで回る日々が始まった。宮本佳林が1ヶ月での奇跡のカムバックを果たすと、すぐに世界7カ国を回るワールドツアーに出かけた。日本に帰国すると、自身初の単独武道館公演が待っており、その後はまた地球の裏まで歌を歌いに行った。ここまでわずか半年だった。
それは一体どれほどの不安と緊張に満ちた日々だったのだろうか?しかしそんな日々を彼女は完璧にこなした。1日1日を全力で走りきった。
彼女は変わっていった。トレードマークだったおでこは前髪に隠れるようになった。代わりに美しく整った顔立ちが誰の目にも明らかになった。舌ったらずな可愛らしさのある歌声は、ライブを重ねるごとに安定感と力強さを増し、ドキッとさせられる妖艶ささえも醸し出すようになっていった。力いっぱいに手足を動かすダンスが、ふと見とれてしまうしなやかさを獲得した。
顔も可愛いし、歌だってダンスだって上手なアイドルになろうとしていた。
その一方で天真爛漫な笑顔の合間に、憂を帯びた表情がかいま見えるようになった。
喋りだしたら止まらない、空気がよめないと言われた彼女がいなくなったわけではなかったが、ひとり物思いに沈む姿が様になるようになっていった。
少女が少し背伸びして大人ぶっている、そんなも確かにあったけれど、彼女はそんなことを考えている僕を置いていくように一人の女性へと変わっていく気がして、寂しさを感じていた。
本当は何を考えているのだろうか?Juice=Juiceで見せる表情に疑問を抱くこともあった。ただ、握手会にもいかないし、ただの一ファンである彼女の全てなんてわかりっこはない。
その笑顔だけを信じようと能天気に考えていた。
わかっているのにごめんね
でもわかっていたんだ。握手会に行かなくたって、君が悩んでいることは。
ちゃんと教えてくれていたから。
君はいつだってMCやブログで、自分の言葉で伝えてくれた。
君はとっても負けず嫌いで、強い心をもっているけれど、でもけっして自分を偽って強がることをしない謙虚な人だから。
嬉しい気持ちも、辛い気持ちも、大事なことはちゃんと教えてくれていた。
新体制発表で動揺したこと。カントリーが大好きだってこと。武道館まで何も考える余裕もない日々だったこと。緊張で泣き出してしまったこと。少し落ち着いて自分を見つめ直していること。自分らしい表現を探していること。ドグラマグラ読んでることだって。
君がアイドルとしての自分に迷っていることに気づかざるをえなかった。
その先にもしかしたらこんな決断があるかもしれないと、どこかでわかってはいたんだ。でもそんなことは考えないようにしていた。
なんでブログのコメント最近さぼってたんだろう。もっといっぱい好きって書いたら良かったかな。握手会、怖いけれど行ってればよかったのかな。ありがとうを言いに。
カレーだって60個は無理でも10個くらい買えたはずだ。
僕なんて会っても気持ち悪いだけかもしれないけれど、何か少しでも君を元気づけられる行動があったはずだ。
ごめんね。そんなことではきっと結論は変わらないってわかってる。ゆかにゃがいったって駄目だったんだからね。
これは僕の話ではなくて君の話で、君の人生の上での重要な決断なんだから。
ごめんね。こんなに取り乱してしまって、君にあまりに多くのものを背負わせすぎていることは、わかっていたのに。
君のいない世界は
やなみんが居なくなると考えると、彼女がいかに大きなものを背負ってきたかがわかる。
ハロプロ宣伝部の部長にはならない。やなふなコンビが毎日のようにテレビにでることも、やなみんがポケモン映画の声優をやることもない。カントリー・ガールズが5人でツアーを回る世界はもうやってこない。いつかやなみんがJuice=Juiceのリーダーになる世界もやってこない。ハロプロといえばやなふなだよねって、小学生だって言うような時代はこない。それをみてももちが微笑む世界もない。
ももちイズムの名の下でトークを鍛え上げられ、それを広めるとの大義名分のもと兼任となり、Juice=Juiceとしては歌唱力や表現力を求められ、ハロプロ期待の星と持て囃され、その全てに彼女は応えようとしてきた。
カントリー・ガールズ、Juice=Juice、そしてハロプロ全体の期待が、数えきれぬ物語が彼女のその小さな小さな肩に背負わされていたのだ。
しかし彼女はただ用意されたレールの上で走り続けることを良しとするには、聡明すぎた。困難と荒波を乗り越えた先に何があるのか、考え始めてしまった。
ハロプロが大好きで、ハロプロのために全力を尽くすと宣言した彼女が、自ら強い意志で卒業を決断する。それは決して逃げではないだろう。
絶え間ない環境の変化に適応しながらアイドルとして常に他人の愛を受け入れ、愛を返し続けることに、もしかすると違和感や限界を感じたのかもしれないが、ハロプロが人生の全てではないという単純な事実を悟ったのは間違いない。
思慮の浅い僕はももち先輩の背中に追いつく、それはアイドルとしてのことだとしか考えていなかった。しかしやなみんは、それ以外の可能性を探りたいと思ったのだ。
あたかもすぐにももちを重ねてしまう僕たちの悲しい性から逃れるように。
とはいえ端的に言ってこれで新体制は失敗した。カントリー・ガールズもJuice=Juiceも、ハロプロも一つの大きな希望を失ってしまった。もはやこれまで事務所や従順なヲタクたちが何とかして共有しようとしてきたひどくナイーブな幻想は立ち行かなくなった。
ハロプロが全てではない。
この世界は僕にそう怒鳴っている。
どうやって生きていけばいいのか。
時間は戻らない
ああ、夜が明けそうだ。
金曜22時の前に僕を戻してくれないか。
予想もしてない小惑星が衝突してきたんだ。
僕の心はバラバラになってしまった。
タイムリピートさせてくれ。
そんなことばかり考えてしまう。
でも、時間は戻らないのだ。
明日がもうやってきてしまう。
悲しみも、寂しさも消えずに、一緒に朝を迎える。
だから先に進もう
そう言って、やなみんはもう一歩を踏み出している。
カントリーのみんなも。
ありがとう梨紗ちゃん。ちぃちゃん。舞ちゃん。ふなちゃん。
時間を止めらたらなと思う。
でも進みっぱなしなのだ。
アイドルは笑顔とか楽しさで人生を彩ってくれるけれど、それと同じくらい悲しみで人生を潤わせてくれるのかもしれない。
明るい曲の中にも少しの寂しさや悲しみが含まれることで説得力をますように。
だからその悲しみを甘んじて受け入れようと思う。
やなみんやっぱり悲しいし、寂しいよ。
カントリーのことも、ジュースのことも諦められないよ。
でも君はこれまでたくさんの光をくれたね。
まだ思い出ができるはずだよね。
進むしかないんだろう。
薔薇色の人生になるまで。
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