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太鼓好きの祭り好き。地元が何より好き。
そんな旦那さんの願いを叶えたくて、核家族のアパート育ちな私はこの町に来た。

いいとこばかりじゃないけど、悪いとこばかりでもない。そんな普通の田舎で、住んでる人間にとってはよくも悪くも特別な場所。それは、そこで重ねて来たつながりと思い出があるから。

そして、その土地で耕作出来るのは、気が遠くなるほどの年月、人が土地に関わってきたから。
 
その営みは、たった一人では出来ない。気の合う人間も合わない人間も関係なく「組」「親族」で力のを合わせて初めて、田畑の仕事は成立する。
 
機械化された今だって実はそうで。田んぼに水を引く用水を一人で管理なんてできない。当番で詰まっていないか点検して、年に二回くらい草刈りや井さらいをする。
 
だから!田舎の人間は「和」を大事にする。80代の人たちは特に、すぐに頭を下げる。出来ないから頼らなきゃならないことを知っているからこそ。本当の「自分の等身大」を、知っているから。

祭りなどの神事は、そういう自然と上手に付き合い、地域の和をつなぎ、田畑や山を共に守るための心得を次世代に伝える場所。
 
だから、太鼓や笛など、人と心を合わせていかなくてはできない芸能が根付いているんだ。
 
昔の人たちがなぜ祭りにこだわるのか。
 
それは、それが「生きていくためにとても大切な土台」だということを知っているから。
 
「定年後に帰って来て、草だらけになった故郷を見るのは嫌だ」と泣きそうな顔で言った20代前半の頃の旦那さん。
 
私は、その願いが届くようにという一心でここで活動してきた。

なぜ山を手入れするのか、なぜ草を刈るのか、なぜ祭りをするのか、なぜ役を担うのか、なぜ組費を納めるのか、なぜ消防団に入るのか、なぜ獅子舞を受け継ぐのか。
 
そういう一つ一つにちゃんと意味があり、大事だと思う部分とそのままでは続かない部分とあり、それを見つめつつ、ここで生きてきた。
 
頑張ってきたこと、前進したこと、力不足で諦めたこと、色々あって。いいとこばかりじゃないけど、悪いとこばかりでもない。

ただ、本当に生きていく土台というのは、こうして山があり水が流れて、人々がそれを守りながら田畑を維持しているところ。
 
「田舎」は今からどんどん見つめ直され、人が戻ろうとする。そして、みんな大切なものを、知っているようで知らないまま、伝える用意のない地域ではギャップが生まれるだろう。地域間ギャップも生まれるだろう。
 
そんな時、力を発揮するのが「祭り」なんだということ。オンラインでは不可能な世界。

今年これが出来ないということは、どういうことかということを、私は本当は地域で真剣に考える必要があると思っている。

思考停止している場合ではない。

これを文章で書くこと、考える必要があるということに矛盾を感じるけれど、「言葉がいらない」からこそ、「祭り」には力がある。

「語るに落ちる」そういう世界が、たくさんある。
 
足元の大切な「生きていく土台」というのは、たった一人では守れない。一世代でも守れない。
 
たくさんの人がつながり、小さな違いを乗り越えて価値を共有し、世代を超えてつなぐ意志をもって力を合わせること。
 
そこは、なくてはならないもの。
さぁ、ここから。
 
ここからどんな未来を見据えて、何を意図して、何をつないでいくか?
 
そして、どう動くか?

えな山里楽耕&Tellus Ludensの活動を通じて、心豊かな未来をつくるYUMIKOの活動を応援いただければ幸いです。