再掲、2019/1/27の備忘録

この文章は、2019年1月28日に書き、その日のうちにプライベッターに投下したものです。

2019年1月27日の「出来事」を受けて、「生傷が生傷のうちに、愛が愛のうちに、きちんと直視する」ことを目的に書きとめたものでした。自己の内面を直視するためのものであるため、非常に、エゴに満ちています。当時プライベッターに隠したことも含めて、すべてがエゴでしたが、当時の目的も文章そのものも時の流れとともに「過去」になりつつあります。

この度noteをはじめて、書きものはこちらに統合していく方針でいます。なので、1年と数か月前の文章ですが、(前書きを除いて)そのまま再掲します。

どうかどなた様も不快な思いをされませんよう。

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私と嵐との出会いは、2007年、当時二宮さんが出演していたハ○ス食品の「スープdeおこげ」と「豆乳を練り込んだしらたき麺のスープ」のCMがきっかけだった。
それまでも、嵐の存在は知っていたけれど、あまりよく分からないな~?という感じで、いわゆるジャニオタではなかった。
『硫黄島からの手紙』でしか見たことがなかった二宮和也が、実にアイドルらしい所作をしている側面を見たのはあれが初めてで、「とーうにゅうを練り込んだ しらたき 麺の スープ♪」と歌う二宮くんの少し鼻にかかった甘ったるい声、青いほど白いお顔、ガラス玉のような茶色い瞳、その他すべてに、世界がパッ!と明るくなった気がした。今となっては、あれがアイドル嵐の力だったと思う。

世代なので、周りに嵐担は多かった。二宮くんいいよね!、という話をすると、クラスに潜んでいた嵐担たちが次々わたしに布教をしてくれた(オタクの布教にかける思いはすごい)。
二宮くんを入口に、私は、あっという間に「嵐」に墜落した。

現場には、ひとり遠征&参戦してばかりだったけれど、それでも楽しかった。何度も嵐から生きる力をもらった。そんな彼らの、アイドルとしての姿をもっと知りたくて、毎日、インタビューを貪るように読み漁った。辛いことがあった日や、この世の理不尽にぶん殴られた後、雑誌や写真を見ながら泣いた夜もある。
多くの嵐ファンにとってそうだったように、私にとっても、彼らは心の支えだった。
そしてそれは、今も変わらない。変わらないよ。

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それから、

災害が、沢山たくさん、ありました。無事に生きている私たちですら、あたたかさが、生きる力が、誰かの応援が、必要でした。今も多くの人が、必要としていると思います。ちっぽけな私には、微々たることしかできないような大変な事、大変な日が何度もあって、そしてそれは繰り返しました。

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そうして、

嵐に求められる「役割」が変わったことを悟ったのは、Beautiful Worldコンだった。例に漏れず一人参戦で、そのときは遠征で、一人のホテルで私は眠れなかった。「何かが変わった」と、強くそう思っていた。

強く感じた小さな変化は、どんどん成長して具体化していった。変化から取り残される私をよそに、彼らと世間の向かう方向は、そのまなざしは、確かに同じもの見ているように思えた。

なぜならば、彼らは「国民」的アイドルだから。

「国民」ってなんだろう、ファンってなんだろう、嵐ってなんだろう。私にとっての嵐ってなんだろう。


テーマ性・メッセージ性の強いアルバムが、ツアーが、コンサートが続いた。Beautiful worldの次の参戦はLove、嵐は年々「国民」的アイドルを超えて「国民のための」アイドルになっていっていた。繰り返される脱皮のたびに、色濃くなってゆく「希望の色」。

辛かった。嵐は変わらないはずなのに、ずっと大好きなのに、取り巻く環境や社会の変化についていけないことが、辛かった。だけど、それよりも、「辛い」と感じてしまう自分のことが嫌だった。嵐を追うことに、息が切れてしまう数年間。こんなに苦しい思いをして嵐を追いかけているのに、追いかけているのに、追い付けない。すべてが遠ざかっていく感覚。

are you happyコンを最後の現場に、私は嵐担を降りる。2018年、ファンクラブを更新しないままの退会。5×20イヤー直前のあの夏の日、年会費振込の締め切り最終日、ギリギリまで悩んだ。
今となっては皮肉でしかないけれど、嵐を取り巻く環境の変化についていけなかった私は、少しだけ、少しだけでいいから、お休みがほしかったのだ。

また、彼らをきちんと愛するために、距離が、時間が、ほしかった。

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2019年1月27日。

昔にもこういうことがあったことを、確かに覚えている。
大好きなものが、自分にとって何なのかわからなくなってしまって(これはきっと思考の癖)、距離をおいて、少し離れて見ることで愛し直そうと思っている間に、幻のように消えてしまったことがある。
きっと私はこれからも、こういう経験を繰り返して生きてゆくのだと思った。それはそれとして。


今、思っていることが3つある。

まず、私の大好きな嵐はずっと変わっていなかった。会見でみせた姿、潤くんの強くしたたかで大きな優しさ、相葉くんのほんとうに幸福な笑い声、翔くんのナイフのような利発さは盾であること、二宮くんの軽薄な音色で紡がれる深淵な発言、そして、ふわっと笑う智くんの唯一無二のきらめき。
私の大好きな嵐。いつもありがとうと、生きる力をくれてありがとうと、ペンラを振りながら、一人の現場でじっと見ていた嵐が、記者会見に、確かにいた。

次に、嵐さんにとっての休憩は、私にとっても休憩なのだということ。奇しくも私がファンクラブを辞めて、けじめとして担当を降りて、さほど時を待たずして1月27日が訪れたことは、ちいさな奇跡だと思った。お休みは、おしまいではないということを、彼らが身をもって教えてくれた。

最後に、何よりも、あと2年弱があるということ。彼らの「誠意」とはつまり大きな愛だと思った。
私はここでファミクラ復帰するつもりも、そんな資格もないと思っている。だけど、会員じゃなくても、コンサートに行けなくても、彼らのキラキラする様を遠くから見て、彼らを愛することはできると思っている。
ずっと、ずっと、もしかしたら私と同じような気持ちで、苦しくても苦しくても、彼らを応援してきたファンからしたら、私のようなスタンスは「ぬるい」のかもしれない。


だけど、これが私が見つけた、やっと見つけた、たったひとつの方法だから。しばらく、彼らをこうして愛してゆこうと、思うのだ。

そして、これが私の精いっぱいの誠意です。