「一瞬」がやってきた日

 すべては母のこの一言から始まった。

 「珠城さんの退団公演を観に行きたい!!」

 宝塚歌劇団月組前トップスター珠城りょうさん。
 当時宝塚のことは殆ど知らなかった母だが(今では立派なヅカオタ)、スカイ・ステージで見かけた珠城さん主演の作品は全部好きだ、何とかして退団公演を観たいと言う。
 タカラジェンヌとしての珠城さんを生で見られるラストチャンスと言われれば、ここで娘が一肌脱がぬわけにはいくまい。
 足腰が弱い母なので、なるべくS席、せめてA席で観たい……ということで早速友の会に入り、先着で粘りに粘った末(抽選は一次二次ともに落選…)、何とかチケットを入手。
 忘れもしない、2021年7月14日18時半公演のチケットだった。

 観劇後、母は少しセンチメンタルになっていた。好きなトップスター様の退団公演だったのだ。当然のことかもしれない。言葉数は少なく、俯きがちだった。
 そしてその隣で、「ちょっと待って、超楽しかったんですけど!?ちょっと待って、すごく好き……鳳月さん!!鳳月さん好き!!鳳月さんのことしか考えられない……」な娘が出来上がっていた。


 何が起こったのか!?

 まったく何が起こったのか理解に苦しむ。
 鳳月杏さんのことは、以前からお名前なら存じ上げていた。『幽霊刑事』の円盤を持っていたし(原作ファンなのです!)、スカイ・ステージでも出演されている作品を幾つか見ていた。素敵な方だろうとは思っていたけれど、まさか好きになるとは露と思っていなかった。
 理由は明白だ。第一に、彼女は宙組生ではない。第二に、娘役ではない。
 宝塚歌劇を好きになったきっかけが宙組公演で、そのとき惹かれたのは娘役さんだった。誰か特定の人を好きになるとしたら、少なくとも何れかのジェンヌさんであろうと、すっかり思っていたのだ。

 しかし、それは覆された。たった2秒で。

 『桜嵐記』第2場、正行、正儀に続いて登場した正時にスポットライトが当たり、観客が拍手したその2秒。
 私はそのときオペラグラスを使用していなかったし、座席は1階下手後方だったので、正直何を見て心が動いたのか自分でもわからない。何も見えていなかったと言った方がまだ納得できる。でも確かにその瞬間、この公演、彼を追いかけようと心に決めた。
 体が熱くなって、目で追うだけで体の内側から喜びが溢れた。正時様だ!と思ったら一秒たりとも見逃さないようオペラグラスを覗き込んだ。

 ある意味一目惚れ状態ではあったが、『桜嵐記』をよくよく観ていくと、楠木正時はとても私が好きなタイプの人物だった。
 自分の人生の中に大切なものを見出し、それを言動で示すことのできる人。優しく強く、人間らしくもある人。
 彼と一緒に生きた1時間半だった。
 ずっとそこにいてほしい、できることならいつまでも見続けたいと願った時間。出陣式の場面、セリ上がってきた彼は涙で滲んでいたけれど、未だかつてこれほどに美しい人は見たことがないと思った。

 観劇で嗚咽するほど泣いたのは初めてだった。


 併演の『Dream Chaser』は、私にとって、特定の誰かを想って観劇する初めての演目になった。
 正時様あらため、鳳月杏さん!
 そして痛感した。80人近くのほぼ知らない人の中から、覚えたての人を探し出すのはとても難しい、ということを。
 そもそも人の顔を覚えるのが苦手で、知らない人がたくさんいると余計混乱してしまう質である。
 見つけられないかもしれない、と諦めかけた矢先、聴こえてきた歌声。
 ……私の愛しの君だ…!!!!!!!

 オペラグラスの先には、きらきらの大階段よりも遥かに輝いている人がいた。
 一体いつからいらっしゃったの……と内心涙を流しつつ(最初からいらっしゃいました)、私の持てるすべてを注いで表情や歌声を記憶に留めんとした。

 今思い出しても、本当に美しかった。
 眼差しや歌声のひとつひとつから一気に世界が開けて、一陣の涼やかな風に触れたような感覚。
 ずっと見ていたいと願っていても捌けていってしまう現実が切なく、それでも再び出会えたことが嬉しかった。


 『Dream Chaser』はとにかく私にとって初めて尽くしのショーだった。

 まず、人生で初めて「男役さんの髪を撫でつける仕草はかっこいい」と知った。
 もちろんそれまでも好きな男役さんはいたし、すてきだと感じることはあったけれど、所謂「かっこいい仕草」をかっこいいと思うことがなかったのである。
 何かをかっこいいと思うには、私の中でひとつスイッチが必要な気がする。宝塚という世界において、私にそのスイッチを提示してくれたのが鳳月杏さんであった。
 そして「生まれ変わったら絶対東京宝塚劇場の下手の壁になる」と誓った。


 第二に、鳳月杏さんを好きになった。
 既に今更な気もするが、決定的だったのはミロンガの場面だったように思う。
 登場した暁千星さん(当時はまだ知らない)に、下手の壁がこんなに活躍するショーは前代未聞では……と思いつつ、ライブ配信で観たときに好きだった場面だ!と気づいた。

 そう、宝塚大劇場千秋楽のライブ配信は視聴していたのだ。しかし、『桜嵐記』の四條畷の場面のショックが大きすぎて、前後の記憶がない。自我を取り戻せたのはミロンガのおかげといっても過言ではない。
 閑話休題。

 好きな場面だとは気づいたが、心に決めた方は直前の場面に出たばかりである。つまりこの場面には出ないのだと理解し、娘役さんたちかわいいなぁ、などと楽しんでいた。

 そうしてゆったり構えていた私、その約1分後、「ちょっっっっっと待って、鳳月さんおるやん?????????」

 柱の陰からハットを被っての登場だったにも関わらず、すぐに気づいたあのときの私を称えたい。
 好きな場面に好きな人が出ている。しかもめっちゃ好きな感じで。(語彙)
 これほど幸せなことが他にあるだろうか。あるかもしれないが、そんじょそこらの幸せでは太刀打ちできない幸せであることは間違いない。

 あのときの衝撃をうまく言語化できないのが口惜しいが、本当に魔法のような時間だった。
 音楽とダンスから生み出される力が体に広がって、鼓動そのものになったような感覚。感動と、恋心に似た何かが一気に押し寄せてきた。
 楠木正時を演じていた人としてではなく、「鳳月杏」というタカラジェンヌを好きになった瞬間だった。
 そして初めて自分の息が荒いせいでオペラグラスが曇るという経験をした。


 第三に、黒燕尾の男役群舞を初めて劇場で見た。
 宝塚歌劇を好きになって以来、いつか絶対に生で見たいと思っていた黒燕尾。それまで2回観劇していたが、いずれも黒燕尾の場面はなかったので、とても楽しみにしていた。
 しかしいざその時になると、オペラグラスを使うか使わないかに迷って視界は定まらず、いざオペラグラスを使えば興奮した自分の息で視界が曇る事態に陥っていた。
 観劇前は群舞としての美しさを見たいと思っていたはずだが、オペラグラスで追いたい方ができてしまった今、全体を見たい思いと、好きな人を見逃したくない思いの板挟みでどうしたらいいのかわからず、軽くパニック状態であった。

 だからあのとき、ちなつさんがどんな表情で、どれほど頭の天辺から足の爪先まで美しかったか、具体的に思い出すことができない。
 それでも、心と体で感じたことは今もはっきりと覚えている。あの静けさや烈しさ、清らかさを。それがどれほど美しかったか。これから先もきっと、大切な記憶として何度も思い出すだろう。


 宝塚歌劇団には、100年を超える長い歴史がある。
 時折、その目眩のするような年月を、愛すると同時に少し恐れたりする。
 けれど、その歴史は即ち、誰かが誰かに出会い、過ごした一瞬一瞬が積み重なった年月なのだ。そんなふうに考えて、それはやっぱり、とてもすてきなことだなぁと思うのである。

 私のもとに届いた「一瞬」は、こんなふうに始まった。

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