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【Petit cadeau】お疲れ様でした、ありがとう

祭壇の写真は、にっこりと微笑んでいる美しい女性。
40才半ば、ますます、家庭で、社会で必要とされるころ。
なのに彼女は、斎場の中央に置かれた棺の中で、美しいまま横たわっている。
別れの挨拶をしにきた人全てに、彼女から挨拶するために、中央に横たわっている。

焼香を済ませ、棺の中の彼女を覗き見る。
見てはいけないものを見たような気持ちになり、一度、目を背けた。
もう一度、しっかりと見る。
本当に美しい顔。
首には翡翠色のストールを巻いている。
気管切開したことを物語っている。
棺用の布団ごしに、彼女の身体を肩から爪先まで確認する。

「本当に、お疲れ様でした。」

自然と出てきた言葉を心の中で呟く。

祭壇の左手に、結婚式と最近の家族写真、愛用の小物、闘病生活中の趣味作品と思われる色鉛筆で描かれた植物画が展示してあった。
ウェディングドレス姿の彼女は、とてもかわいい。
ご主人は、才色兼備の彼女を妻にでき、さぞ、幸せだろう。

突然、わっと涙が溢れた。

個人的に親しかったわけではないけれど、私にとって彼女は、初めて子育ての先輩として出会った人だった。
芸能人として十分やっていける、きれいな顔立ち。その容姿のせいか、いつもこころに余裕があるような、誰に対しても優しく心配りのできる人だった。
娘より、2歳年上の女の子がいたので、普段の生活や習い事、幼稚園、小学校、中学校、クラブ活動、塾と、ずっと一緒だった。
その要所要所で、彼女が優秀であったから、保護者会等、常に重要な役職を任されていた。
本当に、娘の生活のありとあらゆることでお世話になった。
彼女が働いている店で客として訪れた時は、いつも声をかけてくれた。

涙が溢れたのは、10年くらい前から涙もろくなったからかもしれない。
映画、テレビ、本などにたくさん泣かされている。
だから、涙の理由が若くして亡くなったという状況にある気がした。偽善の涙のような気がして、ぐっとこらえた。

そばにいたご主人が、来てくれて嬉しい、最後までがんばりました、と晴れ晴れとした表情で話していた。
きっと、こうなることへの心の準備がすっかりできあがっていたのだろう。

祭壇の右手には大学生と高校生の子どもたちが立って、弔問者に挨拶をしていた。
二人とも、弔問者の多さや懐かしい顔ぶれとの再開に、自分たちの母親の偉大さ思い知ったことだろう。
こちらも、晴れ晴れとしている。
子どもたちの隣にも展示の写真があり、結婚式、子どもそれぞれのお宮参り、闘病中のものだった。

彼女の父親が、病状について話していた。
こちらもまた、晴れ晴れとしていた。
むしろ、娘へのたくさんの弔問者を誇りに思っているようだった。

彼女とよく似た美しい女性が近づいてきてお礼を言い、深々と頭を下げた。
彼女の妹だろう。
こちらも、姉へのお別れをしに来てくれた人たちの多さに喜びを感じているように、明るい振る舞いだった。

斎場を出たところで、懐かしい顔ぶれと輪になって話をする。
私は、みんなよりたくさんお世話になったと思う。
故人の思い出より、久し振りに集まったため、近況報告のようになった。
思い出を語るほど、深い付き合いはないけれど、本当にたくさんお世話になったお礼と、お別れの挨拶をしに来た人が多くあったと思う。

来てくれた人が、話に花を咲かせている。
彼女は喜んでいるだろう。

ひとり、連絡先を交換していない友人がいた。
上の娘と下の息子が同じ年で、息子の学校行事でたまに会うくらいだが、その友人も私と同じ時期から彼女の下の女の子が小学校を卒業するまで、彼女にお世話になった人のひとりだ。

気安い性格で、私のことを心に留めてくれている数少ない人間のひとりだと思う。
ずいぶん前からの知り合いだが、相手の転居や私の就労を機に、会ってゆっくり話す時間がなく、最近の連絡先を交換していないままだった。
この機会に連絡先交換する。

旧友との再開、連絡先交換。
最後の最後まで、彼女の世話になったと感じた。

帰宅して、涙が溢れた。
今回はこらえず、たくさん涙を流した。
棺の中の彼女にお礼を言っていないことを思い出した。

ありがとうございました。


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