英語って楽しいよね!─小学生の私─

この言葉を言ったら、どれだけの人間が
「わかる」って言うだろうか。
英語は世界共通語だ、なんて言っても
好きでやっている人なんてほんのひと握りだろう。
大体が「大学の講義であるし、仕方なく」とか「学校ではついてまわるから仕方ない」とか「受験に必要な科目だから仕方ない」
などマイナスに捉えている人が多い気がする。
少なくとも私の周りでは。

では、なぜ、私は英語に魅せられたのか?
大学でも誰かからやれと言われることなく
自らの意思で英語が学べる短大と大学に進んだ。
4月から始まる仕事でも(日常会話程度の)英語が求められる仕事に就くことになった。
その「なんで英語に魅せられたのか」を幼い頃からを振り返りながら思い出していきたい。

記憶にある、いちばん幼い頃の英語に触れる機会は、幼稚園の頃に通っていた幼児教室だ。
英語のビデオをみていた気がする。内容は覚えてないけど、英語の歌を歌っていた記憶もある。
あとはテレビ番組「えいごであそぼ」と「えいごリアン」も見てた。
まだ読んでない方はこのマガジンの最初の記事を見て欲しいのだが、幼い頃から英語の歌を聞かせてくれていた親のおかげで英語は身近だった。

そんな幼少期をすごし、小学生になった。
小学校は親の「中学受験をさせるなら小学校から私学に通わせて、少しでも(勉強への)負担を減らしてあげたい」という方針で小学校を受験し、校区の学校には通わなかった。
その学校は英語教育に熱心で、韓国に1ヶ所とオーストラリアに2ヶ所、合計3校の姉妹校がある。
(いまはアメリカにも姉妹校があるが当時は韓国とオーストラリアの2カ国だった)
当たり前のように週に1時間、英語の授業が英語で行われていた。使っている教科書も、英語圏で生活する子供たちが実際に使っているものだったため、全て英語で書かれているテキストだった。日本人の先生とALTの先生2人の授業がとても楽しくて、仕方がなかった。

そこから英語が好きになった、というか、漠然と英語に興味を持った。

小学四年生になったわたしはさらに意欲的に英語に取り組んだ。
年に1度「児童英検」というテストを受けた。合格とか不合格とかはない。試験方式はうろ覚えだが、英検のリスニング試験が永遠に続くようなものだった。
難易度が「ブロンズ」「シルバー」「ゴールド」と3段階で、「ゴールド」だけひとつの基準だった正答率8割を超えることができなかったことが悔しかったのは今でも覚えてる。

そしてこれも年に1度、英語スピーチコンテストに参加したこと。これは希望者がやるもので強制ではない。5月頃から募集が始まり、夏休みも何日か学校にいって日本人の英語の先生とレッスンする。そして10月頃に各学年合同で授業の中で予選を行い、選ばれたひとりが、冬の全校集会でみんなの前でそのスピーチを発表する、という流れである。
スピーチのトピックは予め先生が用意している。簡単なものから、人物や歴史の話がトピックになる3種類。どのテーマにするかは自分で選ぶ。

4年生から6年生で全ての難易度を網羅し、4年生の頃には全校集会で発表もできた。6年生では後一歩及ばなかったけど、これもいい経験だった。

そんな環境で小学校をすごし、漠然とこの頃から「英語に関わる仕事をしたいかも」みたいな、英語を使うことに楽しさを覚えていた。

アメリカ人の先生に話しかけたら伝わった。

海外旅行で現地の人と話したら通じた。

何となく、意味がわかったかも。

そんな小さな達成感を積み上げていったら、英語が好きになっていた。そしてなによりも、短大で英文学を学んだ母の話を聞く度に
「大変そうだけどそれすらも楽しそう」というなんともドMな感想を抱いたのも事実である。

小学校を卒業し、式の後に謝恩会があった。その時にお世話になった先生方に挨拶をした時に、アメリカ人の英語の先生が
「licaが積極的に話してくれたり、授業に参加してくれたりしたから、とても楽しかった」
といってくれた。日本人の英語の先生が通訳してくれたけど、その時の私はそれすらも理解できるほどに英語力を身につけていた。

そんな6年間をすごした私は、併設の中学に入学し、さらに英語に触れることになった。
その話は次の記事でしたいと思う。

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