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わたしにとっての2019年


あけましておめでとうございます🕊

ちょうど一年ほど前、わたしにとっての2018年 という一年の振り返り記事を書きました。
今回はその2019年版。年末には間に合いませんでした。
自分自身の振り返り、そして自分にとって2019年がどのような年だったのかということを共有してみようと思います。


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「休み方改革」

今年の始まりは、「最悪」以外の何者でもなかった。
2018年は自分が力を入れてきたことが何もうまくいかない年だった。

わたしはいわゆる「優等生」タイプで、時間をかけてじっくり取り組んで成果を出す人間。
でも進路や卒論など、この年に取り組んだものには、それが通用しなかった。

もちろん、それまでにもかけた時間が結果につながらないことはあった。
ただ、ここまで思い入れを持って、自分の中でもそれなりに自信があってやってきたことで、全く立ち行かないという状態は久々だった。

将来のことを憂いて、なんでわたしなんかが生きているんだろうって悩む日々だったっけ。笑


この過程で学んだことはたくさんあった。今はこれらの経験全てが本当に良かったと心から思っている。
その中で2019年、特に大事にしようと思ったのは「休み方改革」。

わたしはずっと、「休むこと」はネガティブで良くないことなのだと認識していた。
そして、それではやっていけないと分かったのが2018年。
自分自身にとって持続可能な生き方を見つけるために、休む方法について真剣に考えた。


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日々のタスクから悩み、楽しかったことまでいろんなことを一冊のノートに書き出す時間を作るようにした。今年初めてみて良かったと思う習慣の一つ。


都合の良い時だけの「平和」

2月末、わたしは北アフリカのチュニジアを訪れた。
まだ自分の中での鬱蒼とした気持ちは消えていないなか、半ば強制的に自らを連れて行ったという格好だった。
だが現地で過ごし、人びとの声を聞くうちに、少しずつ外の世界に目を向けることができるようになっていった。

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首都チュニス中心部の目抜き通り。ここは8年前、ベンアリ元大統領の退陣を求める人で溢れかえっていた。

チュニジアでは2011年1月、人びとが公正な社会を求め声を上げ、当時のベンアリ体制が崩壊に追い込まれた。いわゆる「アラブの春」と呼ばれるものだ。
これに続き、周辺諸国でも市民による抵抗運動が展開。チュニジアはその中で唯一、民主化に成功した。

それから8年。同国は依然として多くの課題を抱えている。
民衆蜂起が起きるきっかけとなった失業率の高さは、今も解消されていない。


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チュニスの街の一角で見つけたウォールアート。「自由なチュニジア」という言葉とともに、2011年に市民による抵抗運動が起きた国の名前と日付が書かれている。

そんなチュニジアで出会ったのは、「まだ時間は必要」と話しながらも、今の状況を必死に変えようとする若者たち。

会話の中で政治の話をするのは普通のことだそう。それくらい、生きるうえで必然的に向き合わなければならないことが多いということだ。

翻ってわたしは、日本は、どうだろう。
決して生活が楽ではない中でも、日本から来たわたしをこれ以上ないほどにもてなしてくれた若者たちを前に、ふと考える瞬間があった。

詳しくは上記のnote参照。日本からチュニジア、リビア、そしてベネズエラへ。


わたしは日本にいれば、衣食住には困らない。
政治のことなんて考えずとも、少なくともその日の暮らしには影響しない。

でも、身の回りが「平和」ならそれで良いと思っていないだろうか
経済や社会の発展による恩恵だけを受けて生きていないだろうか


日本では、2018年は「令和元年」。
新しい時代の平和と繁栄を祈る声を耳にすることの多い一年だった。

「文化を育み、自然の美しさをめでることができる平和な日々に心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を国民の皆様と共に切り開いていく」
安倍首相は4月1日、新元号の発表に際してそう語った

NHKの世論調査によると、平成は「戦争がなく平和」と答えた人は全体の72%に及んだという。

わたしたちが「平和」と言う時、そこには誰が含まれていて、誰が含まれていないのか。
「平和」とはそこにあるものなのか、わたしたちが作っていくものなのか。

チュニジアで声を上げ続ける若い世代。
対して、「新時代だから」という理由で「平和」を持ち出す日本の人びと。
その言葉はわたしには、とても空虚なものに聞こえた。


また、「なかったこと」にされてしまった

4月。修士課程に進学した。
当然ながら、周りは研究をするべく大学院に来た人ばかり。
一方、当時のわたしは昨年の挫折からまだ立ち直り切れていなかった。研究が嫌になったわけではなかった。ただ、周りとの温度差に戸惑う日々を送っていた。

そんな時、わたしにとっての第二の故郷であるリビアで、軍事侵攻が始まった。
そしてそれは、「なかったこと」にされていた。

リビアで何が起きているのかのほか、わたしの当時の考えは上記に。


リビアでは今年、武力衝突により市民を含む1,000人以上が犠牲に。
家を追われた人は12万人以上にも及ぶ。

今年、このようなことが起きたことを、いったい何人の日本人が知っているのだろうか。
暴力の恐怖とともに暮らすリビアの人びとに対して、世界で一体何人の人が思いを馳せただろう。


わたしが世界の不正義を明確に感じたのは、2011年2月のこと。
当時のリビアではカダフィによる独裁体制が40年以上通続いていた。これに対して市民による抗議運動が起こり、体制側がこれを弾圧。同国はすぐに内戦状態に陥った。

この時、父親の仕事の関係でリビアに住んでいたわたしは日本へ退避。
帰国後、日本では中東の情勢不安に伴う石油の高騰ばかりが取り上げられていたことにショックを受けた。
そこでは、命を懸けて体制に対して声を上げている人びとの存在が「なかったこと」にされていたからだ。

そして2019年4月、同じことが繰り返されていた。

一方でリビアの人びとは今回も、権利と尊厳を求めて声を上げていた。
写真は、4月にロケット弾が住宅街に着弾、市民が犠牲となったことをうけて、これを行った勢力を非難する集会の様子。
日本のように民主主義の制度がある国ではない。アクションを起こすことには当然、リスクが伴う。

なぜこうした声は聞かれないのか。
声を上げる人びとに対して見て見ぬ振りをすることと、加害をしている勢力に加担することは一体、何が違うのだろうか。
ただただ疑問だった。

わたしにできることとは。
考えることが増えた。


とりあえずやる、後からどうにかする

2018年は勉強に集中し過ぎてしまい、一度行き詰まると人生全てが終わったような気分になっていた。
そこで2019年は「逃げ道」を作ることを意識した。

学業、就活、NGOでのインターン、カフェでのアルバイト、リビア情勢等の日本語での発信など、やりたいと思ったことには全て手を出した。
2年振りにライブ配信も二度ほど行い、夏にはプラスチックごみ問題について考えるための展示の企画にも参加した

チュニジアやリビアのことを前に、自分にできることが僅かでもあるのであれば、それはやらなければならない、という思いもあった。

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プラスチックごみ問題について考えるための展示。東京から沖縄まで、これまで計5箇所に飾らせていただいた。インフォグラフィックを作成したのは友人の美大生。


正直、忙しかったし、大変だった。
どの場所に行っても、当然ながらコミットメントが求められる。
その全てに応えることができず、悩んだことも少なくない。

だが、それでもきっとどうにかなるだろう。
挑戦することで得られることの方がきっと多いだろう。
これがわたしの2019年の選択の軸だった。

結果的にどうにかなったことも、どうにかならなかったこともある。
忙しい時は人にきつく当たってしまったり、他の人にしわ寄せがいってしまったこともある。申し訳なく思っていることも多い。

ただ今年は一つの場所で少しうまくいかなくても、他の場所でがんばろうと思えた。それだけで心に少し余裕が生まれた。
自分に見える世界も、何倍にも広がった。


 「パレスチナの味方になって欲しいわけじゃない、正義を擁護して欲しいんだ」

パレスチナを8月に訪れた際、現地のおじさんが言っていたこと。

イスラエルによる入植や暴力が続く現場とは。
自分の目で見たいという思いで、足を運んだ。

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ヨルダン川西岸地区にある都市ヘブロン。女性たちの奥にいるのは検問を行うイスラエル兵。

パレスチナで事業を展開しているNGOでインターンをしていたこともあり、現地の歴史や情勢についてはある程度知っていた。
だからこそ、実際に現地で目にした光景には憤りも理不尽さも強く感じた。

だが一方で実感したのは、「わたしはすぐ日本に帰ることができる」という事実。

どんなにパレスチナの現状を見ても、現地の人たちの声に耳を傾けようとしても、わたしには「帰ることのできる安全な場所」が保障されている。

帰国後も、現地で出会った友人らと好きな時にSNSを通して交流できる。情勢をニュースを通して詳細に知ることができる。
でもわたしはスマートフォンのスクロールたった一度で、そこで知った痛みも、怒りも、全て「終わったこと」にできてしまう。

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イスラエルとパレスチナの間にそびえ立つ分離壁。国際的に認められた境界よりもパレスチナ側に建設されている。

不正義に置かれた当事者ではないからこそできることがある。
そう信じて、できることをしようと考えてきた。

でも、どうしたら本当の意味で「寄り添う」ことができるのか
わたしと当事者の間には超えることのできない壁があるのではないのか

もやもやした気持ちを抱え、帰路についた。


インターン先で書きました。パレスチナに渡航した時に感じたことなど、詳しくはこちらで。


世界中で人びとが

最後に2019年は、世界中で困難な環境に置かれた人たちが「もう十分だ」と声を上げた年だった。

アルジェリア、スーダン、香港、イラク、レバノン、ベネズエラ、チリ、ボリビアなど、その動きは国境を超えて広がっていった。
成功したものも少なくはないものの、人びとの尊厳を奪うような形で弾圧が行われた場所も多くある。

レバノンでは経済情勢の悪化を背景に、通話アプリへの課税(後に政府は撤回)が引き金となり、大規模な抗議運動が発生。首都ベイルートの中心部には多くの市民が集まった。

そしてその中で、連帯も生まれていった。

リビアで抗議運動を行い、国内の武力衝突が起きている地域に暮らす人びとに対して連帯の意を示す人びと。
「ガザ地区の方が大変だから…」と語るパレスチナ ヨルダン川西岸地区のおじさん。
スーダンに連帯を示すアルジェリアの市民たち。


なぜ、困難な状況に置かれた人ばかりがこうも連帯している世界なのだろう。
何度も、何度も、そう思った一年だった。


希望もあった。

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気候変動に対する具体的な対策を求めて、スウェーデンの高校生、グレタ・トゥーンベリさんが2018年、たった一人で始めた運動。
今年はその動きが日本を含め、世界中へと広がった。

企業による環境への負担を減らすための努力について目にすることも増えた。マイバッグやストロー廃止も「当たり前」になりつつある。
社会の課題について、周りの人と話すためのハードルは毎年、低くなっていると思う。


これらが危機感から来るものであれば、必ずしも楽観視できないのかもしれない。
だがどんな理由であれ、黙っているよりは何かした方がきっと良い
わたしにとって2019年は、そう感じることのできた年だった。


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自分に2019年はどのようなものとして写っていたのか。
そう思って振り返ってみましたが、言葉にすることも、読んだ人に伝わるように書くことも難しいものですね。話も飛び飛びです。
うまくまとめるつもりもなかったのですが、時間を割いてここまで読んでくださったあなたにとって、何か発見や気づきがあれば、それはとても嬉しいことです。

2020年がみなさま、そして世界にとって、少しでも希望を見出せる一年となることを祈りっております。


2020.01.01
Minori.

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