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つらいときに、つらいと言えたら

こんにちは🕊

昨年末に思いつきで、ほぼ自分用に書いた
2018年の振り返りを投稿してみました。

自分のFacebookにもシェアしたのですが、
予想に反してたくさんの人から
いいねや直接声を掛けていただき、
本当にありがたい限りでした。
シェアしてみて良かった、と思いました。

今回は、いただいた声から
わたしがさらに考えてみたことを
書いてみようと思います。

わたしは、ひとりではなかった

たくさんの人から
共感するところがある、という声を
いただきました。

そんなことを悩んでいたの?と
わたしが思うような人たちもいました。
すごく尊敬していて、
わたしの目にはとても輝いているように
見える人たちでした。

きっと、みんなそれぞれ
いろいろ悩んで生きているんだなあ。

内省として書いたはずだったのに、
気づけばそんな学びがありました。
当たり前といえば当たり前なのですがね。

人の痛みって意外と見えない

かくいうわたしも、
自分の考えをあまり他の人に見えるように
出してなかったのかもしれません。

この投稿をしてから、いろいろな人に
そんな風に悩んでるなんて知らなかった
そんなこと考えてるように見えなかった
という言葉をかけていただきました。

2018年はわたしにとって、
自信がどんどん失墜していった年でした。

そのなかで思ったのは、
なんとかして【わたし】のイメージを
維持しなければ
、ということ。

そうでもしないと、周りの人が
【本当の弱いわたし】に
気づいてしまうのではないか。
そして、みんなわたしに失望して、
離れていってしまうんじゃないかなって
考えたりしていました。

でも、そう考えれば考えるほど、
こう見えているだろうな〜と
自分が勝手に築いてきた【わたし】と
【本当の弱いわたし】との乖離が辛くて、
自責と後悔、劣等感だらけの毎日でした。



だから、上のような言葉をいただいた時、
ちょっと、【本当の弱いわたし】を
隠せていたんだ、良かった、って
思ってしまった自分もいました。

一方で、なるほど、
人の痛みが他の人に見えないとは
こういうことか、という風な
妙に客観的な気づきもありました。

みんながわたしみたいに
マウンティングしなきゃと思って
生きているわけではないと思いますが、
(実際上記のわたしの感覚って
どのくらいの人に伝わってるか気になる)
何か自分の悩みに普遍的な何かを
見出せた瞬間でした。

つらいときに、つらいと言えたら

今までだったら、これらを受けて、
みんなもつらいから、わたしもがまんしよう、
と、わたしは思っていました。

でも、いまのわたしは謎にポジティブ。
みんな悩んでるなら、みんなで変えよう、
みたいな発想が出てきました。

きっと、
みんなそれぞれ余裕のない日があって。
でも、それを隠して普通に振る舞うのを
社会のスタンダードにするのではなく、
その時々で余裕のある人が、
余裕のない人のために動く。
そんな社会であれば、もっとみんなが
ピースフルになれるのではないか。

つまり、出発点が
みんな、余裕のない日もある、になる、
ということです。

例えば電車で、健康な人であれば
必要な人に席を譲るのは自然なこと。

でも、健康な人の中にも
どうしてもその日はたまたま忙しくて、
寝たい人もいるかもしれない。

その一方で、
お休みの日だから譲ってもいいよ、
という人もいるかもしれない。

余裕がないのは
あなたの責任ではないことも、
決して少なくはないはず。

それがそれが席を譲る、であっても
仕事を分担する、であっても。
giveできる余力のある時にはgiveし、
そうでないときには力をもらう、でも
十分この社会は循環できる気がする。

そして、そのためには、
見た目では人の内面はわからないって
お互いに思えたらいいし、
つらいときにはつらいって言っても良い
ていう雰囲気が普段から必要。

どんな"わたし"でも、わたし。
どんな"あなた"でも、あなた。
そこに"仕事ができる"とか、
"機転が利く"みたいな条件を
介在させないこと。

友だちやパートナー、家族でも
あるいは大学や会社でも
そういう関係性がいいなあって思いました。

もちろん別に、
ひとりでも大丈夫です、という時にも
すべてを開示することを求める、という
ことを意図しているのではないですが。

つらいという気持ちを
もっと大切にできる社会がいい。


その先に、きっと
余裕のある時に優しさを与えることを
もっとポジティブに意味づけできる
世界が待っているはずだから。

ここまで考えたことって
別にわたしの新発見とかではなくて、
きっとこういう風に思っている人は
少なくないのかな、て推測しています。

でも、自分でそう思ったからこそ、
まずは身の回りで体現したいところ。

自分に余裕のある時はgiveする。
それは見返りを求めるためではなくて
どこかで自分が行き詰まった時には
わたしも同じようにgiveされてきたから。

自分の経験を通して、
また一歩、模索している包摂のかたちへと
近づいた気がしております。

余談ですが、今年は自分自身に
✔なるべく簡素に
✔無駄なことを書かない
というのを課しているのですが、
想いがあると、なかなか難しいですね🙁

とりあえずは読みやすいと言われる
2,000字前後に収めることを目標にします💡

Minori.

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