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パンの歴史

パンの原形ができたのは7000年以上も昔のメソポタミアでのこと。小麦粉を水でこね、焼いただけの「アカル」と呼ばれるものを食べていました。これがパンの始まりとされています。

メソポタミア時代のパン「アカル」

現在のようなふわふわの発酵パンを作るようになったのは、今から500年ほど前のエジプト人と言われています。パンを作るための酵母はエジプトからギリシャに伝わり、ローマに伝わりました。古代ローマにおいて、商業としての製パン店ができたと言われています。

時は過ぎ、1683年。これまで経験則として作られていたパンの発酵はどうやらイースト菌の働きによるものだと分かっていましたが、イースト菌の発酵作用が学術的に解明されたのは、それからおよそ200年もあとのことになります。1861年に微生物研究で最も有名なパストゥールは発酵が微生物の働きによるものであることを発表しました。

微生物学者 パストゥール
ワクチンの開発者でもある。

パンが日本人の間で食べられるようになったのは記録によると幕末の頃と言われています。そして1842年4月12日。伊豆韮山代官の江川太郎左衛門が自宅でパンを作ったのが始まりと言われています。
ちなみに、4月12日はこれにならって「パンの日」です。
その後、幕末の開港により、とあるフランス人が外国人向けにパン屋を開きました。日本の製パン業は居留外国人により発展したと言えます。

江川太郎左衛門

パンが庶民にまで普及したのは大正時代と言われています。1869年、現存するパン屋で最も古い「木村屋」が銀座にパン屋を開業。日本独特の「あんパン」が発売され人気商品になりました。

1900年。日清戦争後の「義和団事件」で日本兵は火を使って飯を炊いていました。その火が敵の目につき攻撃対象とされ多くの日本軍人犠牲者を出しました。8ヵ国連合軍からは「日本軍は近代戦争の基礎を知らない」と嘲笑され、火を使わないで保存性の高い戦闘糧食を求め、パン屋、菓子屋を集めて軍用の大規模なビスケット工場の建設を計画しました。
これがいわゆる「乾パン」の始まりです。

時は少し戻り1889年。日本の学校給食の起源は、山形県の私立忠愛小学校で無料で食事を配ったのがルーツとされています。 当初の給食はおにぎりでしたが、その後欠食児童対策としてパンが一部の学校で配られるようになっていきました。このように軍用の乾パンと相まって大量のパンを供給するために製パンの企業化が進み、製パン技術の向上や機械化が進みました。
現在の日本のパン企業はこのようにして作られて行きました。

まとめ

戦争が日本のパンを生んだ


参考資料:『新版フードコーディネーター教本』
      キムラヤホームページ
     『微生物の狩人』


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