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【エゴイストは誰だったのか】

【映画エゴイストの重要な部分が記述してあります】

【あらすじ】
 浩輔は14歳で母親を亡くし、田舎町でゲイである本当の自分を押し殺して思春期を過ごした。だが東京に出てからはまるでその鬱憤を晴らすかのようにファッション誌の編集者として成功した。東京は田舎町と比べて自分たちと異なることに寛容であり、ゲイである事も隠す必要もなく同じゲイである飲み友達にかこまれながら何不自由なく暮らした。そんな浩輔にひとつの転機が訪れる。パーソナルトレーナーの龍太との出会いだ。
 シングルマザーの龍太は母を養うためにバイトを掛け持ちしているという。早くから母を失った浩輔、お金に不自由することのない浩輔。二人は正反対の生活をしていた。やがてふたりは引かれ合い、相思相愛の仲となる。浩輔は龍太の母親に渡すお土産などを遠慮する龍太に渡し、ふたりの仲も深まっていった。
 ある日、浩輔は龍太から一方的に別れ話を告げられる。何故かと問う浩輔。龍太は経済的な問題のためゲイ専門のウリをしていたことを告白する。そして浩輔と愛し合ううちに他の男と関係を持つことができなくなってしまったのだ。同時にウリは生活費の大きな一部となっているためやめるわけにはいかなかった。
 龍太の告白に浩輔は龍太を月20万円の専属パートナーとして買い取ることを申し出る。母へのお土産ではなく、現金でのやりとりはさすがにハードルが高いのか双方で押し合いながらも、最終的に龍太が折れて金で買われることになった。
 その後も龍太の母、妙子も含め三人で食事をしたり、車を二人で買ったりと、若くして母を亡くした浩輔にとっては充実した日々を過ごしてきた。
 そんな幸せな日々を突然引き裂く出来事が起こる。それは龍太の死であった。突然の龍太の死により喪失感に落ちた浩輔は葬式を境に龍太の母、妙子に経済的に支援したいと申し出て、またしても双方で押し合いながら、今回も最終的に妙子が折れて金銭的な支援を受けることになった。息子を失った妙子と親友を失った浩輔はその後、妙子の家に泊まったり、持たされたおかずなどを食べたりしながらもどこか満たされない日々を送っていた。妙子は龍太の母であり浩輔の母ではなく、浩輔は妙子の子供ではないからだ。
 ある日、浩輔が妙子に会いに行くが返事がない。入院したことをご近所さんから告げられ、病院に急いだ。久しぶりに会えた妙子の頬はやつれ、膵臓癌のステージ4と宣告されていたのだという。
 恋愛対象である龍太を失い、母性愛対象である妙子も失いつつある今、浩輔には妙子を救うことができなかった。そして、残り時間の少ない中、浩輔に同室の患者さんから「息子さんですか?」と訊かれた。妙子はにこやかに「私の息子です」と言った。そして妙子は浩輔の手を握りながらゆっくりと目を閉じた。

【感じたこと】
 田舎の町並みで人から隠れるように生きてきた浩輔は、あるいは若い頃から成熟した人間関係を作るのが困難だったのかもしれない。そう考えると龍太との出会いは浩輔にとって今までになかった新しい感覚であったとも言える。最終的にウリを辞めさせるために浩輔はお金で解決した。そして恋愛対象をつなぎ止めようとした。この構図はその後の妙子とのやりとりで贖罪のためにお金での援助をして母性愛をつなぎ止めた事にも通じる。おそらくはこのやりとりの意味に浩輔自身は気づいていなかったのかもしれない。若くして母を失った浩輔は妙子とのやりとりの中で母性を感じていたのだろう。幼少期から田舎の中で、ゲイとしての自分を秘匿しながら人目を避けて生きてきた浩輔。早くに母を失った事も母性の欠落をもたらし、結果として成熟した人間関係を学べず、様々なことをお金で解決していく。そんな歪な関係性が自身も知らないうちに大きくなっていったのかもしれない。また、浩輔にはそれが普通の行為だと思っていたのかもしれない。お金にはそれだけの力がある事も事実である。
 しかし、妙子の病気に関してはお金では解決は出来ないことを突きつけられ、無力感を感じていただろう。再度「母」を失う浩輔にできることは花を飾るぐらいであった。
 毎日のようにお見舞いに行く浩輔に妙子は浩輔を「私の息子」と言ってくれた。この時初めてお金では買えない無償の愛を受け取った。何でもお金で手に入れてきた浩輔は多くの対象を喪失しながら、浩輔は知らないうちに貧困や恋愛を金で解決していく事に慣れすぎて、本来はお金に換算出来ないものまでお金で買い取ろうとした自分にエゴイスティックなものを感じていたのかもしれない。

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