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縁結びの神

久しぶりの投稿です。

お正月はコロナの影響でサンモール一番町商店街の初売りのご接待や初詣も中止になって、寝正月・・・すっかり怠惰な生活習慣になってしまいました・・・悪い方にはすぐに流される私の生活です。

サンモール一番町商店街の初詣は毎年一月二日、初売りのご接待(商店街の中に初売りのお客様のためにお休み場所を設営して、甘酒やコーヒーのサービス・獅子舞の実演等を行っています)がひと段落した十一時頃に商店街の役員一同で「野中神社」に参拝をしています。

今年は一昨日”ボッチ参拝”をしてきました。

「野中神社」は伊達政宗公が仙台に城下町の町割りを行なった時の縄を祀った場所に建立されたのが起源のサンモール一番町の中にある神社です。昔からサンモール一番町商店街の守り神として商売繁盛の神様として信仰を集めていました。

元来”一番町大通り商店街”(現サンモール一番町商店街の旧称)の道路から直接神社の社まで一直線に伸びる参道があり参拝客も大勢いましたが、戦後仙台市の中心部の道路の拡張などの影響で参道は商店街のわき道を経由する変則的な形なってしまいました。

横丁への入り口(かろうじて鳥居が神社の存在を示しています)・下の写真は横丁から参道への入り口

野中神社横丁

野中神社参道入り口

そのせいもあって「野中神社」の存在は一般の方にはほとんど忘れ去られ、私がサンモール一番町商店街の理事長を引き受けた時には参拝者は数える程度の状態で1年間のお賽銭は1万円にも満たないという状況でした。

(注)*一番町大通り商店街・・・戦前には仙台市中心部商店街でも最もにぎわっていた商店街で、一番町に三つある商店街にあって最も南側に位置する商店街で商店街の南側に位置する南町通りから藤崎百貨店までの間が一番町の中でも道幅が広かったことから”大通り”という名前が付けられた商店街で、それより北側にあった二つの商店街は馬車が一台通れる程度の道幅しかなかったそうです。

私がサンモール一番町商店街の理事長をお引き受けすることになって取り組んだ事業の一つがこの「野中神社」の再生でした。

それまでにも毎年7月には一番町三社祭(野中神社・えびす神社・和霊神社の三社でいずれもそれぞれの一番町商店街に鎮座しています)が開催されており神輿の渡御や雀踊りなどの行列がしたてられて賑やかに開催をしています。

(20年ほど前の三社祭りの様子)

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私も青年部時代には以前にもお話しした川島さんや鈴木さん達とお神輿を担いだわけですが(もともと私はお神輿好きで仙台で初めて結成された神輿の会・酔狂会の初代会員でもありました、ジャスコ勤務時代には三社祭のきっかけにもなった和霊神社の神輿渡御を最初に企画して実行した経緯もあります)。ある年の青年部の会議の時に、誰の発案かは定かではないのですが、町割りの縄にちなんで縁結びの神様として打ち出そうという事になりました。

(粋狂会のメンバー・・・今は殆どのメンバーが高齢者?)

野中神社酔狂会2

(青年部時代・神輿を担いでいる私)

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その年の三社祭では青年部は全員で法被の肩に数センチに切った縄を赤い糸で取り付けて神輿を担いで縁結びをアピールしたことを覚えています。

その時、あのまじめな川島さんが「伊勢さん、赤い糸は縁結びだけれど青い糸は不倫の縁結びだといいね・・・」といったことが今でも信じられません。・・・ホントにあのまじめな川島さんが・・・(笑)

そんなこともあり、私が理事長に就任して取り組んだことの一つがこの「野中神社」を縁結びの神社として、サンモール一番町商店街の集客手段の一つとして活用するために神社の整備に取り組みました。

私がこの考えを商店街の理事会の場で発案した時には賛否相半ばする状況でした。サンモール一番町商店街から直接社に行く参道もなく一般の方にはサンモール一番町商店街の神社という事がとても分かりにくい、そのうえ横丁からも直接社へ行く参道ではなく変則的な参道になっており「野中神社」のある場所さえも分かりにくい、さらには社の前には近未来の映画にあるような錆びた鉄骨がむき出しのタワー式の駐車場ビルが建っていて昼間でもちょっと不気味な雰囲気の場所でした。

その様な状況でしたので、神社の整備にお金をかけても無駄ではないかという意見もありました。そんな中でも佐藤副理事長や川島さん、鈴木さんの青年部時代からの仲間の後押しもあり野中神社の整備に取り組みました。

宮城大学の本江教授のご協力もいただきボランティアの学生の力を借りて参道の整備やモニュメントの設置、社の周りの整備などほとんど材料代だけで整備が出来ました。・・・今はその後に婦人部が主導して参道に絵馬掛けも設置しています。

野中神社絵馬掛け

あとはできるだけマスコミや情報誌を利用して「野中神社」をアピールすること、その一環として「野中神社」での結婚式を挙行しました。衣装や着付けはすべて私の友人の紀生美容室の守末さんに無料で提供していただきました。

商店街のアーケードの下でその披露宴も開催しました。料理はすべて商店街の組合員の料理店から持ち寄って揃えました。計画段階では警察からは認めてもらえなかったのですが・・・後で私の名前で警察に始末書を提出する羽目になりました。・・・すみません・・・

野中神社結婚式

そんな効果もあったのか整備をした初年度には「野中神社」100万円を超すお賽銭が集まりました。

そして何よりも嬉しいのは、参拝された方からのお礼のお手紙です。

「お陰様で、娘に良縁に恵まれました!」その様な主旨のお手紙が賽銭箱に入っていたり、郵便で届いたり毎年何通かいただきます。さすがに政宗公にゆかりのある縄を祀った神社です、そのご利益は確かなもののようです。

最近は観光ガイドなどにも紹介されるようになり、すっかり縁結びの神社としてサンモール一番町商店街に定着してきました。

(節分の豆まき風景)

野中神社節分

今は、神社の管理や運営はサンモール一番町商店街の婦人部の方々が担っています。この記事を書いている今しがた、その婦人部の方から電話をいただきました。毎月十一日が「野中神社」の縁日なのですが昨日(一月十一日)は沢山の方に参拝をいただき神社に詰めていた婦人部の方たちも大忙しだったこと、沢山の方に参拝に来ていただき本当に嬉しかったことそして常夜灯や参拝に来た方たちのご接待のために新しい電気ポット?が欲しいという内容でした。・・・いやぁ~不思議なタイミングでした。

「野中神社」の境内の片隅には戦争で空襲にあった当時の参道にあった石作りの垣根や35年まえに新しく社を建立した時の石碑があります。

野中神社垣根

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石碑の裏には当時の商店街(当時は一番町大通り商店街)の組合員の名前が刻んであります。・・・弊社の名前もあります・・・その数98社・・・そのうち今もサンモール一番町商店街に残っているのは13社です。やはり商売は厳しいものですね。

ところで先日私の30年来の友人岩松君がお参りに来ました。

彼は私とは同じ中学校卒業で同い年、今年72才独身です。あの有名な作並温泉の老舗旅館鷹泉閣・岩松旅館の社長、私の大親友の一人です。何とか岩松旅館の女将さんをと・・・お参りに来たそうです。

野中神社岩松

野中神社岩松2

良縁があればいいですね・・・まあ無理かな・・・(笑)








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