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HIMAC(ハイマック)

前回は見た目の大事さについてお話をさせていただきました。

最後の文章を書きながら、ふと思い出した出来事がありました。

そういえば、日立家電にいたころきれいな女性の前で恥ずかしい思いをしたことがあったなぁ~と・・・

私は、宮城県の工業高校の電気科を卒業して、静岡の三島市にある工場に就職をしました。(ここでは寮生活、人には言えないような悪行を先輩に沢山仕込まれました)

その後仙台に帰ってきて学校に挨拶に行った時に(律儀な面もある)、学年主任の先生に丁度今中間採用の募集があるからと、後の宮城日立家電(三和家電)を紹介されました。

そのまま入社試験を受け宮城日立家電(三和家電)に入社しました。

*残念ながらその後、宮城日立家電は日立家電の廃止に伴い無くなります。

*トップの写真はその当時の社員旅行の時のものです。当時はどの会社でも毎年1回は社員旅行を全社員参加で開催したものでした。

宮城日立家電では主にルートセールスを担当しました。

入社3年目ぐらいの時だと思います。HIMAC(ハイマック)という新しい部署が出来ました。全国の日立家電にできたものかどうかは今となっては分かりませんが、少なくとも東北6県の日立家電には新設されたように記憶しています。

HIMACは日立マネージメントアドバイスセンターの頭文字をとって名付けられたものでした。

業務は小売店舗(電器店)のアドバイス件補助を受け持ち、販売指導を受け持つ販推センター、経理業務の代行や経営指導の経理センター、電器商品の据え付け工事補助の据え付けセンターの3つの部署の分かれていました。

(実はこのとき、妻は宮城日立家電に入社してきて、HIMACに配属になったのでした・・・その辺の出会いの話はまた機会があったらお話しします。)

*その当時の課内旅行の時のスナップ写真です。(私と妻が写っています)

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私はそのHIMACの販推センターに配属になりました。

HIMAC発足からの半年間は毎月1回、東北6県の日立家電から集まったHIMAC販推センターの担当者十数人の、泊まり込みでの研修が(確か3泊~4泊)実施されました。

朝は5時起床でまずはマラソンランニング、午前中は発声練習やロールプレイング、午後は実際に地区の小売店舗の近隣地域での訪問販売、夜はその日の反省とケーススタディといった内容です。

私は朝のランニングだけはいつもトップ(当時サッカーをしていたので足には自信がありました)、でも午後の訪問販売は全くダメ、いつも空振りでした。

半年間、毎月1回、東北の各都市が研修の場所になりました。確か仙台、郡山、盛岡、酒田、福島だったように記憶しています。

訪問販売では、当時日立家電が売り出していた。ドリームプランという月額1000円からの積立制度の申し込みを2件以上獲得するのがノルマでした。

殆どの人が何とかノルマをこなしている中で私は殆どゼロ、盛岡で実施した時には「ノルマを達成できなかったらホテルに帰ってくるな!」と言われ、夜にっても1件も獲得できずに、橋の上でお腹を空かしていたら、皆が心配して迎えに来てくれたこともありました。・・・誰かが、私が橋の上から川を眺めていた姿を見て自殺するかもしれないと思ったそうです。(笑)

当時のコンサルタントの先生は、日本コンサルタントの火ノ口先生というお方でした。その情熱の凄さから私たち受講生は火の玉先生と呼んでました。

あれから50年近く、もうお亡くなりになったとは思いますが、今となっては懐かしい思い出です。

前段が長くなりました、そうそう綺麗な女性のお話でした。

確か、酒田での研修の時でした。その日は朝から強い雨が降っていました。

旅館から、古い傘をお借りして、例によって午後からの訪問販売、ある家を訪ねた時の事です。

「ごめん下さい、○○電気からアンケートの調査に参りました!」と玄関を開け、声をかけました。「ハーイ」と声がして家の中から若い女性の方が出てきました。・・・とても綺麗な女性でした。

今思えばその方のお顔をあまり良くは見てはいないのですが、当時23歳~24歳の私には胸がどきどきする感じでした。

丁度その時です。雨でずぶ濡れの私の持っていた傘の柄が取れて玄関のたたきにカランカランと転がり落ちたのです。、持っていた傘がさびた鉄の芯の部分がむき出しになり、それを見ていた女性が、なんか哀れそうな顔をされました。

私は恥ずかしくてアンケートも早々にその家を退去しました。

実はこのお話には伏線があるのです。

何故、恥ずかしくなったか・・・傘の柄が落ちたからというのは単なる引き金です。

訪問販売というのは大変な精神力が必要です。

決して悪いことをしている訳ではないのですが、アパートでは隣の住人の方が気づいて訪問の直前に鍵をかけられたり、押し売りを警戒されたり、あからさまに嫌な顔をされたり、相手にもされなかったり、相手の方から見れば当然の事なのかもしれませんが、訪問する側から見ればかなりの精神力が必要です。

その思いがあったから、私はその場から逃げ出したのだと思います。

そのような思いを考えれば、お店に来ていただけるお客様には本当にありがたいと感謝をしなければなりません。

「ありがとうございます」と心の底から感謝の気持ちが今でも湧き上がってきます。

文継塾ではそのような体験談も交えてお話をさせてもらっています。

そういえば、先月には当時のサッカー仲間たちとゴルフを楽しみました。

このようないい加減な私と、50年も付き合ってくれている仲間にも心から・・・「ありがとうございます」

*下の写真は当時のサッカー仲間との写真です。

日立サッカー部2



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