サンモール一番丁商店街青年部
前回までは開業までのお話や、開業当時のお話をさせていただきました。
今回は、開業して間もなく出会ったサンモール一番丁商店街の青年部の人たちのお話をさせていただきます。
青年部といっても30年以上前のお話し、今はもう皆さん好々爺(そうじゃない人もいますが)今の話題はもっぱら人間ドックや年金の話題で盛り上がっています。
私が仙台市の中心商店街の一つサンモール一番町の一角に初めてのリブルマルシェを出店して2週間ほどたったある日、当時のヤナギ屋靴店の佐藤社長が私のお店に顔を出して「今度商店街の若い者たちの集まりに顔を出してみて、待ってるから・・」と私を青年部の会合に誘ってくれました。
お店を開店してまだ2週間足らず、売り上げもまだ落ち込む前の事でした。
誘われるままに2~3日後の青年部の会合に顔を出しました。その時には今は懐かしい面々が・・・ブティック伊藤の伊藤さん、太陽堂楽器店の鈴木さん、プランタン洋菓子店の古村さん、アトデプランニングの近藤さん、光原社の川島さん、丸善さんや伊勢屋さん山形しあわせ銀行さんetc・・・当時は青年部も活発に活動をしていて、商店街の催し物も毎月何回か催しており、飲み会や視察旅行と銘打った国内旅行も毎年実施していました。
写真はその当時に行った北海度旅行の時、道路の真ん中で撮った1枚です。
その後、売り上げが落ち込んで出張販売をしている時期でも、青年部の仲間といろいろな催事の打ち合わせや実行していくとき、旅行の計画、商店街やそれぞれのお店の状況を語り合っている時などは夢中になって議論を交わしたことを覚えています。
その後、私はサンモール商店街青年部の部長を経て商店街組合の理事、専務理事そして理事長・一番丁連合会会長を務めることになるのですが、このとき培った経験や絆がその後の商店街活動の際には大いに役に立ちました。
*トップでも使用したこちらの写真は私が理事長時代に始めた野中神社での節分豆まきの時のスナップ写真です。(それまでは商店街のアーケードの中で実施していました)
この豆まきを野中神社で開催するにあたり、当時の役員さんには、狭い野中神社の境内での開催は事故につながる恐れが高いと、反対する方も多かったのです。そんな時に同じ釜の飯を食った青年部の仲間、特に当時副理事長だった佐藤さん、専務理事の川島さんが先ずはやってみようと積極的に支持してくれましたし、実行するにあたりその計画や、開催当日もその役割を積極的のこなしてくれました。
当時の仲間の協力もあり、野中神社での豆まきは大盛況、現在も野中神社境内での豆まきは続いています。
その後野中神社の縁結び神社としての再興、アーケード維持費の捻出のための広告物掲示の行政との折衝、初売り問題などいろいろなことに取り組みましたがすべて青年部活動を通して経験し、問題意識をもてたことが基礎となっていました。
*野中神社や初売り問題などはまた機会があったらお話をします。
すでに10年以上前にサンモール商店街からリブルマルシェのお店を撤退しましたが、今でも商店街の役員として商店街活動に参加しているのは”商店街を活発にしたいという”その時の強い思いと仲間意識があるからなのです。
その仲間ももうみんな齢を重ねそれぞれ商店街を離れていった方やご逝去された方もいます。でも太陽堂楽器の鈴木さん、光原社の川島さんとは今も仲良くお付き合いをさせてもらっています。
でも3人で話すことは、健康診断などお互いの身体のことぐらいになっています。(笑・・あの時の情熱は何処へやら・・) お互いに若い時だからこそ真剣に取り組む事が出来たのだと思います。
歳は取りたくないものです・・・でも本当に楽しい青年部活動でした。
次の写真は当時の広島の商業施設視察の時の鈴木さん、川島さんとのショットです。・・・若いなぁ~
最後に昨年のお祭りの3人での写真です。(左端が川島さん、右端が鈴木さん)・・・歳だなぁ~