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かくて救世への道を往く(3)
気がつけば死にかけて
渋谷区恵比寿。ガーデンプレイスの北外れ。
コーヒーショップ・シムノンは主道に面した場所にあった。小さなビルの一階を占有した三十坪ほどの店内はアール・デコ調の洒落た内装が施され、L字状の大きなサービスカウンターに添って十脚ほどのテーブルが並んでいる。
ここへ最初に着いたのは久瀬だった。
席代のつもりで注文した飲みたくもないアイスカフェオレを受け取って、空いている席を探す。
(こんな時間にずいぶん込んでるな……空いてるのは窓際の席だけか)
四人席なので問題はないはずだ。幾何学模様の枠が填められた大きな窓から外を眺めつつ、久瀬は椅子の一つに腰を下ろす。
(しかし、ここは客層がえらく偏ってるな)
やたらと外国人らしい顔が多いのだが、久瀬はあまり恵比寿方面へ足を運んだことがない。この店はいつもこんなものなのだろうと漠然と思うだけだ。
「……ん? あれは……」
約束した時間の十分前。ずいぶんと小柄な少女が店に入ってきた。長袖のTシャツに半袖のパーカー、ハーフパンツ姿。髪型はショートカット。少女期特有の極端に細い手足と、ピンで留めた長い前髪がなければ男の子と見違えそうだ。その彼女はきょろきょろと誰かを捜すように店内を見渡している。
向こうは久瀬の顔を知らないが、久瀬は彼女の顔を知っている。大地瑤子である。
「あ、君。こっち。こっちだ」
久瀬は瑤子に声をかけ、手招きする。彼女はトタトタとスニーカーの靴底を鳴らしつつ駆け寄って、
「えっと、内調の新人さんって……」
「ああ、俺だよ」
「あ、電話と同じ声。初めまして、大地瑤子です」
ぺこり、と頭を下げる。その所作に中学生らしい生真面目さが伺えて、久瀬は彼女に対する悪い印象をいくらか拭うことができた。
「あの、ひなたセンパイは。綾さんもまだですか?」
「君が最初だよ。とりあえず座って」
「でも、知らない男の人と二人きりは、ちょっと」
「いや、そんなこと言われてもな……」
「もしかして、あたしだけ呼び出したんですか」
「……何でそうなる」
「すみません。あたし、男の人はよくわからなくて」
そういう年頃だろうしな、とは思うのだが、久瀬はどうも釈然としない。
瑤子は結局、席につかないまま久瀬と距離を置いてひたすら立ち続けた。
(居心地悪いな、おい……)
幸い、それから数分と経たずに。
「あっ。綾さーん、こっち、こっちです」
瑤子が気付いてすぐ、店内に昭月綾が入ってくる。黒のタートルネックにジャケット、細身のズボン、ショートブーツという格好だ。長く伸ばした黒髪は大きなヘアクリップでまとめてある。マニッシュルックのお手本のような着こなしで、下手なモデルなど裸足で逃げ出す格好良さだ。
こちらは瑤子の時と違って、
「どうも、初めまして」
といって軽く会釈をし、さっさと席に座ってしまう。失礼な女だと憤慨しても良かったのだが、久瀬は綾の優美な物腰に目を奪われてしまっていた。
(スタイルが日本人離れしてるな……ハーフか? はは、彼女にでもできれば鼻高々だろうな、これは)
男の性だ。ついつい、そんなことを考える。
すると。
「ごめんなさい、もう先約がいるのよ」
綾が呟く。久瀬の目を見て。
「……は?」
心を見透かすような一言に驚くが、綾は黙って微笑むのみ。どうにも居心地が悪くなって、久瀬は半ば無意識に手元のカフェオレを取り上げる。
「待って」
綾の細い手が、久瀬の手に重なる。
「飲まない方がいいわ、それ。私が預かるわ」
カフェオレが綾の手元へ移る。
「何なら、人数分の飲み物を買ってくるが……」
綾は何も答えない。取り上げたカフェオレに口をつける気配もなかった。
「あの、綾さん、ひなたセンパイと一緒じゃなかったんですか? 今日も車ですよね?」
綾の隣の席に腰を下ろしながら、瑤子が言う。
「私はみつきの保護者ではないのよ? 駐車する位置を見極める時間も欲しかったし」
「位置を見極める、ですか?」
「ええ、おいおい話すわ。……そう言えば、瑤子は大丈夫? 寮の門限とか」
「はい、いつも通りルームメートに頼んでおきました」
「あらあら、手回しがいいのね」
「だって、内調の人の呼び出しなんて、今夜が初めてって訳じゃないですし」
そうした短い会話の中でも、歳が離れたこの二人はかなり親しいのだろうと久瀬にも察しがついた。
そして、刻限の午後九時ジャスト。
「……来たわね、みつきも」
店の出入り口に背を向けたまま、綾が言う。が、久瀬が見る限りそれらしい娘は入ってきていない。
それからたっぷり三十秒は経って、
「あれ、私が最後? 一応遅れてないよね?」
日向みつきが入ってくる。
髪型は長めのボブ。縁なしの眼鏡をかけている。服装はフェミニンなレイヤードスタイルで、カットソーのVネックから黒のインナーを見せ、ボレロのカーディガンを羽織り、スパッツとスカートを重ねて穿いていた。足元はパンプス。ミニショルダーバッグを肩に提げている。
愛嬌のありそうな可愛い子だ、と久瀬は思う。没個性と感じた特務分室の書類の写真を思い返すが、あれはよほど写り方が悪かったのだろう。
「ギリでごめん、服選んでたら時間なくなっちゃって飛んできた」
みつきの言い訳に、綾が苦笑する。
「内調の呼び出しに着ていく服で悩まなくても……。最低限、見苦しくない程度でいいでしょうに」
「いいの、私の趣味なんだからほっといてよ……って言うか、この男の人、どこの誰? なに綾、あんたまたナンパでもされてたの?」
その物言いに、少なからず久瀬はカチンと来る。先の好印象も一瞬で台無しだった。
「誰がだ、誰が。そんな軽薄に見えるのか、全く」
久瀬はポケットから身分証を取り出し、提示する。
「特定業務総括班の久瀬隆平だ。君は寝ぼけていて気付かなかったんだろうが」
「へっ? あれっ、山形さんじゃないの?」
これに「部下の新人さんだそうよ」と綾が答える。
「あ、なるほど。そうなんだ。……変なこと言っちゃってごめんなさい。日向です」
みつきは丁寧に謝って頭を下げる。物言いに裏表がないだけなのだと悟って、久瀬の気も収まった。
ただ、みつきははなかなか席に着こうとしない。
「日向さん、君も座ってくれないかな」
情報官から借りてきたボイスレコーダーを取り出し、久瀬が促す。これにみつきは小首を傾げた。
「あれ、どっか別の場所に移動しないんですか?」
「しないよ、ここで話は済むだろう」
「でも、山形のおじさ……山形参事官とは、必ず赤坂の料亭とかで」
久瀬は思わず目を丸くする。
「いやその、別に、どうせお小言聞くなら美味しい料理くらい食べたいなぁとかじゃなくて……ほら、一部の料亭って政府と契約してて……官房機密費? そういう予算を使って盗聴対策とか万全にやってるから、どんな危ない話をしても大丈夫なんでしょ?」
戸惑い始めた久瀬には構いもせずに、
「みつき、瑤子。落ち着いて聞いてちょうだい」
綾が、眉一つ動かさずに言う。
「この人、私たちのことをほとんど何も知らないみたいなのよ。山形参事官の指示も勝手にねじ曲げて、先刻の電話も自分の携帯からかけていて」
これに、みつきの顔色が青ざめる。
「ちょ、ちょっと綾、それ……」
「この日本は曲がりなりにも先進国ですからね。中央官庁は恒常的に世界中の情報機関からマークされているし、携帯電話の通話も傍受されている。官僚たちが家族や知人と交わす世間話の中に、どれほど価値のある情報が潜んでいるかわからないものね。……私も霞ヶ関の方へ本格的にESPを振り向けるまで気がつかなかったの。私たちがこの新人さんと話したことは、世界中に向けて大声で怒鳴り散らしたようなものなのよ」
これを呆然と聞いていた瑤子の顔が、徐々に怒りで紅潮していく。と、やおら久瀬を睨み付けつつテーブルを強く叩いて立ち上がり、
「なんて事を……! 軽率にも程がありますっ!!」
怒鳴りつけた。久瀬はその剣幕に圧されて、叱られた子供のように思わず肩をすくめる。
「綾さんも綾さんですよ、どうしてもっと早く言ってくれなかったんですか?!」
「私のところへ電話が来た時点で、もう手遅れだったの。いろんな意味でね」
溜め息を吐きつつ、綾は前髪を掻き上げる。
「松永さんの起こした一連の事件がサイコキネシスによるものだというのは、ニュースの映像を検証すれば判別できるはずよ。世界中の情報機関が事後処理を注目していたに違いないわ。そこで私たちとの会話やSSS級の機密扱いになる電話番号まで漏洩した……。日本政府にはこの手の有事に関わる能力も資格もないということになるし、これ以上の情報漏洩を防ぐ必要も出てくるわね。その場合、取るべき選択肢はそう多くない」
話を受けた瑤子、絶句。
「これは推理じゃないわ。何らかの薬物入りらしいこのカフェオレと、店の周囲をとりまく殺意がいい証拠。我関せずで放置することも考えたのだけれど、それで人一人死んだとなると寝覚めが悪いもの。それはみつきや瑤子も同じでしょう?」
彼女らが何の話をしているのか、久瀬にはさっぱり理解が追いつかない。
「お、おい、すまないが、どういう……っ?!」
話に割って入ろうとしたが、その久瀬の胸ぐらをみつきがいきなり掴んできた。
「連絡先っ! 教えて、早く!!」
「……は?」
「山形のおじさんの連絡先! あの人ならすぐに何とかしてくれるから!」
「何とか、って……? あのハゲオヤジが?」
思わず言うと、みつきは一気に泣きそうになる。落胆、あるいは絶望か。
これに、綾がまた溜め息を吐いて。
「無駄よ、みつき。山形さんは今、手も足も出せないほど遠くにいるの。ひどく暑くて、乾燥していて……中東かしら。きっと、クウェートかその辺り」
「中東? クウェート? なんでよ?」
みつきが言うのに、綾は苦笑する。
「相変わらずみつきはニュースを見ないのね。最近の中東って何かと大変なのよ。それで山形さんが……仕事の出来る人だから駆り出されたのね。この三年で私たちも普段の生活に慣れてきたし、特務分室も暇だったでしょうから。断り切れなかったのね」
今度は久瀬が顔色を変える番だった。頭から疑っていた山形参事官のクウェート滞在が、こんな娘たちの口から出てくるとは想像を絶していた。窓際に座っていた他の客が一斉に席を立ち、駆け足で店を出ていったことに気付く余裕もない。
「ど、どこでそんな話を……? 君らは一体」
「あなたとの話は後」
ぴしゃりと綾が言う。
「殺意が先鋭化した。命令が下りたのね。来るわよ。みつき、瑤子、気をつけて」
言われて、みつきは久瀬の胸ぐらから手を放す。
「ああもう……!!」
ショルダーバッグを放り投げ、仁王立ちになり、唇を噛みしめる。
と、みつきの周囲に奇妙な風が舞った。
「お、おい……」
戸惑うのを通り越して慌て始めた久瀬のすぐ側で、瑤子がポケットから大きめのハンカチを取り出し、素早く手に巻き付けていく。
「頭を低くして、じっとしていて下さい! 綾さんの側なら絶対に大丈夫ですから!!」
何が何だか、久瀬にはさっぱりわからない。
だが、嫌でも思い知る。
「? クラクションが……」
店の外、道路の方がやけに騒がしい。微かにだが、車が近付いてくるような気配がする。
「……窓から下がって」
綾が席を蹴るように立ち上がり、久瀬の首根っこを掴んで無理矢理位置を変えさせる。
「こ、こら! 何するんだ、止め……おいっ!」
床に這いつくばる格好になりつつ、久瀬は綾の手を振り払った。勢い、自分が元居た場所を振り返る。
まさに、その瞬間だった。
外の道路から店の中へ、誰も乗っていない大型トラックが一直線に突っ込んできた。歩道のガードレールを薙ぎ倒し歩道を飛び越え、店壁面とガラス窓を突き破る。それでもまだ勢いは止まらない。天井の照明がいくつもショートして火花が散り、久瀬がつい先まで座っていた椅子やテーブルが跳ね飛ばされて、粉々になりながら吹き飛んでいく。
「あ……」
久瀬は絶叫する間すらなかった。ただその場に硬直し、進行方向にあるもの全てを破壊しつつ猛然と襲いかかってくる鉄の塊を見つめ続けた。
が、久瀬とトラックの間へ、みつきが割り込む。
それだけで、無数の凶悪な刃となって降り注いできていたガラスの破片や照明の火花が一つ残らず脇の方へと弾き飛ばされた。
「んにゃろっ!!」
ガラスの破片を退けたフィールドの中、みつきは広げた両手を前方へバッと突き出した。刹那、凄まじい衝突音と共にトラックの前面がひしゃげて何もない場所で唐突に動きを止める。まるで、突き出した両手のすぐ先に見えない壁があるかのように。
「こ、このトラック、なんでまだ動いて……っ」
エンジンが唸りを上げ、タイヤが空転し続けていたが、みつきのサイコキネシスを突破するほどの力はない。ほんの数メートルほど店の中に鼻先を突っ込んだだけで済んだ。
「……え、っ……? あぁ……」
何がなんだかわからないが、とにかく助かった。久瀬は安堵し、肩から力を抜く。
が、まだ終わっていない。
この店内には、みつき、綾、瑤子、久瀬の他にも人が残っていた。仮にみつきがトラックを押し止めるのに失敗したとしても、全く影響はなかったであろう連中。店の最も奥に座っていた客と、カウンターの向こうにいる店員。それら合わせて十名弱が、トラックが停止したのを見るや一斉に動き始めた。どこから取り出したのか、その手に拳銃を持って。
「な、なななっ、何だっ……?!」
慌てふためく久瀬を確実に射殺すべく、連中は一定の距離まで近付こうと駆け寄る。
しかしそれより早く、瑤子が銃を持った連中に飛びかかる。疾風のようにと表現する他ない凄まじい速さであっという間に距離を詰め、懐へ飛び込む。
「……たあっ!!」
気合い声と共に、瑤子はハンカチを巻いた拳を繰り出す。腹部に一撃。たったそれだけで相手は白目を剥いて気絶し、あっけなく倒れ込んだ。
「よいしょっ! このっ……たあっ! はっ、もひとつ……えいっ!!」
身を翻して次の者に蹴りを放ち、その勢いを保ったまま横の者に肘を突き出し、倒れ始めた者の襟元を掴んで背負い投げで投げ飛ばし、これに怯んだ別の者へ手刀を叩き込む。皆、瑤子の攻撃を受けると確実に気を失っていく。ただの一つも例外はない。
「な、ん、なんだ……あの子……」
久瀬の目には、ワイヤーアクションやCGを駆使した娯楽映画の格闘シーンにしか見えなかった。
しかし、いくら瑤子が神速で動き続けて一撃の下に相手を叩きのめしても、多勢に無勢だ。二人ほどが久瀬との距離を詰め、銃を構える。
「う、うわっ……」
自分に向けられた銃口に気付いて、久瀬が身構える。避けようとして。が、間に合う訳がない。
ここで、いきなり。
「ごめんなさいね」
すぐ隣、自然体で立ち尽くしていた綾が一言謝って、久瀬の頭を蹴飛ばした。
「はうっ」
久瀬の頭が、かくんと横に倒れる。
その頭のすぐ脇、一センチも空いていない空間を、発射された銃弾の一発が通り過ぎた。
これには久瀬も肝を潰した。綾にとってはESPを用いて予測した上での余裕を持った行動だったのだが、そんなことは彼に理解できるはずもない。
「う、あ……うあああっ、あああっ……!!」
頭を蹴られた痛みを、撃たれた痛みと勘違いした。久瀬はここで初めて、自分は命を狙われていると思い至る。今すぐ逃げ出さねばと必死になるが、恐怖に憑かれた身体はまともに動いてくれない。バタバタと手足を動かしているだけだ。
「新人さん。落ち着いて。みっともないわよ」
素っ気なく、綾が言う。
そう言った綾の隣へ、いつの間にか瑤子が立っていた。直後、銃を構えていた二人が同時にその場へ倒れ伏す。EXを使ったのだろう。
「しつっこいなぁ、こいつ。自動運転だか何だか知らないけど……」
呟いたみつきがトラックの後部付近へ見当をつけてサイコキネシスを送る。狙いは的確だったようで、駆動輪が歪んでフレームに干渉、負荷に耐えきれずシャフトが破損した。けたたましい金属音が鳴り響き、唸り続けていたエンジンも止まる。
ようやくコーヒーショップの店内は静かになった。
店の外では通行人らが騒ぎ始めたようだが、幸いにも店の前面を全てトラックが覆い隠してくれていたから、中で何が起きたのかは誰にも知られていない。
「ねえ綾、まだ何か続けて来る?」
振り返って問いかけたみつきに、綾が答えて。
「敵意は残っていないし、監視の気配もかなり遠い。この襲撃自体はあくまで小手調べでしょうね。しばらくは静かなはずよ」
それで、三人の娘たちはいつもの顔に戻る。
ただ一人、腰を抜かして床に座り込む久瀬だけは、ますます表情を強張らせていた。
「う、あ……ああっ……」
撃たれたと思い込んでいる側頭部を掌で押さえ、離し、眼前へ。一滴たりとも血はついていない。けれど信じられない。再び頭を探る、見る。探る、見る。ありもしない傷を探し続ける。
これにみつきが気付いて、久瀬に近寄る。前屈みに顔を覗き込みつつ、話しかける。
「えと、大丈夫、ですか?」
久瀬がはっとなって、みつきの方を向く。
「う、うた、撃たれ……今、ここ……」
「何にもなってませんよ?」
「? そ、う……なのか」
「他に怪我してませんか? 立てます?」
「あ、ああ……大丈夫、立てるよ……」
ゆっくり立ち上がると、みつきは久瀬の背広についた埃をぽんぽんと掌で払い落とす。
「あ、有り難う、悪いな……」
「いーえ、さっき思わず胸ぐら掴んじゃった負い目もあるし。よく考えたらずっと年上の人なのに……あ、ネクタイ、ひん曲がっちゃってますよ」
「ほ、本当だな……。直すよ、直せるさ……」
しかし、手が満足に動かない。力の加減が出来ない。前以上にネクタイが歪んでしまう。
「パニクって当然かぁ、こんなの初めてだろうし……。大丈夫、安心してください。こう見えても私たちって凄いんですよ。絶対守ってあげるから」
久瀬を思いやって、みつきは精一杯の笑顔で話しかけ、ついでにネクタイも直してやる。いつものお節介だが、今の久瀬には貴重な優しさだった。ようやく気が落ち着いてくる。
「綾、これってどこの差し金? わかる?」
「そうね、CIAかSIS、あるいはその系列……」
「はっきりしないんですか? ESPを使っても?」
と、自分たちを襲ってきた連中から拳銃を取り上げつつ、簡単な身体検査をしていた瑤子が訊いた。連中は第二、第三の展開も予想していたようで、ナイフや催涙弾らしきものまで出てくる有様だった。
「この連中、最低限のことしか命令されていない末端の工作員なのよ。共通項は母国語が英語らしいってことくらい。向こうも無能ではないし、簡単に身元が割れる手がかりは残さないでしょうね。瑤子が今取り上げている拳銃だって、ちょっとした工作機器を使えば誰でも作れる粗悪品だもの」
「確かに、ブリキのおもちゃみたいです」
瑤子が取り上げた拳銃のひとつを見て言う。これら武器類は一つ残らずみつきが手で握り潰すか、あるいは粘土細工のようにねじ切って、原型を留めないほど破壊してから店のゴミ箱に放り込んだ。
「とにかくここから移動しましょう。裏口を抜けて私の車へ……いえ、待って。妙な気配が近付いてきたわ。待ち伏せするつもりかしら。感触からしてまた別の組織か機関のようだけれど」
「じゃあ、上から逃げない? 屋上から、とか」
そう提案したのはみつきである。
「いいけど、この店の中から直に上へ行ける階段なんてないわよ?」
「ちょっとだけ天井ブチ抜いちゃ駄目?」
「……非常時だし、仕方ないわね。ただ、穴を開けるのはそこの隅にして」
「ほいほ~い。そんじゃま……せえのっ!」
みつきは天井に向かって、勢いよく拳を突き上げた。その動きに合わせて収束したサイコキネシスが破砕波となって疾り、天井を直撃する。
「うわっ……」
久瀬一人だけが驚いて肩をすくめる中、破砕波は派手な爆発音と共に天井の化粧板を吹き飛ばし、人が通り抜けられる程度の丁度いい大きさの穴を穿った。コンクリートも鉄骨も避けられていて、建築物としてのこのビルそのものには一切ダメージを負わせていない。
「瑤子、先行して」
「はいっ」
答えた瑤子は穴の下まで走っていき、側にあったテーブルを踏み台に跳躍。二階の闇の中へ姿を消す。
「それじゃあ、みつき。私と新人さんもよろしくね」
「はいはい。……えーと、久瀬さん、でしたよね。こっち来て、こっち、こっち」
みつきは久瀬に駆け寄り、その両手を取って、天井に開けた穴の側へ導く。
「な、何だよ……」
「上に行くんですよ。えーと、私の手首をこうやって握ってもらえます? そうそう。私も久瀬さんの手首を握り返しますから。暴れないで、絶対手を放さないで下さいね。……で、綾はおんぶね」
と、急に綾が嬉しそうに微笑む。
「ふふっ……。みつきを堂々と抱きしめられるなんて、いつ以来だったかしら」
「あんた、そんなに途中で叩き落とされたいの?」
「もう、そんなに恥ずかしがることないのに」
「黙れ節操なし。はい、じゃあ上に参りまーす」
ゆっくり、少しずつ、背負った綾と手を繋いだ久瀬を伴って、みつきが宙に浮いていく。
「お、お……おい、うわ、うわわっ……」
足が床から離れていく。本能的な恐怖にかられた久瀬はほとんど無意識にバタバタと暴れ始めた。
「あ、もう。暴れちゃだめだってばっ」
「な、ななっ、何だよ! お前ら一体何なんだっ!」
ようやく口から出てきた。
本当は、もっと早くに言いたかった言葉。
「突っ込んできたトラック止めて、銃を持った相手に素手で勝って、挙げ句の果てにはこれかよっ! お、おかしいだろ! どんなトリックだよ! でなきゃ夢だこんなの!」
「残念ながら、クールな現実なんだけど……」
みつき、苦笑するしかない。
「本当に何も聞かされていないのね、あなた。山形さんもそんなに忙しかったのかしら」
みつきの背に乗ったまま、溜め息混じりに綾が言う。
「Extreme Supernatural Phenomenon Assembling Realizer……略してE.S.P.A.R.ね。一般では綴りを間違ったESPERが広まって、私のようなESP能力者や超能力者全般の呼称として誤用されてきたのだけれど、意味するところは通じるのではなくて?」
「え……えすぱ……あ?」
「そうよ。和訳して極過型超能力者とも言うわ。あなたが所属している特定業務総括班のデマケ(担当範囲)でもある」
久瀬はこれでも常識人だという自覚がある。馬鹿な、からかうな、と否定したかったのだが、これまでさんざん見せつけられた後では声にならない。
「なんか、まだ怯えてるっぽいなぁ……」
みつきの声音に、少しだけ寂しさがあった。
「ごめんね、久瀬さん。どのみち、いろいろ片付くまでは一緒に居てくんなきゃ困るから、もうちょっとだけ我慢してて下さいね」
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