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永元千尋のひとりてらり

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エッセイというほど立派なモノじゃございません。ひとりでブツクサやってるだけの、そういうアレっすわ。
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#競馬

キルロードに「おつかれさま」と言いたくて

 この記事は、2023年10月に投稿したものの続きになる。  僕は前回の記事を「いやあ、今から楽しみですな!」という文言で結んだ。応援してきた競走馬キルロードの活躍を信じきっていたからね。せいぜい半年ほど前のことなので、その頃の高揚した気分はよく憶えている。    けれど現実は、僕が期待したようにはならなかった。    簡単にまとめると。  地方競馬(南関競馬)へ移籍したキルロードは、都合2度のレースを走り、そのどちらも馬券に絡むことなく、引退、登録抹消となった。    そ

真:競馬と俺とキルロード

 5回にわたって続けてきたこのシリーズもついにオーラス。    長々と繰り広げてきたせいで完全に主題が迷子になってしまったが、元を正せば「僕はキルロードという競走馬のファンであり全力で推している」と「でもホントのところ競馬は苦手」という一見矛盾した話を説明しようとしただけだ。こんなに尺が必要だったのかと我ながら思うけどね。  ただ、ここまでの文章を今になって読み直してみても、話が脱線して余計なことまで書いた感はまったくのゼロ。僕にとってキルロードおよび競馬に対する想いというの

乗馬と俺とオグリ1着

 1990年12月23日。有馬記念。  言わずと知れた名馬中の名馬・オグリキャップのラストランだ。  「オグリ1着! オグリ1着!」  という名実況と共に、同馬が伝説となったその時。    僕は、生涯初めてのレース予想を見事に的中させていた。  もっとも、当時の僕は16歳の高校生。当然ながら馬券とは無関係である。父親に「お前はどの馬が来ると思う?」と意見を求められたから「オグリキャップ」と答えただけ。父子ともども法に触れるような真似は一切していないのでご安心いただきたい。

競馬と俺とキルロード

 これは(少なくとも僕にとって)超ビッグニュース!  高松宮記念2023(G1)9着を最後に中央の競走馬を引退したキルロードが、大井競馬場・的場厩舎の所属で現役復帰するらしいのだ!  中央引退後、同馬は神奈川で乗馬になるという噂だったが、しかしそれが競技としての乗馬(障害物を飛んだりするやつ)なのか、それとも観光や趣味の乗馬なのかは不明なままだった。もし後者なら自分もキルロードの背中に乗れるんだろうか、そんなことが可能なら是が非でも乗りに行くぞなどと思ってはいたんだけどね。