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生い立ち①

久しぶりの更新になります。
有難いことに弊社への選考を受けにきてくださる方が、これまで以上に増えてきました。
少しずつ弊社も就職活動の選択肢に入ってきていることに嬉しく感じます。

面接で受けにきてくださる方で「noteを見ました!」という方が多いのと
面接やオファー面談では時間に限りがあるので僕のことや会社のことを多く知ることは難しいと思いますので
noteで発信をしていきたいと思い今回記事を書いていきたいと思います。

そもそも僕はどんな人間なのかということをみなさんに知っていただき
同じ価値観や同じ志の方と一緒に働ければと思っています。

そこで、これまでの生い立ちを伝えていければと思っています。

1994年2月22日 埼玉県川口市で生まれました。
幼稚園卒業までは川口で過ごし、小学校に入学するタイミングで父の仕事の転勤の兼ね合いで茨城県牛久市に引っ越しました。

小学校2年生のタイミングでサッカーを始めました。
ちなみに、昔から柏レイソルが好きで今でもレイソルの試合はちょくちょく見に行っています。

小学生時代の記憶は昔のこと過ぎるので記憶が少ないですが
小学時代から先生にはよく怒られているような生徒だったことは覚えています。
小学5年生のときは担任の先生には手に負えないので、学年イチ怖い先生に昼休みに呼び出され何度も怒れらていた記憶があります。
決して非行に走っていたとかではないです。

また、数ヶ月前(2024年3月ごろ)に遊戯王カードにどハマりしていましたが
小学生時代から遊戯王カードが好きでした。
学校終わりに家に帰って友達とするのが好きでしたが、学校でも遊戯王がやりたいと思っていましたが
もちろんカードを学校に持っていくと先生に没収されてしまうので、学校でできる方法はないかと模索していました。
そこで考えたのが自由帳の紙を遊戯王カードのサイズに切り、手書きで遊戯王カードを作って遊ぶのは問題ないのでは?と思い始めていました。
もちろん学校のルール内のことなので、先生に怒られることもなくまさに合法だったと思います。
友達も巻き込んで学校では手製の遊戯王カードが流行っていたと思います。
そこで味を占め、カードを買うのに必要な通貨をつくりパック販売なんかもしていった記憶があります。
遊戯王カードの丸パクリだけではなく、オリジナルの強いカードを発行してレア度や希少性なんかも担保していました。
ときには、給食のからあげが大好きで友達にレアカードと引き換えにからあげをもらうなんてこともしていて(もちろんカードの発行元は僕なので僕は損はなし。笑)当時から商売をしていたんだなと懐かしく感じます。

遊戯王カードにフォーカスし過ぎましたが、カード好きなオタクな感じではなく
サッカーや身体を動かすことがとにかく好きで、夏休みなんかは毎日公園で友達とサッカーをしたりキックベースをしたりアクティブに過ごしていました。


サッカー少年団の合宿

小学生の時はざっとこんな感じでしょうか。


中学時代は正直あまりいい思い出がなく、どちらかといえば黒歴史が多かったような気がします。
今でも忘れませんが、中学時代は人間関係に特に苦しんでいたような気がします。
いじめっ子でもあり・いじめられっ子でもありました。

誰かを攻撃して下に陥れることで、自身の立場を守り
一方でそういったことを行っていると周りは離れていき、逆に僕が攻撃されたりと当時は本当に人間関係に悩みました。
サッカー部だったので、練習に行くために部室により着替えを済ませたがスパイクが隠されていて、練習に参加できなかったり
当時はデスノートが流行っていたので、クラスメイトの男子ほとんどがノートの表紙をペンで黒く塗りつぶし「DEATH NOTE」を作っていてもちろんそのノートには「○時◯分 村山和輝 ◯◯で死ぬ」とか書かれていたのを覚えています。

そんななかでも僕のそばにいてくれた当時の友人には本当に感謝です。
誰かを傷つけるようなことをすれば、自分に必ず返ってくることを学び
「人を大切にしたい」「人によくしたい」などと思うようになった土台ができたと思います。

好きなサッカーでは小学時代とは違い、中学生になると身体の成長が顕著に現れ
周りはがたいがよくなっていてフィジカルが強く、一方で僕は身長がずっと低いので
フィジカル負けすることが多くサッカーもなかなかうまくいかなかった気がしました。
とにかく自尊心がなくなっていた気がします。

そんな感じであまりいい思い出がない中学時代でした。

高校に進学すると人間関係もリセットされ新たな環境での再スタートとなります。
中学時代の苦い思いや経験を活かし、高校時代は人間関係にも恵まれました。

部活はサッカー部に所属していましたが、みなさんがイメージする高校サッカーとはかけ離れていて
同世代の部員は3年次には僕含め6人しかいないし、全員ちゃんと練習に参加する訳でもなく
僕も部活には入っていましたが練習をバイトでさぼることも多々ありました。
ただ、部活以外で社会チームのフットサルに参加していたこともあり、テクニックも磨かれ練習にいかなくても部内で一番上手いという現象がおき、僕が練習をサボっても顧問の先生は指摘しづらい状況だったと思います。


卒業アルバムの撮影時 サッカー部

学校行事も積極的に参加したり、学校の先生と関係値を築きテストが赤点の場合でも課題を自ら課すことで単位をもらえないかと交渉をしたりとこのときからも駆け引きなんかをしていました。



文化祭のオカレモン


高校生からバイトができるようになるので、暇な時間があれば基本的にシフトに入るようなタイプでこのときから仕事をするのが好きだったと思います。
高校時代のバイトは、寿司屋・焼き肉屋・ステーキ屋・フットサルの審判のバイトをやっていた記憶があります。

寿司屋では最後に残る寿司を賄いとして持ち帰って良いということだったので
当時は軍艦を作る担当を主にしていたため、閉店が近づくにつれて当時好きだったねぎとろ軍艦が大量に回転レーンに流れ出すということも多々ありました。もちろん他のネタも流せと社員さんに怒られましたが…。

焼肉屋でのバイトが一番長く続き
バイト中に社員の目を盗み焼き肉を焼いて盗み食いをしたり、ときには肉を持ち帰って家で食べたりと悪さをしていましたね(その節はすみません)。

ざっとこんな感じの小学時代~高校時代でした。
大学生に入ってからは僕の人生の転換期とも言えることが多く出てくるので、記事を別けて書きたいと思います。

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