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twitter保守の「自由主義」への嫌悪

お疲れ様です。
またまた気が乗ったので書いてみようかと思います。
 まずここで言う「自由主義」の定義をはっきりさせた上で、話を進めたいと思います。自由主義(liberalism)ほど、意味が多様化し、テンプレがない思想はないからです。ここでは自由主義を、政府の市民社会への介入を通じて積極的自由(アファーマティブ・アクションやクォーター制が最たる例)を獲得を目指す「ニュー・リベラリズム」ではなく、
政府の役割を最小限にすることで、消極的自由(財産権、集会・結社・思想の自由)を守り、市場や社会の内在的な力を生かすことを目指す「古典的自由主義」であるとします。

 まず、大前提として、保守主義と自由主義は相反することはあります。これは、アメリカやイギリスなど、保守主義と自由主義の考えが近い国であってもです。例えば公教育では、保守主義者が宗教や慣習に重きを置くことを望むのに対して、自由主義者は個人の自立性に重きを置くので世俗的な教育を望むという違いがあり、文化的には対照的な考えることがわかります。

 それにしても、日本においては両者の思想は驚くほどに乖離しています。
「自由主義は日本に合わない」
「自由主義は悪しき米英の思想だ」
「自由主義は自分勝手だ」
 もちろんすべての保守主義者はこのような考え方を持っているとは言いません。しかしこのような言説を見たことがあり、内心ではそう思っている方もひょっとしたらいるのではないでしょうか。
 そんな中でも、日本で両者の中で共通していることはあります。それこそ「反共無罪」というスローガンに体現される、共産主義および社会主義に対する嫌悪感です。これこそが、唯一無二ともいえる、水と油の思想の共通点だ。
 アメリカにおいても、レーガン政権が、社会主義的思想の打破を掲げ、自由主義思想が系譜にある「リバタリアニズム」と伝統的保守主義が系譜にある「宗教右派」をまとめ上げたことからもわかるように、反共主義は両者に共通するイデオロギーである。
 Twitterの保守界隈でも、共産主義に対する憎さでいえば、罵詈雑言を山ほど聞いたことがあり(実際、私も同意します)、さらなる取り締まりの強化を求める声もあります。
 
 では、なぜ共通する思想(反共主義)があるのに、日本の保守主義者は「自由主義者」を嫌うのか。
 その理由は、自由主義が共同体意識を破壊する、と考えるからだ。ここでは、このような思想を「社会保守主義」と定義したい。
 彼らは、日本は歴史的には共同体を中心とす秩序によって、おさめられてきたと主張する。それが、1980年代からの「新自由主義」によってあらゆるものが私有化され、助け合いの精神が崩壊した。その結果が今の惨憺たる経済状況であり、利己的な日本人が増えた要因なのだ。ゆえに「自由主義は好ましくない」というのが、日本人の自由主義を嫌悪するわけと考える。
 思い当たる節がある方もいるのではなかろうか。

 私はこのような自由主義への嫌悪が誤解に基づくものではないかと考える。確かに、社会保守主義者が言うように自由主義は共同体意識を破壊する、これには同意できる部分もある。彼らが、共同体意識の崩壊を防ぐことこそ究極的な政治目標であれば、主張の論理的正当性に同意する。

 しかし、「社会保守主義」である理由が、「人のために」といった人道的理由や、「日本を世界と比べて強い国に」といった覇権主義からであれば一考の余地がある。

 まず、人道的理由は、個人主義的な生き方は否定され、共同体に属さない人は疎外感を感じてしまうという問題点を抱えている。例えば、昭和の時代は、マジョリティーの人々は近所との連帯感や家族の絆、社会の一体感を感じれて、孤独感を感じずに済んだかもしれない。しかし、社会の内においては同質的であったが、外に対しては排他的な性格があった。同和地区の人々は今よりもひどい偏見に晒されていたし、家庭では家庭内暴力がまかり通り、マイノリティーにとっては苦痛の時代であった、と解釈することもできるのだ。
 だから、人道的理由は一概に正しいといえるものではないのだ。
 
次に、覇権主義的理由は、これまでの覇権国を見れば一考の余地がある。確かに、その国が強くなる条件というものはいくつもあるということは100も承知だ。しかし逆説的にいえば、社会保守主義的であることは覇権を実現するうえで必然的条件とはいえない。
 現在の覇権国であるアメリカ合衆国は、その最たる例だ。
 アメリカが世界に影響力を及ぼすことになった経済力は、まさに社会の開放が進んだ時代に偉大になった。フィッツジェラルドの「楽園のこちら側」で書かれたように、「狂騒の20年代」といわれる、自由な生活を送ったからこそ、新しい産業(化粧品や理髪店、家電品)が誕生し、経済成長につながったのだ。これは、共同体意識が伸長するどころか、衰退した時代だ。にもかかわらず、アメリカは強国への一歩を歩んだのだ。
 つまり、「社会保守主義」は「強い国」であることの必要条件ではないのだ。

 もちろん、先に挙げた理由以外にも「社会保守主義」を肯定できる理由はある。あくまで、よく肯定する理由への反論をしたまでだ。
 まとめると、あくまで自由主義は保守主義の理想とする「強い国」と反する概念ではないということだ。また、「社会保守主義」は絶対的に個人に優しい思想というわけでもない。
 日本の保守主義者には、自由主義を敵視せず、自身の政治的理想の実現す上で、使える思想であることを知ってもらえたら幸いだ。
 


 

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