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「坂道のアポロン」で学ぶキリスト教知識

■はじめに

みなさんこんにちは、寒い季節は鍋ばっかり食べているリベラです。

鍋は簡単で栄養満点、心も身体も温まる最高の食べ物ですよね。ゆるキャン△の回で、救世軍の社会鍋の話題に触れましたが、実はあれ、本物を見たことが2回くらいしかないんですよね。しかも1回は横浜に住んでいた学生時代、もう1回は東京に行った時です。
田舎に住んでるとあまり見ないのかもしれません。そもそも救世軍の施設も見たことがないんです。
僕は生まれた時からカトリックに移るまで、某日本最大のプロテスタント教団に所属していましたが、日本国内にこれだけプロテスタントの教団がたくさんあるなんて、初めは全然知りませんでした。もちろん救世軍も知りませんでした。

もし救世軍で洗礼を受けていたら、僕も「兵士」と名乗っていたかもしれませんね。

■アニメ「坂道のアポロン」とは

今回は、前回までの萌え系路線とは打って変わり、青春群像劇のアニメ「坂道のアポロン」を取り上げます。

坂道のアポロンはこれまで取り上げた作品と明確に違う点があります。それは、登場人物がはっきりと「キリスト教徒である」と明言されているところです。作品全体にキリスト教が色濃く影響されています。

教会の多い長崎が舞台なので、必然的にキリスト教の要素は入ってくるのかもしれませんが、登場人物がキリスト教徒(しかも日本人で)の漫画やアニメは、あまり多くないと思います。

キリスト教が題材のアニメではありますが、僕のコンセプトはあくまで、アニメを通じてキリスト教の「知識を学ぶ」というもので、「登場人物の心情を通してキリスト教を深く理解する」「神学的にアニメを読み解く」的な物ではありません。そういった系統のブログや記事はありふれていますし、第一僕はそういう記事が書けるほど聖書を読み込んでもいないし、そもそ神学的な知識もないので(笑)
なので今回も、アニメを通して、キリスト教の知識を身につけていただければと思います。

では、坂道のアポロンのあらすじをご紹介します。

1966年初夏、男子高校生・西見薫は船乗りの父親の仕事の都合で、横須賀から長崎県の佐世保市にある佐世保東高校に転校した。

転校初日、同じクラスのバンカラな男・川渕千太郎との出会いをきっかけに、ジャズの魅力にはまり、薫の高校生活は思わぬ方向へ変化していく。更に、薫は千太郎の幼馴染である迎律子を好きになるが、律子は千太郎に、千太郎は上級生の深堀百合香に、百合香は桂木淳一に思いを寄せていて、それぞれの恋の行方も複雑になっていく。(Wikipediaより)

すみません、コピペで楽をしてしまいました。

この作品は、高度経済成長期の日本を舞台に、ジャズ、そして若者たちの青春を描いた物語です。音楽を題材にしていますので、アニメだとよりその魅力が伝わります。僕は普段、漫画を買うことはあまり無いのですが、この作品はアニメを観た影響で漫画を全巻買い、実写映画も観に行きました。

アニメの完成度は素晴らしいの一言ですが、1クール(12話)で原作を完結させる必要上、後半はかなり端折った展開なのが残念でした。できれば2クールでじっくりやって欲しかったですね。

■メインキャラクター3人で学ぶキリスト教知識(ネタバレ注意)

あらかじめ断っておきます。今回はかなりネタバレ要素が多いので、ネタバレは嫌!という方、今回はここでお別れです(笑)ネタバレしたもいいよ!という方だけ続きをご覧いただければと思います。

主人公の薫は、幼いころから転校が多いため、人と深く付き合うことが苦手で、繊細な性格。裕福な家で育ち、勉強もできて、おまけにイケメン、というハイスペックでありながら、複雑な家庭環境で育っています。父親は仕事の都合でほとんど会えず、母親は生き別れになり、居候する伯父の家では嫌味を言われ、毎日が窮屈です。そんな薫が唯一癒される時間は、幼いころから習っているピアノを弾いている時だけでした。専らクラシックの曲を弾いていましたが、千太郎との出会いから、ジャズ曲を演奏することになります。

薫の一族は病院を経営し、薫本人も医者を志望しています。新約聖書の「ルカによる福音書」の記者である聖ルカは、医者であったことから医者の守護聖人です。ちなみに聖書を書いた人のことは「著者」ではなく「記者」といいます。これは、聖書は神の霊感によって、神の導きによって選ばれた人によって、神の言葉を書物として残したものであるため、聖書の「著者」はあくまで「神様」だからです。

さて、薫が佐世保の転校先で出会ったのが千太郎。学校では「札付きのワル」として恐れられていますが、実際は「気は優しくて力持ち」なタイプ。面倒見が良く、家では長男として、弟や妹たちの面倒を見る優しいお兄ちゃん。背が高くてイケメン。なんていうかすごく女の子にモテそうですよね(笑)「ジャズだけが自分にとっての音楽」というほどジャズが好きで、ドラムを演奏します。

そんな千太郎、実は両親に捨てられたという過去を持ちます。現在住んでいる家は叔父夫婦の家です。クリスマスの夜、教会の前に捨てられていた赤ん坊の彼を、教会の神父様が引き取って育てたのです。千太郎が入っていた籠には母親の形見であるロザリオが入っており、高校生になっても常に肌身離さずロザリオを首にかけています。劇中にも出てきますが、ロザリオは本来首にかけるものではなく、お祈りの数を数える、仏教でいう数珠に相当するものです。単なるお祈りカウンターなので、ロザリオそのものにご利益はありませんが、ロザリオを買ったら神父様に祝別してもらう習慣があり、お守り代わりに持っている人は多いと思います。

千太郎は設定上、クリスチャンであると明言されています。劇中でもミサに参列する姿が描かれ、普段の様子とは打って変わり、静かに祈りをささげていました。実写映画ではこのシーンで、讃美歌の「いつくしみ深き」が流れていました。有名な曲ですが、プロテスタント教会で生まれた曲であることからカトリックのミサ中には歌われることはあまりありません(自分の経験上、カトリックに移ってから教会でいつくしみ深きを歌ったことは一度もありません)。もっとも、プロテスタントの曲をカトリックで歌うこと自体は珍しい事ではないのですが。ちなみに、このシーンで登場する教会は、佐世保市にあるカトリック三浦町教会。僕も実際に行ったことがあります。当時はまだプロテスタントの信徒でしたが、カトリック教会は平日でも空いていることが多く、自由に出入りできるのを魅力的に感じたのを覚えています。

千太郎の幼馴染のヒロイン、律子は、お下げ髪にそばかすという素朴な印象の女の子。レコード屋の娘で、店主である父親はコントラバス奏者です。店の地下には練習場があり、よくセッションをする薫や千太郎の姿を見守っています。彼女もクリスチャンで、ミサのシーンでは頭にベールをかぶっています。カトリックでは洗礼式で洗礼を受けた後、司祭から、男性は白い布を肩にかけられ、女性は白いベールをかぶされる伝統があります。

これは、初代教会(キリスト教成立後の初期の教会)において、洗礼を受けて信者になった人が「洗礼を受け、罪がゆるされ、神の子となったことを、目に見える形で示すものとして、白衣に着替えていた」(女子パウロ会公式サイトより)ことに由来するものです。現在は、ミサでベールをかぶる女性は昔に比べて少なくなったようです。ご年輩の女性信者の方は、毎回被ってくる方が多い印象です。

ちなみに、この作品の舞台となった1966年は、1962~65年に行われた第二バチカン公会議の直後という時代です。公会議とは全世界のカトリック教会の教義や典礼などについて審議する会議のことで、この第二バチカン公会議はカトリックの歴史上画期的なものでした。中でも一番大きかったといえるのは、この会議によって、ミサをラテン語以外の言語で行ってもよいことが決定したことです。この会議以前は、世界中のカトリック教会は、ミサは必ずラテン語で行わなければならなかったのです。たった50数年前ですから、驚きですよね。千太郎や律子も、この作品の舞台となる年の一年前までは、ラテン語のミサに参列していたということになるのです。そう考えると、第二バチカン公会議がいかにエポックメイキングなものだったのかが実感できます。

■感動の結末で学ぶ、神父様についての知識(ネタバレ注意)

さて、かなり内容を端折ってしまいますが、千太郎は高校3年の秋、ある出来事をきっかけに薫たちの前から姿を消してしまいます。そして全く消息が分からないまま、8年が経過します。

薫は大学を卒業し、医者として忙しい毎日を送っていました。そこへかつての千太郎の想い人、百合香と、千太郎や律子の幼馴染である淳一がやってきます。二人は紆余曲折を経て結婚したのですが(長くなってしまうので経緯は省かせてください)、百合香が持ってきたある写真(友人の結婚式で、教会の前で撮影された集合写真)に、千太郎によく似た人物が映っていたのです。それを見た薫は、その教会へ向かいます。そして、千太郎と8年ぶりの再会を果たすのですが、なんと千太郎は神父見習いになっていました。

「神父見習い」とは恐らく神学生(神父の卵として神学校で勉強している学生)、もしくは助祭(神学校卒業後、司祭を補佐する人)を指すのだと思われます。

千太郎は高校3年生、17.8歳の時に失踪したため、神父見習いになっている8年後の時点では25.6歳。

カトリックの神学校は、「洗礼後3年以上経った、22歳以上の独身男性」が入学条件。養成期間は6年と決まっています。つまりどれだけ若くても28歳までは神学生なので、千太郎は薫と再会した時点では神学生であったと推定できます。

もっとも、これは2020年時点でのものですから、1960.70年代は違っていたのかもしれません。また、司祭は教区司祭(教区に所属し、教会で活動するする司祭)と修道司祭(修道院に所属する司祭)の2種類があり、制度もそれぞれ違うので一概に言えるものではありません。

もっとも、千太郎は教会にいたことから教区司祭であることだけは間違い無いのですが。ちなみに千太郎のいた教会は、長崎にあるカトリック黒島教会です。
長崎教区は、日本3大教区「大司教区」の一つ。大司教区は教区の中でもとりわけ信者数が多いところで、日本では東京、大阪、長崎の3つです。東京と大阪に混じって長崎があるのが凄いですよね。普通、日本3大都市といえば「東京、大阪、名古屋」ですが、カトリック教会に限っては違うんです。

■おわりに

今回はだいぶ長くなりました。また、アニメの脚本が端折られてることが不満だと言っていたくせに、自分も文章を端折ってしまいました。こういうのを自分を棚に上げる、というのでしょうね。気をつけます(笑)

坂道のアポロン、万人におすすめできる、本当に素晴らしい作品だと思います。漫画、映画、アニメ、どれも素晴らしい完成度です。漫画も全9巻と長くないので、気軽に読めると思います。是非、読んでみてはいかがでしょうか?

それではまた次回!

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