存在が存在すること、それってキセキ~人生には意味も理由もないのか~

 あなたは人生に意味があると思いますか?人間が生きる理由ってあるのでしょうか。
 宗教は人生に明確な意味があると言います。ユダヤ・キリスト・イスラームからなるアブラハムの宗教では、肉体の死後天国へ行くために創造主である神の御心に適った生を送ることがその意味であるとします。仏教・ジャイナ教・バラモン教(ヒンディー教)として括ることができるインド宗教では、苦しみの生存形態である輪廻から解脱することが生きる理由だとされます。
 科学でも生きる意味を説明できます。それは、エントロピー増大の法則に適うこと。すなわちこの宇宙においてエネルギーをより効率的に分散させることが生きる意味であるというわけです。我々人間は動物である以上、種族繁栄を目的としているわけですが、それすなわちエネルギーを増大させるためにあるのです。
 ただしこの二つはマクロな視点での解答であるといえます。これらは人類としての生きる目的であるため、そこに個々人としての生、ミクロな生は考慮されていないように思われます。例えば量子力学ではマクロとミクロでは対応する物理法則が異なることを語っています。すなわち、古典力学の法則はミクロ系では通用しないのです。これと同様、人類としての生きる意味と個々人としての生きる意味は異なるのではないでしょうか。この後者の視点を検討しているのが哲学、殊更に実存主義の分野です。
 実存主義といっても哲学者によって立場や主張は異なりますが、今ここにある現実存在としての自身の在り方を探求するという点では同様であると言えるかと思います。ただし個人個人の間には共通項は見られません。つまり人間には共通した意味も理由もないということです。だからこそ存在するということ、存在が存在するということは奇跡であるといえるでしょう。誰かが意図して創った訳ではない。そうすると存在していることはなんたる奇妙で不可思議なことか。それすなわち奇跡でありましょう。そうするならば、意味も理由も探すものではなくなります。ホンモノの自分がどこかにあるわけではありません。創り上げてゆくことです。であれば、敢えて言えば、唯一の人生の意味や理由を挙げると、それすなわち
「創造者として自身を創造してゆくこと」そう言えるかもしれませんね。

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